三つ編みに結った長い髪を後ろ手でいじりながら、満砕は暇を持て余していた。夏陀に付き添って呼ばれた宴の席で、貴族の何のためにもならない自慢話を聞かされている。
このようなきらびやかな場に、戦闘を生業とする者が出席するのは無粋だが、瓏家は歴史ある武家である。将軍であり当主である夏陀と、養子でありながら長子の満砕が招待された。貴族の機嫌取りが重要な任務であり、次の戦においての軍需物資をいかに彼らから絞りとれるかがかかっている。
表立って話をするのは夏陀だけ。満砕は夏陀の背後に立って構えているだけでいい。そうであっても、貴族も宴も好きではない。命令さえあれば、すぐにでもこの場から退却してしまいたかった。
宴の空気に慣れず、ごまかすように息を吸う。肺に酸素が入りこんで盛りあがった筋肉が服を圧迫させた。
着慣れた軍装は正装であるとはいっても、華やかな宴には似合わず、方々からの視線が突き刺さってくる。中でも若い女の視線が多い。盗み見ているつもりなのだろうが、いくつもの戦場を駆け抜けてきた満砕にとっては分かりやすいことこの上ない。視線を返すと、彼女たちは総じて「きゃっ」と声を上げ、顔を赤らめ目を逸らすのだった。満砕はなぜ見られているのか分からず、困惑するばかりだ。
髪の房に触れていると、話題が自分のことになり、頭を集中させる。
「子息ももう十八に! いやはや、時が経つのは早いものだ。瓏将軍が平民の子を養子に取ったと聞いたときは、いったいどうなることかと思ったが、随分と立派になったものだ」
要は「平民ごときが」と、目の前の貴族は言いたいのだろう。心のうちが透けて見えるが、養子に迎えられてから幾度も言われてきた台詞である。物資のためならば表面上で笑顔を浮かべることにも慣れてきた。
いくら武勲を上げたところで、見方は早々と変わらない。満砕もまた、必要なのは身分であって、名前も知らない誰かの心証ではなかった。
「何でも巫子様の護衛役に選ばれたとか。何ともまあ、大役ではないか! 優秀な子息を持って、瓏家も安泰だな」
夏陀は後ろ手に組んだ手を強く握りこむと、「ありがとうございます」と手本のように機械的な謝辞で応じた。
夏陀と満砕は着座することも許されないまま、豪華な料理が冷めるほどの時間を、貴族によるほとんど誇大化した武勇を聞かされた。あくびをこらえるために、幾度も尻の肉をつねるはめとなった。
宴もたけなわとなったころ、ようやく解放された二人は、酒を一滴も飲まないまま場を辞した。
「ご苦労だったな」
顔に疲れをにじませないところが、さすが将軍である。満砕は前髪をかき上げて、深くため息を吐いた。
「戦場よりも疲れました」
「そうか。それにしてはお嬢さん方をうまくあしらっていたようだが」
「ちらちら見てきて、うっとうしいったらありません。分不相応とでも言いたいのか? 元平民だからって、見世物にしやがって」
愚痴を吐き捨てる満砕に、夏陀は微妙な顔をして口をつぐんだ。
「おまえは俺の想像以上の存在になったよ、満砕」
屋敷への帰路を辿りながら、夏陀と隣り合う。初めて会ったころと比べると、視線は随分と近くなった。育ちのせいか、夏陀の方が身長も体格も大きかったが、満砕はもう細身の子どもではなくなった。
夏陀は過去を振り返るように言った。
「まさか本当に巫子の護衛役を勝ちとるとは思わなかった」
目を細めて、どこか誇らしそうな夏陀に、満砕はくすぐったくて仕方がない。
巫子となった立憐のそばに行くと決めて、およそ十年。何も知らなかった子どもは、最強の称号を手にする将軍の右腕にまで上り詰めた。
「全部、夏陀様のおかげです。護衛役だって、夏陀様が王家に推薦してくれたんでしょう?」
養子に取ってくれただけでなく、夏陀は自分の武術のすべてを満砕に叩きこんでくれた。死なないように、守れるように、知識と技術を与えてくれた。夏陀への感謝と尊敬の念は尽きない。夏陀と、慈しんで見守り続けてくれた悠都がいなければ、今の満砕は存在していなかった。
深い感謝の念を込めると、夏陀は仕方ない者を見るような目をして深くため息を吐いた。
「献栄国は長きに渡って、近隣国と戦の渦中にあった。領土拡大を目的とした大国に戦争をしかけられ、献栄国は対抗する手段として軍事に力を入れた」
「どうしたんです、いきなり?」
「まあ黙って聞け」
夏陀は淡々と事実のみを語っていく。
「軍が攻撃の先陣を切っているなら、巫子の役目は守備だ。大国侵攻以前から国を守り続けてきた巫子は、今もなおその真価を発揮している。巫子を守ることが、この国を守ることにつながっている。だからこそ、巫子の護衛の役目は兵士にとって名誉職だ。――平民上がりのおまえがその地位を勝ちとるには、生半可な努力ではかなわない。そう、思っていた」
大国侵攻の流れで脅かされた近隣国は荒れていた。統率の取れない国の内乱、不穏分子との争いは外国にも及び、成長した満砕も戦場に何度も繰りだした。夏陀に鍛えられた腕で武勲を上げ、十八歳の若さで念願の巫子護衛役を任命されたのだ。
「満砕、おまえはよくやったよ。謙遜は時に自分だけでなく周りも貶める。もう少し、自信を持て」
夏陀の大きな手が頭に乗り、乱暴にかき混ぜられる。十八歳になっても、養父から与えられる温もりはこの上なく嬉しいものだった。
「父上!
屋敷の門をくぐると、軽やかな足音が近寄ってきた。慌ててあとを追いかける家僕を引き放して、満砕の腰に小さな子どもが抱きついた。
「
可愛い義弟の頬をなでながら、満砕は顔を下に向けた。
「えへへ! 義兄上たちが帰ってくるのを待っていました! 今日はもうお仕事はないでしょう? お歌うたって添い寝してくれる?」
「右南はもう七つになるだろう。添い寝は卒業したんじゃなかったのか?」
「母上からは卒業しました! けど、義兄上は別です!」
「まったく、随分と可愛いことを言う口はこれかぁ?」
口元をにやつかせながら、右南の餅のような頬をつまむと、彼はたいそう嬉しそうに顔をほころばせた。
「夏陀、満砕。おかえりなさい」
奥からやってきた悠都に、夏陀と満砕は揃って帰還を告げる。
夏陀と悠都の待望の実子である右南の手を引いて、屋敷の中に入る。仲のいい二人の子を見つめる悠都の瞳に、満砕の心はゆったりと満たされていく。
しかし、満砕の心にはいつも立憐がいた。
巫子の代替わりは十年ほど。二人が別れて、すでに十年が経っている。感情を捧げて結界を張り替えている立憐には、もう時間がない。限界の時は刻一刻と近づいている。今もなお巫子の座にいる立憐を思うと、満砕は心臓を掴まれたような息苦しさを味わう。
――もうすぐ、そばに行くよ。
柔らかな右南の手を握り、満砕は月夜を見あげた。