信介は、頭を回転させている。こういうタイプの人と会うのは初めてだ、でも弥辻は普通の隣人、ちょっと変な所はあったけど、ここまで変わった考えなのか、それこそ、この考え自体、弥辻の個性なのではないだろうか?
弥辻の存在自体が人間に否定的というのか、客観、または傍観できるなら、こういう風になってしまうのかもしれない。
弥辻のソレは産まれもってなのか成長過程での事なのか分からないが、観察や人間の興味の無さは、今までの行動から理解できる。
「考え方は理解しました。」
信介は、弥辻󠄀から目線を逸らし、垂れた汗を手で軽くなぞった。
そして、弥辻󠄀は思考する。スイカンを観察していくにつれ分かった事が、いくつか有る。まず、乾燥させる範囲は約2メートル、乾燥のスピードは人間が死に至るまで20秒ほど掛かる事だ。この攻撃といって良いのか、それともスイカンの性質という物なのかは、分からないが、非常に強力な能力であるとともに。本体はさぼど厄介でもない。動くスピードは、こちらが走れば距離が開くほどに遅いし、生物を乾燥させている間は更にスピードが落ちる。こちらが走って疲れた分、すこし休憩がとれるという、自分達には好都合な事だが、これには一つ欠点がある。
そう、生物を生贄にして、自分達が助かるという事である。僕にとっては、さほど何も思う事は無い。只の僥倖でしか考えない程に楽観的だった。人や生物の死にはナイーブでは無いためである。それどころか、人の死に際など滅多に見れたものでは無いので、その光景をも観察して人が干乾びて行くのを見ていた事により、新たに僕の手によって人でガードするという発想が導かれた。だが、こんな発想は一般人は考えないであろう。人の死を目の当たりにする。人を犠牲にして生きる。という考えは想像できても、実行に移そうとは考え無いのだ。これは心が有るとか脳が正常とかではなく、本能的に生物としての同種の仲間を犠牲にするという繁栄とは逆の衰退的な行動をしたくないと考えるから。
僕は生物に興味が無く観察だけをしていたい部類の人間なので、子孫繁栄などはどうでも良いのかもしれない。その点、スイカンに対して逃げているという事では生存本能は強いと言える。スイカンに対して恐怖してる訳で無く、どうやって、この場を生き抜くかを考え彼が考えた上で最善の行動をとっている。たとえ、それが非情な行動でも難なくやってのける所はスイカン並みに狂っている。
信介は、普通の人なので、弥辻󠄀が行った事は心を痛める行動で、メンタルの弱い信介にとっては、精神的ダメージがキツイ。走る事は、普段からランニングをしているので、さほど苦痛では無いが、突発的に慣れない予想できない認知できない事には、彼はパニックになってしまう。そろそろ動悸が始まるんじゃないかと思うほど苦しい。信介にとって、スイカンと弥辻󠄀はパニックメーカーであり、ストレス製造機なのだ。こんな状態が続くなら、早く自分の命を投げて楽になりたいと思うほどだが、信介自身も生存本能は強い。自傷するが、自分が死なない程度に傷をつける。自分が死ぬのが怖いと心の奥で考えた結果、自殺には至ってない。死ぬ事への恐怖が信介にとっての生存本能などである。信介も人間の繁栄を願って行動している訳では無く。自分のために生存という選択肢を選んでいる。だが、死ぬのが怖いという考えは誰しもが持っているものであり、信介が特別という訳ではない。自傷という普段から死に至る過程を味わっている信介だからこそ死への恐怖は普通の人間より敏感であるという事。この先、生き延びる上で一番大事だと思える事だと信介は自負している。
人の命を大切にせず、犠牲にして生き延びる事を目標にしている達観者であり観察者の弥辻。
自分の命が大切が故に、犠牲は仕方ない。死の恐怖から逃れ生き延びる事を目標としている自己愛の塊の信介。
彼らがスイカンと対峙して、打破できる事は可能なのだろうか。
公園のベンチで二人の男が休んでいる。スイカンは、まだ見える位置には居ないが。いつ、やってくるかも分からない。弥辻󠄀と信介はお喋りを辞め、立ち上がり逃げる準備をする。息を整え、足首を軽く回し、走るという事に万全を期す。スイカンへの勝利条件は掴めないが、また彼らは走り出す逃げる為に。