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第40話 『市中引廻の上、磔』のご沙汰

 鋸引きは免れたが『市中引廻の上、磔』とのご沙汰が下りた。


 真吾が、小塚原刑場――いわゆる『浅草の刑場』で磔となる日は、おりしも備前長船景光受け渡しの日だった。


 崎十郎は夜明け前に隠れ家である甚八の家を出た。


 善次郎とともに薄暗いうちから大川に面した横網町にやってきて、出羽守下屋敷の門が見渡せる町屋の路地にひそんだ。

 出羽守は前日の夕刻から下屋敷に滞在している。

 景光を受け取るために出かける出羽守をつけるつもりだった。


 崎十郎は、またも物乞い姿だったが、薦の下は小袖・袴姿で、上から見えぬように袴を短く端折って、藁で包んだ大小を携えていた。


 善次郎も今日ばかりは別人だった。

 髷からして武家のごとく結っている。


 大小を腰に手挟んだ羽織袴姿は、安房国北条藩江戸屋敷に仕官していた時代を彷彿させた。


 時刻はすでに午を過ぎていた。


「はたして真吾を救えるでしょうか」


「弱気になってどうする。処刑まではまだまだ間があらあ」


 武家らしい出で立ちをしていても、はすっぱな口調がいつもの善次郎だった。


 カラコロという日和下駄の音とともに、


「本所にまで引き廻されてくるそうだよ」


 顔を強張らせたお栄がいきなり声をかけてきた。


 半纏を着て、帯のかわりに前垂の紐でしめた格好で、頭には手拭いをかぶっている。


「おい、お栄、来るなと申しただろうが。火盗や町方に気づかれてはまずい」


 崎十郎はあたりをきょろきょろと見回した。


「居ても立ってもいられねえとはこのこった。引廻の行列が出発する日本橋まで見に行ったんだがよ、白衣を着せられて、紙で作った白数珠を首にかけた真吾が哀れで見ちゃいられなかったぞ。見物人が祭りのときみてえに、そりゃあ大勢いてさ……」


 お栄は言葉を詰まらせた。


「江戸市中での凶行であるため、罪を犯した本所界隈も引き廻されるというわけか」


 真吾には気の毒だったが、刑場到着が遅れれば遅れるほど、刻が稼げる。


 庶民に刑罰の恐ろしさを見せ付ける〝見懲らし〟のための〝江戸引廻〟には、〝五ヶ所引廻〟と〝江戸中引廻〟があった。


 牢屋敷で行われる刑罰は獄門が最高刑である。


 牢屋敷で刑が執行される場合は〝江戸中引廻〟と呼ばれて、目貫の大通りをたどって市中の要所を長々と巡ったのち牢屋敷に戻る。


 極刑たる火刑や磔は刑場で行われる。


 小塚原や鈴ヶ森の刑場まで行かねばならないため、引き廻す経路は短縮されて〝五ヶ所引廻〟となる。


 伝馬町牢屋敷から江戸城の外郭にある日本橋、赤坂御門、四谷御門、筋違橋、両国を巡って小塚原や鈴ヶ森の刑場に至るのだが、各場所と刑場には罪人の氏名、年齢、罪状が書かれた捨札が立てられることになっていた。


 五ヶ所を引き廻したのち刑場に到着するには五町(約二十キロ)の行程となり、途中で何度も休憩をはさむため、朝から夕方まで一日がかりだった。


 罪人ひとりに、与力以下五、六十人もの者が列をなして練り歩くさまは圧巻で、行列が通る沿道には群衆が溢れて見物する。


「親父はどうしておる」


「鉄蔵は朝からいやしねえ。うちんちを見張ってた下っ引きどもは鉄蔵を追ってったから、わっちの見張りは誰もいねえ。だから大丈夫でえじょうぶさ」


「下っ引きが戻ってきて探しまわってねえとも限らねえ。てめえがいたって邪魔なだけでえ。とっとと行っちまえ」


 苛立ちのために、はすっぱな町屋の言葉が口をついて出た。


「へん、わかってらあ。とんだ邪魔したな」


 お栄は、わざとくさく口を尖らせながら立ち去った。


「はは、いつもの兄妹喧嘩にしちゃ勢いがなかったな。威勢が良くて男勝りがお栄の良いところなんだがな」


 善次郎が、乾いた声でぼそりとつぶやいた。


 強い風が砂塵を巻き上げて、通りの先に消えるお栄の姿をかき消した。


 ふいに動悸が高まった。


 真吾の境遇は他人事ではなかった。


 崎十郎が辻斬りで処断されるようなことになれば、園絵は自害するに違いない。


 北斎やお栄にも迷惑がかかる。


 逃亡の手助けをした善次郎も身の破滅だった。


「今日の首尾にすべてがかかっておる。拙者の一命に代えても右膳の悪行を暴いてみせる」


 己に言い聞かせながら、爪が食い込むほど拳を強く握りしめた。 


(早く出てこぬか)


 景光の受け渡しが夕刻以降なら処刑に間に合わない。


 じりじりしながら下屋敷の門を凝視し続けた。


 暑くもないのにだらだらと汗が顔の輪郭を伝って地面に滴り落ちる。


 刻ばかりが経っていく。


 風に乗って、昼七ツ(十六時頃)を告げる、本石町の刻の鐘が聞こえてきて、にわかに町中が騒がしくなった。


「両国橋を渡りきったそうでえ」


「こっちにも来るかな」


「お稚児さんみたいに綺麗な若さまだったけど、人は見かけによらないもんだね。虫も殺さないような顔で祖父じいさま殺しのうえに火付けとはねえ。お~、怖い、怖い」


 興味本位で無責任な言葉が飛び交っている。


「見せしめなんかになるもんか。みんな、祭り見物のようにうきうきしてやがるぜ」


 善次郎が皮肉っぽく口の端を上げた。


 火事場に向かう野次馬のように、大勢の人々がぞろぞろと両国橋方向へ向かっていく。


 真吾は無実だ。下手人は右膳だ。


 叫び出したい気持ちを抑えて唇をぐっと噛み締めた。口中に血の味がした。



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