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第41話  必ず救うぞ、真吾

 昼七ツの鐘を聞いてから四半刻ほど経った頃だった。


 ついに下屋敷の門が開かれ、大名などが微行の際に使う、お忍び駕籠が静々と出てきた。


 金の金具や引き戸のついた大仰な造りではなく、こぢんまりとした地味な駕籠で、供侍は四人しかいなかった。

 側用人の采女の姿も見える。


(いまからではとうてい間に合わぬ)


 引廻の列は本所を練り歩いて両国橋を渡っていく。


 両国西小路を抜けて浅草御門に到り、橋を渡って浅草御蔵の横を通る。


 吾妻橋の西側、浅草広小路を横切り、大川沿いに浅草の町を通過して小塚原へと向かうのだが、距離にしてあと一里(約四キロメートル)ほどしかなかった。


 出羽守の駕籠は引廻の行列の後方を進んでいく。


 行列の進みは遅々としていた。


 両者の間はしだいに狭まって、両国橋を渡り切った両国西小路で駕籠が行列を追い抜いた。


 馬に乗せられた真吾の後ろ姿が近くに見えた。


(肝の据わった悪党ならば、久々に娑婆が見られるとかえって喜ぶところだが、由緒ある旗本の家に生まれて、このような恥辱……。さぞやうなだれているだろう)


 出羽守の駕籠を追いながら、善次郎に続いて行列の脇を通り過ぎた。


 横目で窺った真吾の顔は、蒼白ながら凛とした表情で真っ直ぐに前を見据えていた。


(待っておれ。必ずや救ってみせる)


 決意を新たにすると同時に、


(なぜ犯してもいない罪を認めたのだ。あれほど画にかけていた意気込みはどうした。せっかく授かった天賦の才を無駄にする気か)


 罵声を浴びせたくなった。


 陣笠をかぶって、ぶっさき羽織に野袴をつけた正副二騎の検使与力が騎乗し、丸羽織で股引脚絆姿の同心四人が同行している。


 見知った顔も混じっていたが、もともと人が多い場所柄なうえに注目を集める引廻ゆえ見物人がひどく多かった。


 行列の進みにも難儀するありさまなので、物乞いに化けた崎十郎が気づかれる恐れはなかった。



 行列は、浅草西方寺で最後の休息を取る。


 西方寺で親類縁者と最後の別れをし、奥州道中を辿って涙橋を渡れば小塚原の刑場だった。


 群衆の中に、お栄の姿がちらりと見えたが北斎の姿はなかった。

 お栄は、縁者として最後の別れの場に臨むことになっている。


 善次郎はお栄に向かって小さくうなずきながら通り過ぎた。


「お栄にゃ、なるべく引き延ばすよう言ってあるが、さてどのくらい刻を稼げるかだ」


「真吾は昨晩から食を絶っておりましょう」


 罪人は、脇腹を槍で二、三十回も突かれるため、傷口からおびただしい鮮血とともに食べた物が溢れ出す。


 真吾は醜態をみせぬよう、胃の腑を空にしているに相違なかった。


「好む物をゆっくり食わせて時間稼ぎってえのは、やはり難しいだろうな」


 罪人の最後の望みはなるべくかなえてやる不文律があった。

 多少、行列の進みが遅れようと、最後の別れが一区切りつくまで待ってくれるはずだった。


「とにかく間に合うと信じましょう」


 人混みに紛れながら出羽守の駕籠を追った。

 依然として北斎の姿は見えない。


「親父殿の気性から考えると、西方寺の愁嘆場には顔を出さぬでしょう」

「刑場には来ると思うがな」


 善次郎は含むものがありそうな顔つきで言った。


 北斎は、処刑があると聞けば刑場にわざわざ足を運ぶ。


 悪人の最後のさまを観察しようというのか、はたまたそのような場に集まる無慈悲な者たちのさまを目に焼き付けようとするのか……。


 画に精魂を傾けていないときは、なにかをおかしいほど子細に見詰めている。


 事象といい、ひとのさまといい、画の題材として、万事に興味が尽きないらしかった。


「親父殿がいくら度を超した画狂とはいえ、さすがに今日ばかりは違う意味合いでやってくるでしょうけど」


 崎十郎は口中に砂の味を感じた。

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