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第2話 奴隷としての生


 陽の光がやけに眩しかった。遮る建物が何もない草木の枯れた大地に降り注ぐのは、暖かな恵みではなく顔を灼くような熱線。特有の暑さにも十分慣れたと思っていたが、ジリジリとした熱に体中から汗が噴き出し、喉は水分を欲していた。ただ立っているだけなのに。


 その日の気温は異常なほど高温を記録していた。時折、額の汗を拭いながら地平線の彼方をファインダー越しに見る。


 戦場だ。より正確に言えば、戦場になる予定地付近でカメラを構えていた。戦場では一瞬一瞬で状況が変わる。天気も一刻一刻変わり続けるが戦場の方が何倍も早い。だから、どれだけ接近できるか、どれだけ現実リアルに近付けるか。つまりはどれだけ生き続けられるかが、評価に直結する。レンズをギリギリまで絞るように、ギリギリまで戦場に残る。経験とセンス、そして勘が物を言う世界。


 空気が揺れた。ややあって爆発音が全身に突き刺さる。砲撃が始まった。


 灼けつく肌を汗が伝い、乾いた大地へと落ちていく。迫る風と轟音に息を呑んで、しかし無心でシャッターを押し続ける。肌がひりつくのは熱のせいかあるいは近付く死のせいか。


 カメラが切り取るのは一瞬だ。光景を収めるのは冷静な判断ではない。警鐘を鳴らす脳が発する言葉にならない声が、直感としてその瞬間を撮る。何千枚と写し取った現実のなかで使えるのはたった一枚か二枚といったところ。


 空気が揺らぐ。少しの驕りと油断があったのかもしれない。暑さで脳がとろけていたのかもしれない。判断を誤ったとわかったのは、ずっと後のことだった。


「アラタ、いい写真取れた?」


 現地の言葉で自身の名前を呼ばれたために、現実を忘れて振り返る。太陽のように輝く少女の瞳が目の前にあった。


「ああ──」


 と返事をする間もなかった。砲弾の音がやけに近い。耳をつんざくような音と目が眩むほどの光を感じたとき、咄嗟に少女の身体に覆い被さる。


 ──アレン・・・が覚えている前世の記憶はそこで幕切れだった。37年間の人生だった。思い出したのは、今の人生を歩み始めた6歳頃。ちょうど小学校に入学するか、しないかというときだ。だが、ここでは違う。教育など金持ちの貴族階級か平民でも上流の身分でしか受けることができない。


「アレン、久々の出番だ! わかっているとは思うが、今日の試合で何の成果も出せなかったら、お前、ランク下げるぞ!」


 生気ややる気が全く感じられない漆黒の瞳が瞬いた。アレンは、ところどころ跳ねている黒髪をかきながら面倒くさそうに返事をすると、新聞紙や本が乱雑に置かれた机に投げ捨てておいたナイフを手に取った。


 戦争に巻き込まれて死んだアレンは、今世では奴隷として戦いに明け暮れる日々を送っていた。



 ひんやりとした空気は同時に張り詰めていた。試合が始まる直前はいつもこうだ、とアレンは息を詰める。見渡す限り灰色の狭くカビ臭い石壁の通路には屈強な男どもが十数人集まり、前方の光差す入口を見つめていた。


 談笑を交わす者もわずかにはいたが、どれもが上滑りな会話に聞こえる。内心では腹の探り合いが行われており、軽妙に聞こえるジョークも虚しく響いている。ここでは誰もが同じ仲間であり、同時にまた敵同士でもあった。


 集団の一番後ろについたアレンは、今日の顔ぶれを確認する。新人から、何年、何十年と生き抜いてきた奴隷。誰もが筋骨隆々で傷だらけの男達ではあるが、得意とする武器や戦闘スタイルは様々だ。


 右目が潰れた赤竜の頭の男は、槍を得意とする。一方で隙あれば口から炎のブレスを吐き、複数人を一気に葬り去る。あるいは大きな翼を背中に生やしたホークマンは、その見た目通り空を自在に飛び回りながら攻撃を試みる。空中からの弓矢が得物だ。その中でも、一際巨体で壁の色にもよく似た灰色のスキンヘッドの男――ヴィポが今回の試合におけるキーマン、とアレンは見立てた。


「おい、アレン! 一緒になるなんて随分久しぶりじゃねぇか! まだしぶとく生き残っていたのか!?」


 スキンヘッドの男と目が合い、アレンは咄嗟に目を逸らした。観客の人気が高いヴィポは、闘技場におけるスターのような存在。目立たぬように戦いをこなしてきたアレンは逆に人気がない。人気のある者と人気のない者、両者が共に戦いの舞台に上がるのは三月みつきに一回、あるかどうかだった。


「相変わらず覇気がない! 存在感が無さすぎて気がつかなかったぜ! お前、実はもう死んじまってるんじゃねぇのか?」


 男はアレンに近づくと、何度も肩を叩き豪快な笑い声を上げた。


「やめな、ヴィポ。あんたが小突くたびにアレンの体が地面にめり込んでってる。試合の前に死んでしまう」


「ガハハハ! 悪い、悪い。せいぜい頑張れよ! 悪運のアレン」


 ヴィポは、アレンから手を離すと笑いながら集団の中に戻り、別のターゲットを脅かしていた。巨体だけでなく見た目通りの腕力は、体格に恵まれていないとはいえ、もう成人になるアレンの身体を軽く押しただけで石床に足先をめり込ませた。その気になればおそらくは人形のように握り潰すこともできる。


「大丈夫か」


 間に入り、手を差し伸べてくれたのは、犬の頭をしたコボルト族だ。顔には皺が寄り、目は窪み、茶色の毛並みの色も悪い。その顔からは栄養が足りないだけではなく、もう引退しなければいけない年齢を感じさせた。


「助かる」


 ひとり言のように小さな声で呟くと、アレンは手を握り石床にめり込んだ両足を脱出させた。コボルトの老犬は、耳をピンと立てて頷くとじっとアレンの目を見つめた。


「……何?」


 あまりにも見つめられているために、アレンは疑問を呈した。


 老犬は微笑んだ。


「質問してくるとは珍しいな」


「……そっちが何か言いたげだから」


 言いながらも違うな、とアレンは思う。いつもは絡まれないように気まずい雰囲気を察しても決して口は開かずその場を去る。


「確かに。そうだ──なあ、アレン、お前いくつになった?」


 質問の意図が読めない。だから正直に答えることにした。


「18」


 それを聞くとまた耳が嬉しそうに上がる。コボルトの感情表現は豊かでわかりやすかった。


「もう成人か。だとしたら10年以上はここに」


 コボルトがゆったりと話をしている間にも、そのときは刻々と近付いてきていた。心臓が大きく動くように、ざわめきが起きる。


「生き逃げろ、アレン」


 言葉はアレンには届いていなかった。地底から響くような太鼓の音に、高らかなトランペットのファンファーレが開幕の時を告げたからだ。


 男どもに交じり、一番最後にアレンは光の下へと出た。真四角に切り取られた石が敷き詰められた床に、ぐるりと囲まれた円状の観客席。円形闘技場──日々死闘が繰り広げられる奴隷たちの戦いの舞台だ。


 拳を振り上げ、あるいは身体を揺すり、思い思いに声援や罵声を浴びせる超満員の観客たちを眺めながら、アレンは腰からナイフを引き抜いた。


 両目を意識的に大きく見開く。時が静止し、闘技場は四角く区分けされたフィールドへと変わる。アレンの目にはその一つ一つに敵が配置され、直線上に進む時間軸に沿って動いているように見えた。


(……さて、今日も適当に生き逃げるとするか)

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