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第四話


 立憐は神殿から外に出るのを禁止されている。外の「穢れ」を神殿に持ちこまないため、とそれらしい表向きはあるものの、巫子に逃げられては困るのは献栄国だ。


 対して、巫子ではない満砕は神殿内に部屋を用意されているが、神殿外への出るのは自由であった。


 満砕はときどき気晴らしと称して王都に出ては、珍しい食べ物や道具、綺麗な装飾品などをこっそりと持ち帰っていた。食べ物は自ら毒見をし、品物も点検をしているが今のところ危険はなかった。


「これは……初めて食べる味だね」


 中に辛めの餡が入った饅頭に、立憐は目をチカチカとさせた。赤くなった口回りを拭いてやったそばから二つ目の饅頭に手を伸ばす。いつもよりも食指の動いている様子に、もしかすると立憐は辛い料理が好きなのかもしれない。「俺のもやる」と言えば、頬をふくらませてパチパチと瞬きを繰り返した。それが嬉しいという感情の表れの一片に見え、満砕はゆるやかに口角を上げた。



《 丘の向こうの宝物

あなたとの出会いを祝福して

一緒に手を握りましょう

同じ道を歩きましょう    》



 気分がよくなると自然と口は動いていた。立憐にその歌は届いて、食べるのを止めてこちらを見つめてきた。


「その歌は何? 献栄国の民歌とは違う曲調だ」


「これは悠都様――義母上の、故郷の歌らしい」


 そうなのかと口中でつぶやいて、立憐は食べかけの饅頭を見つめたままぼやいた。


「なんだか胸が温かくなる。そんな気がする歌だね」


 その反応が満砕を特別喜ばせると、立憐は自覚していないようだ。満砕は目を細め、泣きたくなるほどの喜びを噛みしめる。


「好きか?」


 立憐はなぜそう聞かれるのか分からない様子で、少しばかり考えてから頷いた。


「うん。好きだ、と思う」


「いつでも歌ってやる。だから、いつだって隣で聞いていてくれよ」


 唇の端に饅頭の滓がついているのを指でつまむ、些細な動作に紛らわせて、願望を口にした。


「うん、聞かせて」


 乞われるままに、満砕は歌の始まりから音を紡ぐ。特別歌がうまいわけではない。悠都のように美しい声色をしているわけでもない。それでもこの歌を立憐に聞かせてやれるのは満砕しかいなかった。


 いつか、歌詞の中の「丘の向こう」にある「宝物」を、立憐とともに見たい。そこにはきっと、満砕と立憐が望んだ過去と未来があるはずだった。




 謁見の間に通されたのは献栄国大王を支える最高官、斉丞相じょうしょうであった。


 ただの貴族位であれば、巫子は謁見さえも許されていない。初日に肥えた貴族の男が追い返されていたように、大王でさえも手順を踏まねば易々と会える存在ではない。巫子は神の一部と捉えられているからだ。


 献栄国では信仰と政治は遠くに位置する別のものと考えられており、政治を司る位の者は特に神殿内部に招きいれられてこなかった。


 政治をまとめる長といっても過言でない丞相もまた、その範疇にあった。半年後に控える式典に巫子が深く関わらなければ、謁見は許されていなかった。

椅子に腰かけた小さな体の前に立った斉丞相は、立派にたくわえた髭を上向きにさせ、拱手の姿勢をとる。


「久方ぶりにお目にかかります、巫子様。十年、いえ十一年ぶりでしょうか。あなた様が神殿に迎え入れられる前、宮殿で顔を合わせて以来ではありませんか?」


 多分に思惑を隠した笑みでへつらう斉丞相を、満砕は立憐の背後にたたずんで見つめていた。


「斉丞相、神殿にご足労いただき感謝いたします。巫子様はこのあと昼のつとめがありますゆえ、詳しい内容は神官長の私がお聞きいたします」


 巫子ではなく吏安が代わりに挨拶をすると、立憐は早々に退座する。面布を揺らして、高い椅子から下り立とうとする立憐に手を貸す。彼の長い裾を踏まないようにしながらあとに従った。


「まさかあなた様が最長の巫子になるとは、思いもしておりませんでしたよ」


 すでに場を退こうとする者に向かって話を続けようとする斉丞相は、さきほどまでのご機嫌うかがいの雰囲気を消し去っていた。不敬な態度に満砕の眉尻がぴくりと動く。


 斉丞相の言う最長とは、立憐の巫子となってからの在任年数を指す。半年後で行われる式典は、十二年間巫子を務めたことを大々的に祝すものだ。


「まあ、半年後も生きておられるかは分かりませんがね」


 聞き捨てならない台詞に満砕は勢いよく振り返った。足が止まった満砕のせいか、立憐も奥に続く戸の前で立ちどまる。


「丞相殿は巫子の死を軽んじておられるようですね。献栄神は巫子様以外の声に耳を傾けません。その意味を、今一度考え直すべきではないでしょうか。献栄国の丞相ともあらせられるお方が、信仰心がないとは思いたくありません」


 皮肉を込めながら強く咎める吏安。巫子である立憐は、立ちどまったまま振り返りもしない。その様子に、斉丞相は顔を醜くゆがめた。


「元平民の不老の化け物が、随分と偉そうに」


「何を!」


 侮蔑を吐き捨てた斉丞相に、満砕は携えていた剣に手をかける。斉丞相は完全に侮った様子で満砕を鼻で笑った。


「おまえも随分と巫子にご執心だな。そのまま囚われて生気を吸いとられぬよう気をつけよ」


「言わせておけばっ!」


「満砕」


 怒りのままに斬り捨てようと、剣を抜きかけた満砕を止めたのは、やはりこちらを少しも見ない立憐だった。


「行こう」


 静かにただ一言をかけ、立憐は戸の奥に消えた。


 煮えたぎった怒りは、目上である丞相に矛先を向けられない。憎々しげに口先を曲げる斉丞相を睨みつけ、満砕は立憐のあとを駆け足で追った。


 立憐は戸を開けた先の回廊を音もなく歩いていた。足音で満砕が辿りついたと分かったのか、振り返った立憐とようやく目が合う。その目に怒りの炎は一切灯っていなかった。


「おまえは怒っていい! なぜ怒らない⁉ 怒らないとだめだ!」


 立憐に怒鳴っても仕方ないと分かっていた。腹の底の憤りを止められない。身分が違う、地位が違う、丞相を斬り捨てれば満砕が不利になる。それでも、立憐を侮辱した言葉は、どうしても許しがたかった。


「満砕が怒ってくれたから、それでいい」


「よくない!」


 叫び返しても、立憐の瞳は凪いだまま。一人だけ怒っていることこそが間違いだと突きつけられる。怒りは冷めないものの、次第に共感してもらえない悲しさも生まれてくる。


 気持ちを発露しないために耐える満砕のこぶしは、力が込められ震えていた。


「くそっ!」


 微細に動くこぶしを怒り任せに壁に叩きつける。どんっと力強い音が回廊に反響した。


 こぶしを振るっても感情は収まらない。止まらない震えを見つめていると、その手をかけ寄ってきた立憐が握った。視界に立憐のつむじが入りこむ。


 それに、と落とされた声音に満砕の心は凍りつく。


「怒り方を、忘れてしまったよ」


 彼が感情を失っていると分かっていたのは、頭だけだったのかもしれない。満砕は本当のところで、まだその底知れない恐怖を知らなかった。とてつもなく悲しくなった満砕は、立憐の小さな小さな体を強く抱きしめた。



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