ヒトの世界。
たとえばこのセヴァース大陸は、
レアかつ有用なスキルは大陸中で記録・共有され、レアスキルを持った者は、『スキルを持っている』というだけであらゆる面で優遇される。
現在、
ただの農村の男児がいきなりそのような大抜擢だ。行く先々で『勇者様!』と優遇され、その才能が成すであろう偉業をあてこんだ人々が絶え間なく支援をする。
勇者であるだけで、人生は開け、斜陽となることなどないように思われた。
……だが。
何事にも、限度というものはある。
「クソ! どういうことだ!? なんで僕が──姫との婚約を破棄されなきゃならない!?」
テーブルを叩き壊して怒りを発散しようとするが、まったくうまくいかなかった。
冒険者ギルド内で『勇者』アーノルドのいる一角だけがぽつんと周囲から隔離されており、中にいる冒険者たちはみな一様にこの『落ち目の勇者』とかかわりあいにならないよう、物理的・心理的に距離をとっていた。
才能が支配する世界。
だが、王制。
勇者というレアかつ有用な才能の持ち主。
だが、冒険者。
本当に才能がすべてを支配しているならば、この世界はレアなスキルを持つ者が人々の上に立たねばおかしい。
勇者というのが優遇されるべき才能であるならば、こんなふうに他の冒険者どもに混じって依頼を受けたりダンジョン攻略をしたりといったことをしているのはおかしい。
だが、現実はそうなっている。
なぜか?
それは才能というのが、あくまでも『戦う者』としての可能性を保証するものでしかないからだ。
おまけに、レアかつ有用な才能というのは、世代に一人生まれるかどうかもわからない。
……なので人々は、この才能をあてこみつつ、頼りすぎない社会で生きている。
すさまじく簡単に語るならば、
「それはその、アーノルド様が、必要な手続きを怠ったり、そのぉ……女性関係が、派手だから、かと……」
スキルはレアだが素行が悪いから。
そういう当たり前の理由で勇者アーノルドは、その評価を地に落としていた。
「僕は勇者だぞ!?」
勇者という名の厄介者への『事務連絡』を任されたギルド職員は、「ひぃ」と気弱な悲鳴を上げた。
そもそもにして勇者という名の暴れん坊、王様から目をかけられているので、あまり触れたくない。
だが『戦う者として鍛錬を積み、きたる危機に備えるべし』といった事情から、勇者を始めとして、有用な才能を持つ者は、冒険者として過ごすことが義務付けられている。
一定期間、かつ一定の成果を挙げるまで、という決まりはある。ようするに下積みであり、この期間で『有用な暴れん坊』に『社会生活』というものを学んでもらおう、という配慮であった。
……とはいえ、勇者という才能は、レアの中のレア。
たいていのことは目こぼしされる、のだが。
「ゆ、勇者といえど、一定の成果を挙げていただきませんと、そのぉ、様々な
「一定の成果なら挙げてるだろう!?」
「え、ええと、今週のノルマは……まだ、ですね……」
「あぁ!?」
「ひぃ……!? 今週のノルマはまだですぅ! あ、あと、テーブルの修理代もいただくことになりますぅ!」
この気弱でいかにも仕事を押し付けられていそうな、野暮ったいメガネをかけたギルド職員、たんに押し付けられただけではなく、気弱なくせに言うべきことははっきり言う性格をかわれてもいた。
なので面倒ごと担当のようになっているのは、本人にしてみればたまったものではないが。
勇者が騒いでいる中、他の冒険者たちは普段通りだ。
これまでは『勇者
勇者アーノルドの傲慢も、色欲も、そういった面を見せてもうかつに何も言えないような、そういう畏れだ。
だが、今は……
「僕を嗤うなァ!」
嘲りが、視線に混じっている。
少なくとも、アーノルド本人はそう感じている。
騒げば周囲は静まるけれど、すぐにまたガヤガヤと『いつもの風景』に戻っていく。
「どいつもこいつも僕を馬鹿にしやがって! 僕は勇者だぞ!? それを……」
「ゆ、勇者である前に、国民で、冒険者なので、必要な手続きはしていただきませんと……」
「うるさい! お前はもうしゃべるなァ!」
「ひぃ……!?」
アーノルドは叫び、冒険者ギルドを見回しながら考える。
なぜ、こうなったのか。
……答えは明らかだった。
(クソ! 面倒ごとを全部押し付けてたディがいなくなってから、こんなことばっかりだ!)
ディの『失踪』から、すでに二週間が経過していた。
冒険者ギルドへの報告としては、『ダンジョンでモンスターどもを食い止めさせるため、足に傷を負わせて置き去りにした』なんていうことを正直には言っていない。『モンスターの襲撃で分断されて、どうなったかわからない』と言ってある。
アーノルドは勇者であることを鼻にかける傲慢者ではある。
世間体などどうでもいい、なぜなら自分は勇者だから、と思ってはいる。
だが、それでも犯してはならないタブーというものも、心得ている。
『冒険者がダンジョンで仲間を囮にする』というのは、絶対にやってはならないことだ。
まして『囮にするためにケガを負わせた』などというのは……
最近の自分たちに向けられる『嘲るような視線』とあわせて考えても……
『バレたら終わる』。
そういうたぐいの『やらかし』だということを、充分に理解している。
……もっともそれは、理解しているだけで、罪の意識があるわけではない。
風評にダメージが入るから隠そうとしているだけで、『悪いことをした』という自覚があるわけではないのだ。
(なんで! なんで僕が、あんな無能の雑魚を置き去りにしたことを隠さなきゃいけないんだ! 僕は勇者だぞ!? 勇者の僕がこうして無事に帰って来たっていうのに、なんで世間はこんなにも、僕の生存を喜ばない!? ギルドの連中も、他の冒険者どもも、僕らの生存よりディの行方を気にする……どうしてだ!? あんな、何もない雑魚より、僕のことを気に掛けるべきだろうが!)
この世界は才能が支配している。
だが、才能のある者ではなく王の一族が国家を治めているし、勇者の才能を持っていようとも下積みや手続きといったことからは逃れられない。
先人たちの積み重ねによって、才能は努力を経ないと発揮されないことはよく知られているのだ。
国家に住まう者としての手続きもできない『才能ある者』が増長し、多くの被害をまき散らしたことを歴史が証明し、その対策がなされているのだ。
才能という『神が与えたもうた、その者の生きる道』のみで人を評価する集団もいる。たとえば、教会勢力など。
だが、国家はそういう集団ではなかった。
冒険者たちも才能がある者をもてはやし、才能がない者を馬鹿にする。
だが、『それはそれとして』なのだった。戦う者たちが実務を担う者を一段低く見るのは仕方のないことでありつつも、実務を担う者を失ったパーティの先が長くないことは知っている。
だから、そういう実務担当の、堅実な者を失った勇者たちを『ああ、終わったな。手続きもできねぇガキどもしか残されてねぇんだ』と馬鹿にすることはする。よくも悪くも、そういう無責任で他人事な『世間』がここにも形成されていると、そういう当たり前の話が転がっているだけだった。
その『実務担当』のディはといえば、才能がないので侮られつつ、彼の堅実な生き様や、努力を重ねる様子が一部では評価もされていた。
特にギルド職員からの覚えはとてもいい。何せ遅滞なくきちんと手続きを完了してくれる人だからだ。また、王から『下積み期間の勇者』を押し付けられている感覚のあるギルドとしては、この『はねっ返りの暴れん坊』と自分たちとの間に立ってくれるディは優秀な人材であり、勇者からのわがままを『まあまあ』と弱めてくれる緩衝材、ある意味で肉壁としていてくれると便利な人材であった。
だからこそ、こうして勇者アーノルドはディのことを嫌っているというのはある。
『あいつがいたから、僕のわがままが通らない』ぐらいに思っているのだ。
その『あいつ』がいなくなってこの有様である。
(面倒ごと担当だろ! どうして勝手にいなくなる!? 戻ってきて僕の役に立てよな!?)
というのは見捨てた側が思うのがおかしい話なのだが、他責思考の極まった勇者アーノルドとしては、そう思わずにはいられなかった。
……そう思っていたから、
「ディさん!? 生きてらしたんですか!?」
その声に、アーノルドは目を見開き、驚いた。
冒険者ギルドの開けっ放しの広い入り口。
そこから入ってくるのは、ボロボロになったディの姿。
ここで『まずい、足に傷を負わせて見捨てたヤツが戻って来た!』と思うより早く、勇者アーノルドはこう思った。
(ああ、やっぱり神は僕を評価しているんだ! 僕が『戻ってこい』と望んだから、神がまたあいつを僕のもとに戻した!)
人生はいつもこうだったし、こうでなければいけない。
勇者アーノルドは改めて天からの寵愛を感じる。
……実際、アーノルドは神に愛されているのだが。
戻って来た男は、覚醒した『神殺し』。
こうしてヒトの世界は巻き込まれる。
勇者アーノルドと、それに恩寵を与える神。
そして、その神を祀る教会と、それから国家をも巻き込む『置き去り出戻り騒ぎ』は、始まってしまったのだった。