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第五話

「先代巫子は、私の従姉だったんだ」


 広場からの帰り道、馬に乗りながら琉架は静かに言った。見あげると、琉架は満砕を見ておらず、ただ前を向いていた。行き先を見ているというよりか、どこか遠い昔を思いだしているようだった。


「従姉はね、優しい人だったよ。兄弟の中で一番年下だった私のことを、随分と可愛がってくれた。平民だったけど、ひどく貧しいわけではなかったから、私たちは平和に日々を過ごしていた。つもりだったんだ」


 すべてを過去で言いきる琉架に、満砕は先代巫子である琉架の従姉が、もうこの世にはいないのだと遅れて気づく。


「満砕が知っての通り、王都から兵士がやってきて、無理やり姉さんを連れていこうとした。抵抗したおじさんおばさん、それから父さんを斬り捨てて、私は姉さんに庇われた。……姉さんは、連れてかれてしまったんだ」


 悲しそうに目を細める琉架に、満砕は何と言っていいか分からず、そのまま口を閉じていた。琉架は満砕が聞いていると分かった上で、落ちついた声音で独白を続けた。


「私も、満砕と同じ。王都まで遠くはなかったから、幼い足でも辿りついたよ。運がよかったのはそこまでで、帰り道が分からなくなってね。村の名前も言えない子どもだったから、どうしようもできなくて。姉さんを助けることよりも、まず自分の命が危うくなった」


「……それから、どうしたんだ?」


「君と変わらないんだよ、私は。命尽きそうなところを、瓏将軍に拾ってもらった。将軍は満砕を見つけたとき、おまえの再来だなって言ったんだ。まさか本当に満砕も、巫子様を追ってきたとは思わなかったけどね」


 遠くを見ていた視線を、琉架は現実に戻した。前に乗せている満砕を見下ろして、優しい瞳で見つめてくる。


 琉架は先代巫子のことをすでに整理をつけている。その穏やかな目を見て、満砕はそう思った。それは巫子が亡くなったからか、と聞けるほど、満砕は無神経にはなれなかった。


「私は諦めてしまったけれど、満砕、君はどうしたい?」


 まだ自分に選択をくれるのか、と満砕は少しだけ救われた。


 琉架は長く話してしまった、と自嘲して、それから話しだすことはなかった。


 満砕の頭の中に、ぐるぐると問題が回っている。馬の硬いたてがみが風にそよぐ様子を見つめながら、混乱した頭で考えを巡らす。


 立憐は、巫子になってしまった。神殿に入ったら、助けだせない。では、満砕ができることは?


 その答えを知る可能性がある人を、満砕は一人だけ思いつく。


 屋敷に到着して、部屋に運ばれながら満砕は琉架に頼みこんだ。「瓏将軍に会わせてほしい」と。


「将軍はお忙しい方だから、すぐには確約できないけれど、それでもいいなら。将軍も君の怪我を気にしていたしね」


「ありがとう、琉架」


「さっきより顔色がよくなってる。何か、決めたんだね」


 満砕は寝台に乗せられて、琉架に頭をなでられた。子ども扱いするなと払うところが、今は温かな手の感触が心をゆっくりと落ちつかせた。


「満砕が何を決めようと関係ない。怪我が治るまで、私は君を手助けするよ」


「……将軍の命令だから?」


「そう。将軍が君を生かそうとしたんだ。私も、将軍の立場だったらそうしただろうね。だから、私は私のできることをするんだよ」


「将軍も琉架もお人よしだ」


「お人よしはね、困っている人間を見捨てないんだよ」


 今度は豪快に頭をかき混ぜられる。その揺れに身を任せ、彼らを頼ることを決めた。それしか道がないと思いながらも、彼らを少しでも信じたいと思ってしまったからだった。




 琉架は宣言通り、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。鍛錬で抜けるものの、ほとんどの時間を満砕の介護に務めていたらしい。満砕は長い時間、深い眠りについていた。睡眠をとることで、体が治癒に向かったというのが医者の見立てだった。


「動物的な回復力だと医者が褒めていたよ」


「それ絶対褒めてないよ」


 顔を歪ませた満砕に、琉架はくすくすと笑った。


 眠ってばかりだったため、久しぶりに顔を合わせた琉架に世話の礼をする。琉架は仕事だからという姿勢を崩さず、礼さえも受けとってはくれない。


「瓏将軍が今夜帰ってくる」


 夕飯に粥を用意してもらいながら、思いだしたとばかりに琉架は言った。


「今夜って、これから?」


「食べ終わったら将軍の部屋に行こう」


「心の準備をする時間がほしかった」


「君、結構図太いから大丈夫だよ」


 けなされているのか、からかわれているのか。粥の皿を受けとりながら、じとりとした目で琉架を睨みつけた。琉架は子どもの責める目などお構いなしに、にこにこと表面上の笑みを浮かべている。


 重湯を腹に流しいれ、琉架に抱えられて将軍の待つ部屋に移動した。


「琉架です。満砕を連れてきました」


 幕が垂れさがった部屋の前で琉架がうかがうと、中から「入れ」と一言だけ端的に返ってくる。部屋に入ると、瓏夏陀将軍は巻物から目を上げず、敷物に腰かけていた。


 質素ながらも上品な造りの調度品。高級そうな敷物と文机が置かれているだけの部屋だった。満砕は夏陀の向かいの敷物に座らせられる。琉架は目でささやかな合図を送り、そそくさと部屋を出ていってしまった。


「俺に会いたいと、琉架から聞いた」


 二人きりにして置いていくのかと、去っていく琉架を二度見していた満砕に、夏陀が口を開いた。相変わらず巻物から目を離さず、視線は合わない。忙しい方なのだと事前に琉架から聞いていた満砕は、大して不快に思わずに答える。


「兵士から助けてくれて、それから怪我の手当もしてくれて、あの、ありがとうございます」


 今の状況が当たり前ではないと分かっている。自分がどれほど恵まれた立場にいるのか知らないわけではなかった。


「話はそれだけか? ならば、これで話は終わりだ。退席を――」


「将軍が、どういうつもりで見ず知らずの俺を助けてくれたのか、分からないんだけどっ! 俺に、巫子について教えてくれませんか?」


 普段敬語を使い慣れていない満砕は、噛みながらも言いきった。


 初めて、夏陀が巻物から顔を上げた。献栄国の民特有の青い目が、見極めるかのように凝視してくる。


 戸惑いが体中を駆け巡った。たじろぎそうになる心を、すんでのところで押しとどめる。自分は顔を背けるような意気でこの場にいるのではない。澄んだ色の目で、まっすぐ夏陀を見つめ返した。


「知ったところでどうする?」


「新しく巫子になったやつは、俺の大切な友達なんだ。巫子を知って、あいつのそばにいられる方法を探したい、んです」


「そんなことは不可能だと言ったら?」


「方法を知っていそうな人を、また探します」


「そしてまた怪我を負うのか」


「そしたらまた、あなたのような善人に助けてもらいます」


「結局、人任せではないか」


「人は一人では生きられないから。俺が助けてもらったのと同じように、俺も誰かを助ける。その初めの一人は、立憐でないと意味がないんだ!」


 夏陀は一切目を逸らさなかった。そのため、満砕も目を逸らさなかった。逸らしたらきっと、夏陀は話を終えると分かっていたから。


「はあ……何を知りたい?」


 深いため息を吐いて、敷物の横に巻物を放った。夏陀の話を聞いてくれる姿勢に、体の緊張がゆるまる。すぐに顔に力を入れ、真剣な眼差しに戻した。


「巫子は役目についたら最後、家に戻れないと聞いた。それは本当ですか?」


「事実、とするならば、そうだな。正確には、戻った者が過去に一人もいない」


 亞侘の言う通りの返答に、奥歯を噛みしめる。


「巫子は死期を悟ると、次代の巫子を予知する。そうやっておよそ十年ごとに代替わりをしてきた。ほとんどの巫子が、神殿に入ったら最後、神殿の中で死んでいく」


「それは、なぜ?」


「おまえは巫子の姿を見たことがないんだな」


 立憐のお披露目に連れていってもらった件は、おそらく琉架から伝達されているはずだ。それを踏まえて、満砕は首を縦に振る。


「巫子は神殿に入ったときと、変わらない姿で居続ける」


 夏陀の言葉の意味が分からず、満砕は眉間に皺を寄せる。


「実際は老化が極端に遅くなっているらしいが、長く生きた者がいないため、成長するかは誰も分からない。時を止めたように、五年、十年と、変わらない姿のままだ」


「待ってよ! 老化が遅くなるんだろ? だったら、なんで早死にするんだ?」


 約十年ごとに代替わりをしているならば、巫子は子どもの姿のまま。肉体にしても精神にしても、老衰するには早すぎる年齢だ。


 頭に警報の鐘が響いている。いやだと、聞きたくないと、耳をふさいでしまいたかった。


「体に負荷がかかるからだ。老化が遅くとも、子どもの姿であっても、力を使えばそれだけ別の何かを代償にする」


「だい、しょう……」


「巫子は力を発揮する際に心をすり減らす。結界を張る力をいただく代わりに、感情を捧げる。感情を喪失すると、心が死んでいく。体は生きているのに、心が生きることを放棄する」


 段々と血の気を失っていく。どこにも血が通っていないかのように冷たい体は、凍りついて固まってしまう。


「力を使い果たして、巫子は死んでいく。巫子が死ぬと、代わりの巫子が現れる。三百年に一度、巫子が生きていても新たな巫子が生まれるらしいが、それも定かかどうか分からない」


 頭が夏陀の言葉を理解することを拒否していた。知りたいと言ったのは満砕自身にもかかわらず。


「立憐、いや、巫子はそれを知って――」


「初めに説明がされるだろうな。もちろん、拒否はできないがな」


「そんなのって……」


 言葉をなくしてうつむく。治りかけていた足が、ずきずきとした痛みを発していた。


 立憐はすべてを知ってどう思ったのだろう。泣かなかっただろうか。いや、泣かないはずがない。立憐はいつも満砕の後ろに隠れているような子どもだった。満砕が手を引いて、道を作って、一緒に歩いてきた。彼を笑顔にさせるために生きてきた。泣いているとき、隣に座ってなぐさめる存在であったはずだったのに、今のていたらくはどうだろう。


 悔しくて、悲しくて、顔を上げられない。満砕の心を突きさすように、夏陀は事実のみを淡々と告げる。


「最初の話に戻るが、巫子は特別な者しかそばに置けない」


 巫子に近づく手段が閉ざされていく音が聞こえてくる。


「平民の子どもがそばにいく手段はありますか?」


「無理だな。神に仕える者でも、巫子の侍従に選ばれる者は数少ない。あとは護衛兵くらいだな。武勇に優れた者が選ばれる決まりだ」


 平民がおいそれと神聖な巫子に近づけるものではないのだと、暗に伝わってくる。夏陀は意地悪に話しているつもりはない。ただ現実を突きつける。無謀な子どもの覚悟を一つ一つ噛み砕いて、現実を教えこむ。


「分かっただろう。おまえにできることはない。怪我が治り次第、生まれ育った村に送ってやる。だから巫子は諦めろ」


 諦めろ、と直接言葉にされて、気づく。自分は一切諦める選択肢を求めていないのだと。


 その瞬間、満砕は決めた。


 夏陀は、口や態度は悪いが、誠実な心根の持ち主だ。怪我をした子どもを放りださず、今も満砕の行動を馬鹿にせず、説き伏せようとしている。その善意を、満砕は利用しようと心に決めた。


 顔を上げたその先に、悲愴感はない。


「将軍、お願いがあります」


「……だめだ」


「俺を弟子にしてください」


「今だめだと言っただろう。聞いてなかったのか」


 顔をしかめる夏陀に、まっすぐとした瞳を向ける。夏陀が頷くまで、頑としてこの場から立ち去るつもりはなかった。


「お願いします!」


「だめだ」


 満砕と夏陀の攻防は深夜を過ぎても続いた。途中、あまりに合図がないと琉架が入室したが、満砕の一歩も引かない姿勢を見て、休憩の茶を用意しだした。


 怪我をしている満砕を、夏陀は強引に連れださないだろうと予測していた。それは的中し、夏陀は口では恐喝めいた言い方をするものの、実行しようとはしなかった。ゆえに長々とした、「弟子にしてくれ」という訴えが続いたのだった。


 深夜から早朝に差しかかったころ、先に折れたのは満砕だった。折れたというよりも、子どもの弱った体に長時間の緊張は堪えたのだ。最後の最後まで頼み続けた満砕を、夏陀は無下にできなかった。


「弟子は取らない。……あとは、勝手にしろ」


 それは夏陀にとっての譲歩で、満砕の粘り勝ちといえた。


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