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第一話




 ――『生きてくれ』



 その言葉は、呪いだった。


 かけた者に呪いのつもりはなかったとしても、立憐の中には呪いとして刻まれた。


 かちり、という音だったか。ことり、という音だったか。


 心の穴に欠片がはまり込んだ音がした。その穴は空いていた。ぽっかりとした空洞へ、呪いは最初からそこにはまることが正解だったかのように、跡さえ残さず入っていった。穴はふさがれ、あふれ出ていたものは外に出ていかなくなった。


『生きてくれ』。


 ただその一言だけで、立憐の中の何かが変化した。


 だが、立憐にとって、そのような変化はどうでも良かった。


 満砕に呪いをかけられたことも、呪いと認識することよりも、心底どうでも良い。


 立憐にとって問題だったのは、親友の死に直面した今だった。


 巫子歴十二年の祭典で、一人の護衛兵が亡くなった。その事実を認識できている者は少ない。


 満砕の養父母や義弟、兵士時代の仲間、神殿関係者、そして立憐。


 たった二十年の人生で関わった人々。満砕の死を心から死を悼んでくれる人々はそれくらいだった。決して多いとは言えない数だ。彼を知っている者の誰もが、彼の死を悲しんでいる。


 反して、巫子の死を悲しむ者は多い。


 そして、立憐という一人の人間の死を悲しんでくれる者は、満砕よりも少ないだろう。


 立憐が死んだら、最も悲しんでくれただろう人が、先に死んでしまった。


 ――まさか僕より先に死ぬなんて。


「ありえないよ、満砕」


 責めるような言葉がもれて、慌てて口を抑えた。違うだろ、と自身を叱る。立憐に彼を責める資格などない。


 満砕を殺したのは、立憐と言っても過言ではない。


 立憐がいなければ、満砕は死ぬ目に合わなかった。


 二十年の短い一生のうち、満砕が自分のことに割いた時間はいったいどれだけあっただろうか。立憐のことを考えていた時間の方が多い気がするのは、決してうぬぼれではないはずだ。


 満砕の人生は立憐のためにあった。立憐のことを思い、慕い、護り続けてくれた。


 立憐は満砕の献身に甘えた。甘えるしか、自我を保てなかった。


 寂しかったからだ。


 八歳のときに、突然両親のもとから引き離された。親友に別れを告げることもできなかった。予告なしに、一人ぼっちになってしまった。


 その後、十年間、立憐は耐えた。正確には「諦めた」が近い。


 どれほど待っても、両親や満砕が助けにきてくれることはなかった。巫子や国について教えられるにつれて理解する。決して親や友が薄情なわけではないことを。泣いても怒っても、巫子に選ばれた者を国が手放すことはないのだ。


 それならば、泣いたり怒ったりするだけ無駄ではないか。だから、親や友もまた「諦めた」に違いない。そう思うことにした。


 心が擦りきれていった。何も感じなくなっていった。


 心に亀裂が入って、そこは段々と大きな穴を空け始めた。穴からは大切なものが外へ出ていく。大切な何か。大事なことは分かるのに、それが何なのかを答えられない。出ていくのを止められない。段々と止める意欲もなくなって、抜けでていくことに意識を向けられなくなって、すべてが緩慢になっていく。


 ――ああ、もう駄目なんだ。


 段々と最期が近づいてくるのを感じていた。十年も巫子を務めていれば上出来だと、褒めてくる王宮の人間がいた。高官たちは誰一人、立憐を人間と見ていない。立憐の苦しみも悲しみも、何もかも知らないくせに。上から目線に褒めたたえる。怒りをぶつける気力も、もう少しも残っていなかった。次第に「怒り」を忘れてしまった。


 そのころに再会したのが満砕だった。


 満砕は立憐のことをずっと追い続けてくれていた。連れ攫われたあの日からずっと、満砕だけが立憐に手を伸ばし続けてくれていた。


 親でさえ、巫子として選ばれた立憐を諦めたのに。満砕だけが立憐を取り戻そうと、そばにいようと努力を続けていた。


 すがりつく先がない中で、満砕だけが光だった。


 すがりつかないわけがないではないか。手を掴んで、二度と離したくない。離されたくない。無我夢中にしがみついた。


 満砕に依存していることは分かっていた。だが、立憐はもう二度と満砕と離れ離れになりたくなかった。


 神官の中には護衛兵にべったりの立憐を咎めてくる者もいた。明らかに揶揄してくる者はいない。「巫子様のためにならない」と、さも立憐のためのように言ってくる。


 立憐は彼らの諫言を聞かないように耳を塞いだ。諫められても無視をした。


 べったりだと、甘えていると、分かっている。分かっているから、放っておいてほしかった。


 しばらくすると、吏安が気を利かせて根回ししてくれた。以来、満砕との仲をとやかく言われなくなった。


 吏安には頭が上がらない。立憐には満砕がいなくてはならない存在なのだと、彼だけが理解してくれていた。


 立憐は残り少ない命を、満砕とともに過ごす時間で埋めたかった。しっかりと巫子の務めを果たしているのだから、許されるべきという打算もあった。巫子に強く出られる者はいない。十年間の在任で、強かさは身につけていた。


 自分の方が先に死ぬのだから。


 もう長くない命なのだから。


 その思いは常に胸中にあった。誰も否定できない事実だったから、立憐はわずかに傲慢になっていたのかもしれない。


 傲慢と言われても良いから、満砕のそばで死にたかった。


 ――だから。


 満砕と最後にちゃんと交わした会話を、今になって後悔している。


 満砕が何よりも、誰よりも、立憐を大事にしてくれていたことを知っていた。一番に思ってくれていたことを知っていたはずなのに。


 気持ちを正しく汲んでくれないことに憤慨して、思わず本音が出てしまった。その言葉に、満砕が反論できないことを分かっていた。体の年齢に引きずられて、思考までもが子どものままだった。


 まさかその反論を、満砕が身をもって実現するとは、誰も思わないではないか。


「何で……」


 悲しい。


 「悲しい」と思いたいのに、立憐は「悲しい」がもうよく分からない。


 改めて「悲しい」を教えてくれる人がそばにいない。教えてくれた人がいない。もう二度と、教えてくれない。


「何で、死んじゃうんだよ」


 満砕は、もういない。


「満砕……!」


 もう、いないのだ。


 満砕は、立憐のたった一人の友は、立憐を護って死んだ。


 立憐は泣くこともできない。


 涙が出ないことに、少しだけ「悲しい」を思いだせそうな気がした。



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