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第14話 腕が立つ善次郎と忠兵衛親分の仲裁

「野郎ども、なにをしてやがるんでえ」

 ドスの利いた一喝があたりを圧した。


「!」

 崎十郎をはじめ、誰もが動きを止めて、声のしたほうに目を向けた。


 通りの真ん中に、数人の火消人足を従えた、六十半ばを過ぎた町人が立っていた。


 老人はかっぷくが良く、お大尽を思わせる身なりで、押し出しも半端ではなかった。


 羽織も着物も黒仕立てで、細い緒を何本もより合わせて作った、ばら緒の雪駄を履いている姿は、一昔前の札差を彷彿させた。 


「お武家さま相手に喧嘩とは恐れいったもんでえ。大それたことをするんじゃねえ」


 老人の一言で、周りがし~んと静まり返った。


「忠兵衛親分……」


 脳天に血が上っていた火消人足どもは、尻尾を丸めてしゅんとしてしまった。


「お、親分さん、これにはわけが……」


 よほど忠兵衛に借りがあるらしく、善次郎は誰よりも顔色を失っていた。


「おお、英泉先生じゃねえですか。お怪我はありやせんか」


 忠兵衛は人懐こい笑顔で応じてから、笑顔をついっと引っ込めて、火消人足どもをめ付けた。


「どういうこってえ、孫一、じっくりと事情を聞こうじゃねえか」


「どうもこうもねえんです、親分」


 孫一たちは己の側の言い分ばかりを口々にまくし立てた。

 忠兵衛は黙ったまま、ふんふんと頷いている。


「まずいですね」

 崎十郎と善次郎は顔を見合わせた。


 親分も加わって騒ぎが大きくなるかと思えたが……。


「おめえらが悪いんだ。わしにとんだ恥をかかせおって。も組の恥でえ」


 忠兵衛は子分の火消どもひとりひとりの頬を、派手な音をさせながら平手で引っぱたいた。


「いや~、止めに入ったおふたかたまで巻き込んじまって、あいすみません。あろうことか、謝っておられる若さまにも狼藉を働いたようで……」


 忠兵衛は芝居じみた大げさな表情で言葉を続けた。


「もとはといやあ安価な櫛ひとつの盗み。はっは、力が有り余っている者ばかりで綱さばきに困りまさあ。あとできつく仕置きしやすので、この場はご勘弁くだせえ」


 仏の忠兵衛は崎十郎らに平謝りした。


 真吾が、恐縮した顔で、


「祖父が小間物屋さんから持ち去ろうとした櫛なのですが……。騒ぎの間になくしてしまったようで見つからないのです。櫛の価は、いったい、いかほどだったのでしょうか」


 小間物屋の主に声をかけた。


「いや、お恥ずかしい話、どんな櫛だったものやら判然としないのでございますよ。ご覧の通り、安価な品をたくさん取りそろえておりますものでね」


 主は照れくさそうに苦笑いした。


「主、店先を騒がして悪かったな。これで、なにもなかったこととして収めてくれ」


 忠兵衛は大仰な財布から一朱銀を一枚取り出して懐紙にくるむと、小間物屋の主に手渡した。


「こりゃあ、どうも……。さすが忠兵衛親分さんだ」


 小間物屋の主はぺこぺこと何度も頭を下げた。


「忠兵衛殿、それでは、わたくしどもが……」


 恐縮する真吾と忠兵衛のやりとりがしばらく続いたのち、後日、蔵地家側が忠兵衛に返しにいくということで決着した。


「皆さん、お怪我はございませんか。取り急ぎ、いまから医者を呼びにやらせます」


 忠兵衛は由蔵の額についた泥を手拭いで拭いてやりながら言った。


「いえ、そこまでしていただいては罰が当たります。幸い、さしたる怪我もないようですし、このまま屋敷に戻ります。まことにありがとう存じました」


 真吾は丁寧に腰を折った。


「忠兵衛親分さん、その節は、どうも……」


 善次郎が頭をかきながら改めて挨拶した。


「英泉先生の男気はよ~く存じておりますよ。うちの子分どもが悪かったのですから、英泉先生は……、おっと英泉先生というより若竹屋里助さんでしたな。里助さんは、どうか気になさらずにお願いしますよ」


 忠兵衛は、子分どもを引き連れて、さながら大名行列のように静々と立ち去っていった。


「さすが人望の厚い仏の忠兵衛親分さんだな」


 善次郎は懐手した右手を襟元から出して、四角い顎をつるりと撫で、


「親分は根津で妾に女郎屋をやらせてるんだ。俺の画の得意先でもあるんだが、俺が根津で女郎屋を開くにあたっちゃ、なにからなにまで世話になった恩人でえ。いまの見世の家主でもあるから、不義理は絶対にできねえんだ」と言い添えた。


「そういうわけでしたか。子分どもはともかく、親分はできた人物らしいですね」


 崎十郎はおおいに納得した。


「ところで真吾、おめえに怪我はねえのかい」


 善次郎は、祖父をいたわりながら、あれこれ世話を焼いている真吾に訊ねた。


「上手くかわしておりましたゆえ、怪我などしてはおりませぬ」


 真吾は初めて笑顔を見せた。

 悪戯っぽい笑顔は、ぱっと咲いた桜の花を思わせた。


「英泉先生の腕が確かなことは存じ上げておりましたが、崎十郎殿もご無事で、なによりでした。ほんとうに、はらはらいたしました」


 心底、安堵したふうな笑みを向けた。



 真吾は、崎十郎の腕をまるで見破れなかった。


「心配無用だ。拙者はこのような図体に似合わず逃げ足だけは自慢でな。ははは」


 内心で北叟笑みながら快活に笑い飛ばした。


 善次郎が真吾に見えぬよう片目をつぶってみせた。

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