「殿の仰せです。今日こそ、当家までご同道くだされ」
戸口の三和土に突っ立った五十過ぎの侍は、必死の形相で懇願した。
鬢に白いものが目立ち、眉が太くて少し受け口気味な采女は、いかにも謹厳実直が着物を着たような侍だった。
扇子を手にした采女は平服礼服兼用の出で立ちで、肩衣と袴の生地がそれぞれ異なる継裃姿である。
(絵師風情に丁重な言葉を使っておる)
装いといい言葉遣いといい、よほど依頼を承諾して欲しいのだと察せられた。
北斎はまた炬燵にもぐり込んで画の続きに取りかかった。
お栄も面倒はごめんだという顔つきで、新たな紙を広げて集中し始めた。
「今日こそ、ご承知いただきたい。お越しいただく日取りが決まるまで帰りませぬ。わが殿が強くお望みなのですぞ。絵師として名誉なことではありませぬか。礼は存分に取らせるとの仰せでござるぞ」
采女はなにがなんでも説得しようと懸命だった。
(まずいな。親父は権力を笠に着た連中を一番嫌うというに)
北斎は、力や金で強いられると、とことん抗する硬骨漢だった。
北斎の気性を知らぬのか、知っていても説得できると甘く見ているのか、采女は暖簾に腕押しを続けた。
「いくら頼まれても、嫌なものは嫌でえ」
北斎は素っ気なく応えた。
「ううう、ここまで申しても無理と言われるか」
手にした扇子が、わなわなと震える。
武骨そのものの采女が、北斎の画を高く評価して尊敬の念を抱いているとは思えなかった。
首尾良く主君の屋敷に
いまにも刀に手をかけるのではと崎十郎はひやひやした。
北斎を守って采女と争い、怪我でも負わせれば、いったいどうなるか。
幕臣である崎十郎が津軽家と問題を起こしたとなれば難儀な事態に陥る。
「わ、わかり申した。また明日、出直してまいる」
采女は苦虫を噛み潰したような顔で声を絞り出すと、軽く一礼して戸口から外に出た。
従者を従えて立ち去る、肩を落とした後ろ姿は、まさに敗軍の将だった。
「采女さまは、できたおかたなんだけどね。津軽の殿様が気に入らねえんだ」
お栄は、塩でも撒きそうな勢いで、さっさと戸締まりをした。
「津軽出羽守さまの噂は芳しくないからな」
小人目付という職務柄、大名や旗本の行状にも詳しい。
「お父上の九代目当主土佐守寧親公も、一揆を起こされたり、暗殺されそうになったりたりした、愚かな殿さまとの評判だったが……」
三年前に十代目当主となった出羽守信順も、父に輪をかけた愚昧さに加えて酒と女に溺れる暗君である。
「『遊興は余の病』と豪語して、起き出すのはなんと午頃なのだ」
崎十郎は苦笑した。
「そりゃあ呆れちまうよな」
お栄は湯気を立てているやかんを、長火鉢からついっと持ち上げると、転がっていた茶碗に白湯を注いで北斎と崎十郎に勧めた。
「わっちは、これのほうがいいからね」
自分の茶碗にだけ酒をついで飲み干すと、今度は煙草に火をつけた。
北斎は健康のために酒も煙草もたしなまないが、お栄はどちらも手放せないらしい。
「ちっと休憩するか」
北斎はお栄が注いだ白湯をゆっくりと飲み始めた。
「昨年、中気を
一方的に語り始めた。
崎十郎もお栄も聞いてはいない。
「で、わしはだな、近いうちにまた尾張名古屋へ出向こうと思う。文化十四年、弟子の牧墨遷宅にて半年あまり滞在したおりには、西掛所境内で百二十畳敷きに達磨の半身図を描いて驚かせてやったものよ」
北斎のひとり語りは延々と続いて切れ目がなかった。
「な、親父、さきほどの采女殿のことだが、あの思い詰めた目を見たか」
崎十郎の問いかけは無視された。
「達磨半身図といえば、音羽の護国寺観世音ご開帳の最中の四月十三日じゃったな。あれはおおいに評判であった」
北斎は目を細めて
文化元年、いまから二十四年も前、北斎は護国寺本堂のそばで、百二十畳の広さの紙に達磨の半身像を描き、江戸中の評判となった。
だが、崎十郎は幼児で、しかも雑穀屋に養子に出された直後だったから、まったく記憶がなかった。
「老いぼれたいまは、もうあのような画は描けぬとくさす者もおるようじゃが笑止千万。近いうちにいま一度、試みんと思うておる」
食指が動いた事柄のみ語る北斎に、崎十郎はしだいに苛立ってきた。
「おい、親父、俺の話を聞け」
声を荒げて北斎をぐっと睨みつけた。
「う」
さすがの北斎も口をつぐんだ。
「主君との間に挟まったお使者の立場も考えてやれ。采女殿は終いに腹を切るぞ。いまごろ腹を切って果てているやもしれぬ。親父殿はそれでも良いのか」
崎十郎は
「わしが道を歩くおりに半眼で般若経を唱えておるのはなぜか知っておるか? そうしておれば道で出会うた者は声をかけにくかろう。世間話など刻の無駄じゃからな。人の一生は長いようで短いぞ。完成の境地に至るにはまだ三十年はかかるゆえ、寸刻も惜しんで描かねばならんのだ」
気に食わぬ者の頼みで描きたくないものを描かされても魂のこもった良い画は描けない。
だから津軽出羽守の頼みには応じられない、というつもりなのだ。
「おい、拙者の話を聞かぬか。采女殿が死んでも構わぬのか」
思わず北斎の胸倉をつかみそうになったが、大柄ながら皺だらけな老体を間近で見れば、す~っと気が抜けてしまった。
「さあ、続きを描くか。蜘蛛の足先の動きが上手く描けぬゆえ困った、困った」
北斎は、またも筆を墨壺に浸して、なにやら描き始めた。
「馬鹿親父、少しは人助けしてやらぬか」
崎十郎の罵倒に、北斎は筆を置いてぎろりと睨んだ。
「寸刻も惜しいゆえ黙って聞いておれば、言いたい放題をほざきおって。親に向かってその口はなんじゃ」
「ようやくやりとりが噛み合うて、めでたく親子喧嘩が始まりやがった」
お栄が愉快そうに茶々を入れた。
「今日という今日は言わせてもらう。親父は我が子をどう思うておるのだ。子をもうけておきながら、猫や犬の子のように貰い子に出せば済むのか。出戻ってきたお栄を、これ幸いとばかりにこき使いやがって。世間じゃどう言うておるか知っておるのか。お栄はまだ若い。わがままな老いぼれの世話ばかりじゃ可哀想だ。嫁いで幸せになれるところを、親父が足を引っ張りおって」
「世間」をもち出して非難した。
(まるで駄々っ子だ)とわかっているが、北斎と顔を合わせれば
お栄は、いつも
北斎とお栄は親子ではなく同志なのだ。
だから北斎はお栄がそばにいることを許している。
それにひきかえ、崎十郎は北斎にとって不要な人間だった。
画才がない崎十郎には入り込む余地がない。
消せぬ血のつながりゆえ、無性に悔しかった。