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第2話 未来の花嫁に挨拶したらどうだ? (アラン視点)

エレナ・アーデン侯爵令嬢、彼女と初めて会ったのは私が6歳の時だった。

完璧な礼法を身につけ、美しく実年齢より大人びて見える彼女は兄上の婚約者になる予定であった。


兄上は立太子すると同時に彼女と婚約することになっていた。

立太子することが、アーデン侯爵家がエレナを婚約者として差し出す条件だったと聞いている。


ライオット・レオハード、このレオハード帝国の第一皇子。

彼女の一つ年上で当時13歳になる兄上は燃えるような赤い髪に光り輝く黄金色の瞳を持ち、

すらりとした長身に、武芸に長けていた私の憧れであった。


兄上の赤い髪とエレナの赤い瞳、そしてエレナの金色の髪に兄上の黄金の瞳。

兄上とペアで作られた金糸をまとった真っ赤なドレスを着たエレナ。


成人をしていてもおかしくないように大人びた2人はお似合いで、

並び立つと、その神々しさに周りは息を飲んだ。


初対面のエレナと軽い挨拶だけを交わした日から1週間後、

両陛下と私、アーデン侯爵夫妻とエレナでお茶の席が設けられた。


「本日は皇帝陛下がお話があるということで、庭園の方へお越しください」


帝国歴史の授業を終えた私が言われるままに庭園へ向かうと、

美しく整えられ、赤いバラが咲き誇った庭園の真ん中のガーデンテーブルに、

両陛下、アーデン侯爵夫妻と銀糸をまとった紫色のドレスを着たエレナがいた。


「アラン・レオハード皇子殿下に、エレナ・アーデンがお目にかかります」

見惚れるような美しい動作でエレナが挨拶をする。

兄上の隣にいた時に着ていた彼女の瞳と同じ赤色のドレスに比べて、紫色のドレスは似合ってなかった。


「あら、侯爵令嬢の美しさに見とれているのかしら。素敵でしょう?令嬢の美しさが際立つように私がプレゼントしたのよ」


母上の言葉に少しづつ状況が理解できてきた。皇室の仲間入りをするから皇室の象徴である紫色のドレスを着せているということか。

しかし、続いて聞こえてきた父上の言葉は私の理解の範疇を超えていた。


「未来の花嫁に挨拶したらどうだ? 」

「は、花嫁?」

言葉が続かなかった。


だってアーデン侯爵令嬢は兄上と婚約するはず。

表情管理は得意なはずが、この時の私はおそらく皇子とは思えない間抜けな顔をしていただろう。

聞きたいことはたくさんあったのに、拒否権などないと言いたげな皇帝陛下の視線に掻き消され出てこなかった。


そのあと、どのような時間を過ごしたのか、長いようで短い茶会を終え一人部屋に戻り先刻の出来事を整理した。

1ヶ月後、私はエレナ・アーデン侯爵令嬢と婚約し、そして立太子するらしい。

尊敬する兄上から皇太子としての座を奪い、あれほどお似合いな婚約者を奪う。

その事実に私はただ恐怖した。


庭園でのことを思い出すと、美しいはずの真っ赤なバラがぐにゃぐにゃと兄上の姿に変わった。

「全てを奪うのか、血筋だけのお前が」

兄上にそう責められているようで眠れなかった。


これらの一連の決定は、急速に私と兄上の関係を疎遠にさせた。


私は時間があれば兄上の美しい剣技を見に行き、兄上と帝国の未来について語り合っていたが、兄上への後ろめたい気持ちから、できるだけ接触を断つようになった。


最初にエレナに対して抱いてた好感も薄れ、兄上をあっさり捨て自分に乗り換えたことへの軽蔑にも似た感情が芽生えた。


結局、私は彼女のことも避け続けたが、彼女と婚約し皇太子になる運命は変わらなかった。


母上の実家は帝国唯一の公爵家であるカルマン公爵家で非常に力を持っていて、

父上は生涯側室を持たないと母上に誓いをたて婚約し、カルマン公爵家の後ろ盾は第三皇子に過ぎなかった父上を皇帝の座に押し上げるのに十分だった。


父上の戴冠式と同時に成婚した2人であったが、3年もの間懐妊の兆しはなかった。

周りの貴族から側室を設けるように声があがっても、父上は頑なに首を振り母上の側にい続けたらしい。


しかし、ある日赤い髪に黄金の瞳持った踊り子が父上の子だという産まれたばかりの赤子を皇室に連れてきた。

父上はその子を認め第一皇子とし、母上はショックのあまり5年間ほどほぼ塞ぎこんでしまったらしい。


母上の父上であるカルマン公爵は激怒し、母上に離婚を促したが母上は皇后としての責任感からかそれを拒否した。

しかし、公爵の怒りは収まらずカルマン公爵家は皇室に匹敵するほどの力を持っていたため皇室権力は揺らぎはじめた。


そこで、帝国一裕福なアーデン侯爵の娘で年齢も近いエレナ・アーデンと第一皇子の兄上を婚約させることで、

少しでも皇室の権力を安定させようとしたと聞いている。


おそらく私の誕生により母上の実家は兄上ではなく私を立太子させるよう皇帝である父上に進言し、

アーデン侯爵も皇帝にならず、血筋に問題があると言われる兄上に嫁がせるより、皇太子になる私を選んだのだろう。


「皇太子殿下にエレナ・アーデンがお目にかかります」

婚約をしている以上、避け続けるわけにもいかず、

私とエレナはカルマン公爵邸で行われる舞踏会に馬車で向かっていた。


馬車は苦手だ、ただでさえ気持ち悪くなりやすいのに彼女への嫌悪感からか、

吐き気が止まらず、そっと嘔吐物を飲み込みながらなんでもないふりをした。


「殿下はダンスがお上手だと聞き楽しみです」

彼女が話しかけてきても、ほぼ無視していると彼女も黙った。

今日のドレスもおそらく母上の贈り物だろう。


前回纏っていた派手な紫よりは、優しい色の薄紫のドレス。


彼女の所有権は私にあるという母上からのメッセージが含まれている気がした。

どんな柔らかな色を纏ったところで彼女が権力のために平気で人を切り捨てる女だと思うと、優しい色のそのドレスもまた似合わなく思えた。

兄上の隣で金糸の赤いドレスを纏っていた時は、こんな美しい人が存在するものかと見惚れたのに。


足元がふらつきながら、馬車を降りる。

吐き気に嫌悪感が隠しきれたかが分からない。

少し屈むように長身の彼女が私の手を取る。


2人の影の身長差がまるで大人と子供のようで、

頭の中が沸騰するように怒りと恥ずかしさが込み上がったが必死に抑え込んだ。


周りから私たちはどのように見えるのだろうか?

年の離れた姉と弟?

エレナも私のような子供と婚約したことを恥ずかしいと思っているのではないか、

目先の権力に目がくらみ自ら私を選んだくせに。


「アラン・レオハード皇太子殿下と、エレナ・アーデン侯爵令嬢のおなーり」

会場に入り、彼女とダンスを踊る。

彼女をリードしてあげる気など毛頭なく自分のステップのみに気を配る。


いつも感情を出さないよう訓練したが、彼女には反抗的な気持ちを気がつけばだしてしまっていた。

臣下やメイドにさえ常に柔和でフラットな態度を心がけていたのに。

彼女が私を見つめてくれば、目線を外した。


ふと、外した視線の先の貴族たちが目に入った。

そこに浮かんでたのは間違いなく見惚れたような羨望の眼差しだった。

ものすごく踊りやすい。こんなに思うように踊れたことは初めてかもしれない。

そういえば、彼女の顔はこんなに近かっただろうか、もっと上の方にあった気がしたが。


思わず彼女の顔を見ると、彼女は分かるか分からないくらいの感じでうっすらと微笑んだ。

彼女はドレスの下で膝を曲げ腰を落として背を低くして踊っているのだ。

周りから見れば長身である彼女が、少し背を低くしたところで分からないだろう。


会場に入ったあたりからそうしていたのか?

どれだけ体幹が強いのか?

そんなことを、高いヒールを履いて優雅にできるものなのか?


それでも、私は彼女を認めることができなかった。


兄上への罪悪感を掻き消すため、

全ての罪をエレナに押し付けようと彼女から目をそらし彼女を心の中で批判した。


皇太子妃になるためなら、なんでもできる女なのだろう。

権力への執着とは恐ろしいものだな。

自分を気遣ってくれる彼女に気がつかないふりをした。


「本当に避けられないものだな」

気が付くと彼女のことを考えてしまい、それを振り払い、考えないようにし3ヶ月勉強に没頭した。

しかし、エスパル王国の王子が立太子する祝いに隣国であるエスパルに彼女と赴かなければならなかった。

隣国といっても馬車に2日間乗り続けなければならず気が重い。


道中は整備されてない道もあり一段と馬車酔いしそうだ。

気が進まなかったが、母上に言われた通りアーデン侯爵邸に彼女を迎えに行った。


「エレナ・アーデンが皇太子殿下にお目にかかります」

私は驚いて彼女を凝視してしまった。

彼女はかしこまったドレスでも、道中楽に過ごすための楽なワンピースでもなく、かっちりした乗馬服で私を待っていた。


「皇太子殿下、乗馬がお上手だと聞きました。せっかくなので道中観光でもしながら行きませんか? エスパル王国の宴会まではまだ日程がありますし、1週間かけて帝国の美しい名所をご案内させてください」

あっけにとられていると、彼女は続けてやや早口に喋り出した。


「アーデン家の別荘や、宿の手配などもさせて頂いております。おすすめのレストランにもご案内させてください」

あの完璧令嬢エレナ・アーデンが緊張しているのだろうか、唇が震えている。


「今日は、随分喋るんだな。それに早口だ。しかも、事前に相談するべきじゃないのか?」

私は、いつもと様子の違う彼女に思わず吹き出しそうになりながら言った。


「申し訳ございません」

彼女は焦って返事をして、それから何かを言おうと口をパクパクさせている。

完璧なはずの彼女が金魚のようになっている。


私はため息をついて少し困ったような顔を見せながら言った。


「仕方がないな、まずはどこに行くんだ?」

彼女の必死さが伝わってきて、流石に助け舟を出してあげたくなってしまった。


「紅葉の美しいオタム湖でボート遊びをしてから、郷土料理で有名な湖畔のレストランで食事をしようかと。」

ボート遊びなんてしたこともないが、彼女はどうなのだろうか。


「よく行くのか?」

提案してくるのだから、見知った場所なのだろうと思い尋ねた。


「いいえ、初めてです」

いよいよ、耐えられなくなった私は生まれて初めて声を出して笑った。


馬車から降りる松井えれなを見て、昔のことを思い出してしまった。

エレナの中に入ってしまったということを、まだ100%信じているわけではない。


皇后教育の疲れが出たり、最近、高熱がでたことがあったから記憶や精神に一時的に問題を起こしてるのかもしれない。


あの時もそう思って、嘔吐した彼女を部屋に連れて行くよう支持した。

それなのに、部屋に入り私が発した言葉は彼女がエレナであることを疑う言葉だった。

心の奥深くにある何かが彼女が私のエレナであるということを否定していたのだ。


「殿下、なんだか元気がなさそうに見えますが大丈夫ですか?」

毎瞬間、彼女は自分が私のエレナではないことを実感させる。


エレナは心配な時に大丈夫かどうかなど絶対に聞かない。

そんなことを聞けば、私が気を遣って返答すると分かっているから、

何か私のためにできることを自分で考えサポートしてくれるのだ。


あの1週間の隣国への旅程も、エレナは馬車酔いする私を思ってのことだった。

「急に旅行したいといって、息抜きでもしたかったのだろうか」

旅に同行した護衛騎士や使用人たちは納得が言っていないようだった。


「馬車で寝泊まりしながら行けば2日なのにな」

彼らの疑問のような愚痴のような話が聞こえてきてもエレナは気にもとめてなかった。

エレナは私のことだけを考えていたんだ。


それに気がついてしまうと、もうすでに芽生えていた恋心を認めざるを得なかったんだ。

そう、あの時から私たちはお互いを名前で呼び合うようになったのだ。


♢♢♢


ふいに現実に戻され、私は大切なことを松井えれなに注意した。

「エレナ、私のことはアランと呼んでくれ」

大切なことを忘れていた。周囲の貴族は目ざとい、突然呼び方が変われば関係が悪くなったなど噂を立てかねない。


「わかりました。私の完璧令嬢エレナっぷりに感動したということですね」

自分が評価されたのだと勘違いした彼女は得意げに言った。


「そうだ、馬車酔いも克服したようだしな」

彼女の調子に合わせてふざけて返すと、なぜか、ますます得意げになった彼女が言った。

「それはですね。私には秘薬がありまして」


なんだか長くなりそうな話をはじめたので、話をやめて気を引き締めるよう注意を促した。

どこで、誰が何を聞いているか分からない。

有る事無い事話を広げて人を貶める、ここはそういう場所なのだ。


「アラン・レオハード皇太子殿下とエレナ・アーデン侯爵令嬢のおなーり」

到着し、音楽が流れ出すとエレナの手をとりダンスを踊る。


彼女を見上げながらダンスを踊り、いつもとは違う踊りづらさを感じる。

ああ、本当に彼女は私のエレナではない。


私のエレナに比べれば劣るが、他の令嬢よりはダンスが上手い。

私が褒めるのを期待している彼女の視線から目がそらせず私は観念していった。


「なかなかのダンスの腕前だな」


松井えれなは褒められるのが好きなようで嬉しそうに返してきた。

「もう、夢の中でも踊り出してしまうくらい特訓しましたから、帝国史を片手にいついかなる時もステップを踏んでましたから」


彼女と話していると、私のエレナでないという落胆が常に襲ってくる。


「良い時間だった。」

お互いにお辞儀を済ませると本日の主役の到着を知らせる声が響き渡った。


「ライオット・レオハード第一皇子、レノア・コットン男爵令嬢のおなーり」


兄上は相変わらず堂々としていて精悍な顔つきには威厳もまとっていた。

ふと、隣にいる松井えれなを見ると真っ青な顔で唇をふるわせながら呟いた。

「表紙の男、表紙の女⋯⋯」


「え? 」

彼女の不可解な言動と尋常じゃない震えっぷりに、とっさに彼女をバルコニーに連れ出した。

「どうした ?何があったんだ? 」

何かに怯えたような彼女が心配になった。


「どうしよう、破滅する。どうしよう」

言葉が続かないほど彼女は動揺していた。


さっきまで得意げに見えた彼女を薄暗いバルコニーに連れ出すと、

紫色のドレスを纏った彼女はいつになく弱々しく幽霊のよいに消えてしまいそうに見えた。


「なんとかしないと、諦めたらそこで試合終了だ。なんとかしないと」


訳のわからないことを呟いている。

私は、只事ではない彼女の状況に声を掛けた。


「今日はもう帰ろう。アーデン侯爵邸まで送るよ」


そう言って、彼女をエスコートしようとした時、バルコニーに続く扉が開いた。

赤く燃えるような髪に黄金の瞳、兄上だった。

「アラン、兄の凱旋を祝ってくれないのか?侯爵令嬢も相変わらず薄情だな」


彼女は今にも泣き出しそうになり、私の服の裾をつかみ一歩下がった。

私の知る松井えれなは強気で、すぐに調子にのり、割とあけすけな物言いをする。

そんな彼女が助けを求めるように震えている。


「ラ、ライオン・レオタード第一皇子にエレナ・アーデンがお目にかかります」

焦ったように彼女が兄上に挨拶するが、声も震えているし名前も間違っていて間違え方も酷い。

兄上が引きつった顔になり何かを言おうとした時、扉が再び開いた。


「皇子殿下、皇帝陛下がお呼びです」

先ほど兄上と入場してきたレノア・コットン男爵令嬢だった。

兄上はエレナに凍りつくような冷たい一瞥を向けた後、宴会場に戻っていった。


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