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第六話


 護衛を強化する案を練っていたときの、突然の訃報だった。


 立憐の父、亞侘が病死したという。


 定期的に交わしていた優蘭からの文が遅いことを心配して文を送り、その返信が亞侘の死を知らせるものだった。


 自室で文を開け、満砕は呆然と立ち尽くす。頬を伝っていく涙を、ぬぐう余力さえない。悲しみと、それに覆いかぶさるかのような動揺が押し寄せてくる。


 どう、立憐に伝えろというのか。死に目に会うこともできず、母に寄り添ってやることもできない。行き場のない消沈を彼に負わせるのは酷だ。


 乱暴に涙を手の甲でぬぐった。泣いたことを、立憐に悟られるわけにはいかない。満砕は急いで顔を洗うと、鏡で念入りに目の充血がないかを確認した。

気落ちを隠して、呼吸を落ちつかせてから立憐の待つ奥の間に向かった。


「満砕、どうしたの?」


 満砕は亞侘の死を言わないことを選んだ。しかし、友の目は欺けない。立憐はすぐに満砕の不調を見破った。


「体調がよくないの?」


 添えられた手が満砕の頬を優しくなでる。元から気持ちを我慢することが苦手だ。抑えこんでいた悲しみは、勝手にふたを開けて噴きでてきてしまう。


「どうして泣いてるの?」


 立憐の変化のない顔を見つめながら、満砕はただ一言「ごめん」と告げる。何一つ知らないはずが、立憐ははくっと息を呑んだ。


「……そう」


 それだけをつぶやき、立憐はすべてを悟った瞳をした。


「少し……一人にしてくれないか」


 立憐は自分の体を抱えこむように抱き寄せると、小さな声でそう言った。その声に温度はなく、悲しさよりも困惑が強く現れている。


 満砕は涙を裾でぬぐうと、奥の間の外に出た。本当は立憐を一人にしたくはない。一人で抱えこまないでほしい。そう言えたなら、どれほど楽だっただろうか。


「満砕殿、巫子様は……」


「今は、一人にしてやってくれ」


 茶杯を運んでやってきた吏安に、奥の間の扉の前に座りこんだ満砕は伝えられる言葉が思い浮かばなかった。


「巫子様はだいぶ人間らしくなられましたね」


 何か察する部分があったのか、吏安は静かにそう言った。床に盆を置き、丁寧に茶杯を扱って、まだ温かい茶を注ぐ。黄金色の液体が銀杯にゆるやかに落ちていき、水面を揺らした。


「……そう見えるか」


「ええ。満砕殿がいらしてから、巫子様は楽しそうにされています」


 茶杯を渡され、拒否する必要もないため受けとる。温かい器の熱はじんわりと広がり、体温になじんでいく。茶の中に、自分の情けない顔が映っていた。


 悲しさを、教えたくはなかった。寂寥から無縁の場所で、笑っていてほしかっただけだった。泣き方さえも忘れてしまった友に、もどかしさを知ってほしかったわけではなかったというのに。


「ままならないな」


「それもまた人生であり、神が与えられた試練かもしれませんよ」


 吏安が信者でもない満砕に、神官らしいことを言うのは稀だった。


 神がいなければ、立憐が巫子になることはなかった。神を怨めしく思っても、吏安を責めるのは筋違いだと分かっていて、苦笑をこぼす。


「立憐が解放される日は来るんだろうか」


 立憐が巫子の役目を終えるということは……と考え、その先を考えたくはない。その先に未来は存在しないと痛いほど分かっている。もし、奇跡が起きて、立憐のほかに巫子が生まれ、巫子の任を解かれたら立憐は神殿を出るだろうか。


 それもまた、あり得ない。


 立憐は自分の苦しみを、ほかの子どもが味わうことをよしとしない。立憐とは、心優しく自己犠牲的な人間なのだ。


「嬉しい、腹立たしい、悲しい……あといくつ感情に名をつければ、立憐は生きやすくなるだろう」


 茶の湯気が段々と消えていく。温度もぬるくなって、手のひらだけが温かい。


 生きていてほしいと願うのは、満砕の身勝手な願望なのかもしれない。生を終えた方が立憐は安らかに眠れる。そう考えずにはいられない満砕は、ただただ立憐の笑顔を願っていた。




 満砕が巫子の護衛に就いてから、およそ二年が経過していた。


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