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第3話 特別な目

(やはり、今回のボスキャラはヴィポか)


 将棋で言えば王将、チェスで言えばキングが一目でわかるように、綺麗に1マスの区画に収まっているヴィポの身体の周りをなぞるように血のような赤色が纏わりついている。ゲームで言うところのボスを示す色だった。


(だから勝利条件1は、当然チェック・メイト。ヴィポを倒すこと、か)


 だがアレンには、実際にはそれが難しいこともわかっていた。ナイフ一本では肌に傷をつけることもできない。過去、幾度となく対峙してきてヴィポが誰かに倒されるのを見たことがない。


 結局はだから、試合が終わるまで逃げ切るしかない。勝利条件2、だ。


 アレンはふっと息を吐いて真上に顔を上げた。ぽっかりと穴の空いた小さな空は、雲一つ無く穏やかだった。気候が安定しているこの地のいつも通りの空だ。けれど季節は夏。今は良くとも戦いが始まれば、暑くてたまらなくなるだろう。


 ゲームのように、と考えたことは幾度もある。闘技場の戦いは、昔自身が赤羽あかばねあらただったときに子どものときから熱中していたシミュレーションRPGと同じ。違うのは、実際に戦うのが生身の体でリセットが効かないこと。


 仲間を失い、たとえ王将である自身が死んだとしても章の最初からやり直せるわけではない。だから、これまでは生き逃げることを最優先にしてきたわけだが。


(ヴィポの勝利で決定だ。だが、何かしないとさすがにマズいか?)


 戦いの前に、成果を上げないとランクが下がると脅された。同じ奴隷だとしても経験や強さ、人気度によってランクがある。A~Eまでの5ランク。A、B、Cまでは豪華さは違えど同じ個室だが、それ以下は共同部屋だ。現在のアレンのランクはC。つまり、今日、誰もがわかるような成果を上げられなければ個室を取り上げられて共同部屋へ強制移動させられる羽目になる。


(ゆっくり本も新聞も読めないのはお断りだ。目立ちたくはないが仕方がない)


 アレンは会場を見渡すとまた深いため息を吐いた。


 歓声が高まっていくにつれて会場のボルテージも上がっていく。最高潮に達したところで銅鑼どらが鳴らされて、試合が始まる。


 試合とは名ばかりの殺し合いが。試合などと生温いモノを観客は求めていない。大金を注ぎ込み、ギャンブルの役割も兼ねている闘技場で行われているのは、人が血を流し、死の恐怖に立ち向かい、絶叫が轟くホラーショーだ。


 それでも。ショーには終わりがある。時間制限がある。ならばその終わりまで生きていればいい。


 アレンは知っている。かつて自分がいた世界でも同様のことが行われていたことを。奴隷は命すら保証されていないことを。


(力の無いものが生きるには逃げるしかない。自由を捨てても、どんな手段をとっても)


 耳をつんざく銅鑼の音が鳴り響き、奴隷たちの雄叫びが沸き起こった。


 多くの奴隷たちが各々自慢の得物で突撃していくのを尻目に、アレンが真っ先に取った行動は安全な場所まで全速力で後退することだった。


 闘技場に安らげる場所などない。普通はそうだ。どこにいても敵は向かってくるし、観客の目もある。卑怯にも逃げようものなら一斉に怒声が浴びせられ、標的とされるだけ。


 だが、アレンの特別な目には安息の地が見えていた。奴隷たちの、各ユニットの移動と攻撃範囲が、それぞれゲームのように半透明の青色とオレンジ色で示されている。遠距離からの攻撃も想定して、全員の移動・攻撃範囲の外にいれば、まず一撃でノックアウトされる心配はなくなる。


(せいぜい派手にやってくれ)


 左右を見て安全地帯を確認すると、アレンは上質な白い石床の上に座り込んだ。太陽の光に熱せられた石の上は熱かったが、目立って攻撃されるよりはましだ。


 一歩間違えれば死──そのような状況下で奴隷たちは今、濃度の高いアドレナリンが放出されガンガンぶつかり合っている。それぞれなりに勝ち残るための、生き残るための作戦はあるのだろうが、目の前の相手をどう蹴散らすかにしか視座が置かれていない。ドラゴンは炎を吐き、ホークマンは弓を連射。他の者たちも華麗な武技や魔法を見舞い、火花が飛び散るような乱闘状態だった。


 そして、観客の目も当然ド派手な戦いへ向く。戦闘に加わらず、闘技場の端で座り込んでいる人間は視界に入らないのだ。簡単にクリアできる試合ではアレンは目立たぬためにいつもこうしていた。だが、今回は生き抜くためにも戦わなければならない。頭をフル回転させて戦術を練る。


(最初はこれでいい。あとは──)


 アレンは目を細めた。ナイフは決して離さず、注意深く探るように戦況を確認する。ヴィポとはまた別の赤色を纏ったユニットが次々と倒れていく。色が残っている者はまだ生きているが、色が消えた者は――。


 残存ユニットの数を数えながら、アレンの脳裏に浮かんでいたのは線香花火だった。数分。ほんの僅かな時間に花火が咲き、そして散っていく。試合開始から数分で、立っていたのはほとんどが歴戦の強者のみだった。


「や、やめてくれ……降参するから……」


 急に静まり返った場内を蚊の鳴くようなか細い声が風に乗って飛んだ。ヴィポが己の筋肉を誇示するように男の胸倉を掴み持ち上げていた。


「あ、謝る。謝るから、どうか、許してくれ……」


「あぁ!? 聞こえねぇな!! みなさん、こんな情けない細っぽっちの声聞こえますかぁ~?」


 ヴィポの煽りに観客席から大きな笑い声が起こった。「情けねぇ!」「それでも剣闘士かよ!」と、無責任なヤジも飛び交う。 


 またか、と思いながらもアレンは立ち上がった。いつものことだった。持ち上げられている男の顔は見たことがない。最近入った新入りということ。ヴィポのことを知らない新入りの中には、試合前に威張り散らすヴィポに一泡吹かせようとヴィポを狙いに定める。運が良ければ生きていられるが、運が悪ければ最悪の結末を辿ることになる。


「やめてくれよぉ……な、なんでもする。もちろんあんたには二度と逆らわない……バカにしたこと、あ、謝るから、なぁ……」


「あぁん!? だから、聞こえねぇんだよ!!」


 ヴィポの拳がさらに上がった。グリーンのバンダナのような布切れを頭に巻いた新入りの男は苦しそうに咳き込むと、太い拳を引き離そうともがいていた。見た感じは亜人種でもなくただの人間。武器で戦う以外、特別な力は持ち合わせていないのかもしれない。


「お前、言ったよなぁ。ウスノロが、だったかぁ? 頭に脳味噌詰まってんのか、とも聞こえた気がするけどなぁ?」


 観客はまだ笑い続けている。欲望が剥き出しになったような下卑た笑い声に、アレンは人知れず眉をひそませた。


(だが、今がチャンスだ。全員の目がヴィポに向かっている今こそ、局面を変える最大のチャンス)


 再び状況を確認する。足音を立てずに走るアレンの動きに合わせるように、一人の青色のユニットが動いていた。


「う……く、苦しい……頼む、やめ……」


「聞こえねぇって言ってんだろ!! 助けてほしいのか!? じゃあ、大声で叫べよ! 『助けてください』って! ほらっ!」


 ヴィポの手が緩み、男は大きく呼吸をした。生への安堵がにやけ顔に現れる。


「助けてくださぁああいいい!!!!」


 破裂音がした。走りながらもアレンはその様を目撃した。男の顔はヴィポに掴まれ、風船が割れるように弾けた。血に塗れたバンダナが石床の上に落ちる。


「助けるわけねぇだろ!! バカが!!」


 赤い花火が宙を舞う中、ヴィポとそして観客席から笑い声が沸き起こる。闘技場全体に響き渡る声は反響し、地獄のようなハーモニーと化した。


 生きるも死ぬも、ヴィポの機嫌一つ。ヴィポは絶対王者として闘技場のリングに君臨する。ヴィポがいる限り盤面は変わらない。


(だからこそ、だ! やるしかない!)


 アレンは気付かれぬようにヴィポの領域に入り込むと、勢いよく跳び上がった。


 陽の光に照らされ、光が反射したナイフの切っ先がゼリーのように柔らかい黄色い眼球を潰した。

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