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たのみごと
たのみごと
煙 亜月
歴史・時代江戸・幕末
2025年01月28日
公開日
2,259字
連載中
おととしの年末に書いた辰年にあてた掌編です。

第1話

 縁側で一人、子は薄い色の着流しにあざやかな友禅だけを着て煙管をふかしておりました。暗がりに見えたのはそれだけで、いったいどこの子が迷い込んだのだろう、一丁前な武士持ちで煙管をやるなんてどこの分限者の子だろうと気がかりでしたが何分、暦は新年を迎えたばかりの夜半、おまけに雪も積もっておりましたもので慌てて声をかけたのです。


「ねえ、おまえさま、そんなところじゃ風邪をひくよ。雪見なら朝にするなり上に着るなり、兎に角なかへお入りヨ」


 すると子は煙草盆にこん、と灰を落とし、着物の前を合わせず立てってこういうのです。


「あたいは気にしないで。だから奥様も早く夜具へお入り。ここから見える月はいっとうよいものでなア、お構いなく」


 わたしは「あたしは下女で屋敷の見回りをしててサ、奥方はとっくに休まれておいでだよ。さあさ、まずは火鉢にあたりなさい。消したばかりで温いから」とすすめたのです。


 しかし子――見たところ十二かそこらの娘です――は、小さな乳も衿からのぞいて襦袢も着込んでおらず、さてはいよいよ風に吹かれて流行り病にでも罹ったら事だ、とわたしは自分の袢纏を脱いで子に差し出します。


 近くで見るとそれは見事な友禅で、いったいどこの呉服屋から買ったのか、そもそもこのようなものをわたしら下女が買える代物なのか、とにもかくにもとんだ友禅でありました。


「いんや、あたいはこの着物があれば温いんだ。朝になればどんなに立派かひと目で分からア」


「へえ、まあたしかに立派な振袖だこと。おまえさま、そんな上物を着て煙草なんぞお召しになって、もし焦がしちまったら――」


 その時です。子の額から左右に二本、角のような芽が生えてきたのにわたしはさすがに魂消てしまいました。


 これでも齢三十二、生まれがゆえに下女をやっておりますが丹力はあります。そのわたしでも腰を抜かしたのですから、なんといいましょう、その、「鬼」を目の前にしたら誰だって仰天します。


 鬼の子はいいました。


「すまぬよ。おどかすのが好きなわけじゃないんだ。あたいの家も武家じゃった。ところがある晩、残った竈の火が燃え拡がった。あるじも女中も、みな死んだ。さいごのさいごに、明日嫁入りという姉上がこの友禅を濡らし、生まれたばかりのあたいを包んでくれた。火は長く燃えてな――屋敷も、商家も、長屋に馬小屋、あたり一帯焼き尽くした。だからこの友禅は――」


「そんな、ひどい。それでおまえさま、生き延びられたんかえ? よう無事じゃったなア」


 わたしは胸に手を置いて子の姿を見つめます。角のようなものはまだありますが、話している顔はまだ童。とても鬼だなんて、鬼の子だなんて思えません。


「いや、あたいも死んだよ。大晦日に生まれたあたいは姉上の着物に守られて、でもどうにも火が強かった。周りじゅうが燃えて、見かけは無事だったがあたいの命も終わった。あたいは恨んだ。火の始末をしそこなった女中も、替えの利くあたいよりも嫁入り前の大事な自分と引き換えにした姉上も。あたいは火が憎い。怖いんじゃなくてな。そして――あんたが憎い」


 射竦めるような眼差しにわたしの丹は貫き通され、膝を折ってしまいました。


「あんただったんじゃな。あんたは今日の晩、竈の火をよく見ずに寝床へ入った。あるいは火鉢の火が拡がったのかも知れん。しかし今日の晩、あんたが寝床に入る折、よくよく火を見てから休めば、こうしてあんたにお願いをせんでもよかった。――あたいは十二年先から待っていたんだ。龍は十二年後、龍脈を伝い再び龍となってまみえる。龍脈は十二年に一度しかひらかん。龍の年に生まれたあたいが、その十二年先からこうして馳せ参じ――」


 すると子は膝を折り、手を突きました。この角は鬼じゃない。龍だ。十二支で一巡する辰がさらに一巡かけて、わたしの粗相を――。


「頼む! 後生だ。――今晩だけでもいい、今晩だけでいいから火の始末を頼まれてくれ。そうすれば姉上も、父上も母上も、女中らや、町のもンやその子らがみんな死なずにすむんだ。十干十二支の長ともいえる辰が、こんなことで人の前に姿を現すと思うたか? いや、あたいとて好きでこんなこと――けどな、この次となるとまた十二年後だ。その次も、またその次もじゃ。だから、今しかないんだ。どうか、聞き入れてくれまいか」


 鬼の子――いや、辰の子はそういい、額づいてわたしに頼みました。大慌てで姿勢を正し子と同じように、いえ、もっと深く平身低頭します。十二年。十二年間ものあいだ、辰年が再び訪れるまでこの子は待っていたのだ。わたしに、ただ、火の用心をせよというために。今晩、わたしが火の不始末をしたばかりにあるじ様も、この子も、わたしも――。


「も、申し訳ございませんでした! わたくしめのせいで、こんなに苦しまれて――ただちに火の始末をし、その場で自刃いたします。それで、わたくしめの命ひとつで賄えるのであれば、どうか、どうか!」


「否、命ばかりは取らん。ただ――そうだな、ただ、みなが無事に正月を迎えられたらそれでよいんだ。そろそろだ。そうだ、あんたはもうすぐある男と恋仲になる。なに、自分の歳のことは気にするでない。


 あんたは、その男の田舎へ嫁ぐ。こうして十二歳のあたいを見るのは今だけということだ。けども、あんたにも子宝に恵まれるやもしれん。長生きしてくれ」


 伏せていた面を上げた時にはあたりに誰もおらず、障子も閉まっており、すっ、と開けても煙草盆も何もなかった。狐に――いや、龍につままれた顔をして屋敷中の火の気を見に駆けずり回った。








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