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第44話 九鬼神伝流対駒川改心流の闘い

 九鬼神伝流対駒川改心流の闘いが始まろうとしていた。


 心を無にして戦うしかない。

 あらためて気を引き締めた。


 広い庭とはいえ、種々の庭木や池、石灯籠などが所々に配置されている。

 動きの幅が小さくて済む突き技が有効だった。


「まいる」


 前回と同じく、ともに攻防一体の平晴眼の構えで対峙した。


 互いの太刀筋を見極めんとして、しばしのあいだ、睨み合う膠着状態が続いた。


 形にとらわれず臨機応変に技を繰り出すことが実戦剣法の神髄である。


(己の腕が切断されても敵の首をはねればよい。相打ち覚悟の気迫は敵に恐怖を与えて動揺を誘える)


 互角の腕であれば、先に動いた者が負けという鉄則などクソ喰らえだった。


 たあっ。

 踏み込んで突きを繰り出した。


 せいっ。

 突きは鍔で受け流してかわされた。


 右膳が刀の反りを使って頸動脈を狙ってきた。

 鋭い切っ先が喉元を襲ってくる。


 間一髪、後方に跳んで逃れた。


 しゃあっ。

 真っ向正面に斬りかかった。


 右膳が崎十郎の水月(上腹部)を突いてきた。

 右への体裁きで右膳の突きをからくもかわした。と同時に相突きを放つ。


 決まったかに思えた。

 だが、右膳は、すり足で飛ぶように後退した。

 兼常の切っ先は虚しく空を突いた。


 右膳の目がすうっと細められた。

 右膳の身体が深く沈んだ。

 刃唸りが耳を圧した。切っ先が足を浅く薙いだ。


 袴の裾がすぱっと切断された。

 脛を浅く斬られたが痛みはまるで感じなかった。


 りやぁ。

 とー。


 かけ声とともに激しく斬り結ぶ。


 庭木や庭石を避けてまわり込みながら戦わねばならない。

 いつ、湿った苔で足を滑らせるかしれない。

 剣の腕以外に、運にも左右される戦いだった。


 双方、傷だけが増えていくが、お互い、致命傷をなかなか与えられない。


 手傷を負ったか否かはどうでもよかった。

 動けるかどうかだけが肝心だった。


 体力勝負。決着をみるまで戦い続けるしかない。


 庭木の間を駆ける。


 涎賺しの技はまだ出ない。


 両者が打ち合う。

 すれ違う。

 踏みとどまる。

 向き直ってまたも打ち合い突き合う。


 深紅の飛沫が宙を舞った。

 血しぶきが頬を打つ。

 互いの血潮が混ざり合った。


(剣客として全力で戦う、これが剣客としての喜びだ)


  戦っている実感が心を燃え立たせた。

  心だけがはやる。


  だが、延々と勝負はつかない。


  互いが肩で息をするようになった。

  どちらともなく間合いからはずれた。


(今度こそ、涎賺しの技が繰り出されるに相違ない。だが、見事、打ち破ってくれよう。いや、拙者のこの一太刀で勝負を決めてみせる!)


 ふたたび兼常を晴眼に構え、一気に斬り込もうとしたとき。


「崎十郎、助太刀するぞ」


 背後に、善次郎が駆け寄る気配がした。


 視野の外にいたから確認できなかったが、どうやら大勢いた雑魚どもを退治し終えたらしかった。


「手出しは無用です」

 崎十郎は右膳から目をそらさぬまま叫んだ。


「馬鹿野郎、一刻も早く決着をつけるんだ。まだ間に合う。間に合うと信じるんだ」


「しかし……」

 崎十郎は逡巡した。


 善次郎の加勢は鬼に金棒である。


 だが、剣客としての崎十郎には許せない。


 一対一で心ゆくまで戦いたい。

 涎賺しの秘技を打ち破りたかった。


「真吾を救うことを優先しろ」


 善次郎が崎十郎の脇にぴたりと身体を寄せて右膳に切っ先をむけた。


 いまにも突きかからんとしたとき。


 右膳が、すり足で地面を滑るようにすすっと間合いから脱した。

 そのまま後方へ退いた。


「崎十郎、いずれ決着をつけようぞ」


 身をひるがえした右膳は、庭の木々の間を縫うように走り去っていく。


「待て」

 崎十郎と善次郎が追う。


 右膳は、木立に隠れるように設けられた裏木戸をするりとくぐり抜けた。


 簡素な木戸が乾いた音を立ててぱたりと閉まった。


 崎十郎と善次郎も木戸に走る。


「木戸の外で右膳が待ち受けているやもしれぬ。気をつけろ」


 善次郎が、はやる崎十郎を制した。


「……」

 外の気を窺った。


 一瞬、人の声と動きが感じられたあと気配が遠ざかっていく。


 崎十郎はただちに木戸を開いて店の裏手に出た。


「し、しまった」


 いましも舟が堀をついっと滑り出したところだった。


 右膳を乗せた舟は堀を伝って大川の薄暗い水面へと消えていく。


 忍び込むさいに見かけた船頭は右膳を待っていたのだ。


 崎十郎は地団駄を踏んだ。


「崎十郎、右膳を仕留める機会はきっと来る。いまは刑場へ急ごう」


「わかりました」


 兼常を鞘に納めて座敷にとって返すや、残されていた備前長船景光をしっかとつかんだ。



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