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第四話

 大きな窓から、燦々さんさんと明るい陽射しが入りこむ。


 どこが一番痛いか分からないほど、体は弱りきっていた。頭にきつく何かが巻かれている。感覚から、それは包帯である気がした。体を見れば、傷を負っていた箇所すべてに手当てがされている。


 随分と立派な寝台に寝かされており、顔を少し動かすだけでも、部屋の内装は今まで見たことのないものばかりだった。


 ――どこだ、ここ……?


 不安よりも、当然な疑問が頭を埋め尽くす。薄雲のような思考の先に、立憐の後ろ姿がよぎった。すぐに閉じそうになる目蓋をこじ開けて、麻痺した体を叩き起こす。


「ああっ! だめだよ!」


 満砕はそのとき初めて、部屋に自分以外がいたのだと知る。


「起きあがらないで。本当なら起きあがれる力なんてないはずだろうに。いったいどこからその気力はあふれてくるの? 頭の傷も癒えてないし、足の怪我だって治ってないんだから」


 そう諭したのは、少年から青年に足を踏みいれたくらいの男だった。男は満砕の肩を軽く押して寝台に戻す。元から力の入っていなかった体は簡単に寝かされて、満砕は大人しくせざるを得ない。


「立とうだなんて思わないでね。足にはひびが入っていたんだ。あと少しで骨折していたかもしれないって医者が言っていたよ」


 小さい子どもに注意する口調に、渋々と頷く。青年は寝台近くの椅子に腰かけると顔を覗きこんできた。


「私は琉架るか。瓏将軍の部下で、君のお世話を任された」


 あまりにそつのない名乗りに、満砕は自分が名乗るのも気づかず問い返す。


「瓏、将軍?」


「大王直属の兵団、第一部隊を任された指揮官。その方が瓏夏陀将軍。検問で暴力を振るわれていた君を助けてくれたんだ。覚えてない?」


 意識を失う寸前の記憶を辿ると、おぼろげな視界の中で誰かと会話をした気がする。その内容をはっきりとは覚えていない。


 力なく首を振ると、琉架は最初から期待していなかったのだろう。仕方ないと微笑むだけだった。


 将軍位にある、それも大王直属部隊の指揮官が、見た目が孤児の自分を助けてくれた。その事実を聞かされ、少なくもその記憶がうっすらとある満砕はただ疑問だけが残った。


「あんたたちは仲間なんだろ。なんで俺なんかを助けてくれたんだ?」


 将軍位に就く夏陀にとっては末端の検問兵だとしても、彼らは同じ軍に所属している。満砕の味方になるよりも、検問兵と一緒になって排除に回った方が士気も高まる。


 琉架は柔らかな相貌を真剣なものにして、間違いを正していく。


「私たちは国を守り、民を守るために存在している。君も、守られるべき一人だ。彼らの判断は献栄国の兵士たる自覚がなかった。ただそれだけの話だよ」


 その言葉に嘘の色はなく、琉架は心からの信条を語っていた。


 半月以上前、立憐を攫っていった兵士の姿を思いだし、検問時の暴力を振り返る。今まで虐げてきたやつらは献栄国の兵士だ。


 しかし、満砕を助けてくれた者もまた、献栄国の将軍だった。


 改めて、体中に巻かれた包帯を見つめる。医者へ治療を指示した者は夏陀にちがいない。固く結ばれた頭部の包帯に触れながら、怒りや憎しみをどこに向けてよいのか分からなくなっていた。


 じっと向けられていた視線がなくなる。座っていた琉架は寝台脇にある吸飲みに水をそそぐと、優しい手つきで満砕の口にそっと近づけた。意識がどれほどなかったのか知れないが、乾ききった口内に爽快さが広がっていく。


 水を飲みきる姿を確認した琉架は、吸飲みを遠ざけてから目線を合わせてきた。


「私は君の事情を知らない。だけど、これだけは言えるよ。瓏将軍が助けた時点で、私は君の味方だ」


 どこまでも誠実な姿勢。平和な村にいた満砕であれば、手放しで信じきっていた。だが、兵士の暴虐と、王都の人間の酷薄さを知ってしまった以上、疑いの目を逸らせない。


 水を摂って、少しばかり落ちつきを取り戻した。失った血はいまだに足りず、痛みも相まって視界が揺れている。


 現状、将軍である夏陀に保護、もしくは軟禁されている事実に変わりはない。夏陀の意図が見えない以上、早く立ち去った方がいい。だがそれも、怪我が治らない限り無理がある。


 夏陀の部下だといった琉架は、今まで見た兵士とは違って見えた。鎧姿ではなく、着ているのが軍服だからかもしれないが、短い間でも丁寧な言葉遣いや仕草から彼の善人さが際立った。


 こちらが助けられた側であるのだから、いつまでも不愛想なのは礼儀に反する。優蘭が言っていた。受けた恩は返しなさい、と。兵士への抵抗を呑みこんで、真摯な態度をとってくれる琉架に向き直った。


「……満砕、です」


 名乗られるとは思っていなかったのか、琉架は一瞬少年らしさを見せたが、すぐに穏やかな笑みを返した。


「満砕だね。よろしく。今は安静にして、怪我を治すことだけに集中しようね」


 深く眠って治しなさいと、琉架は満砕の目元を手で覆う。視界が真っ暗になると、程よい温かさからゆっくりと意識は遠のいていった。




 どれだけの時が経ったのか、闇をたゆたっていた満砕に知る方法はなかった。再び意識を浮上させたきっかけは、光の先から聞こえるにぎやかな音だった。段々と近づく音は大きくなっていき、気づけば目を開いていた。


 気絶したときと変わらずに、心地のいい寝台に寝かされている。喉の渇き具合から、この前からそれなりに時間が経過しているようだった。


 窓の外は明るく、今は朝か昼なのだろう。それにしても外が浮足立ったように騒がしい。眠りを妨げた音は、外部から響いてきた人の歓声によるものだった。


「目を覚ましたんだね。怪我の具合はどうだい?」


 ずっとそばで見守っていたのか、琉架はすぐに満砕の目覚めに気づいた。吸飲みを傾けられ、勢いよく吸いあげる。からっからの喉に、甘く冷たい救いが通っていった。


 どくどくと血液が体の中を流れている。水を飲む動作に集中していて遠ざかっていた聴覚が、再び窓の外の異常な歓喜の声を拾いとった。


「外が騒がしいけど、何かあったの、ですか?」


 口からこぼれた水を袖でぬぐいながら、たどたどしい敬語で尋ねると、琉架は吸飲みを片づけながらさらりと答えた。


「ん? ああ! 今日は新しい巫子様のお披露目があるんだ。王都の外からも巫子様を一目でも見ようと人が集まっているんだよ」


「え……」


 新しい巫子。その単語にぞわりと全身の肌が粟立った。体温がなくなってしまったのか、背中を寒気が走っていく。


「……行かなきゃ」


 口の中でつぶやいた本音は、脳に「すぐに行動しろ」と信号を送ってくる。


「行かなきゃ」


 もう一度声に出し、布団を飛ばしてはぐと、寝台から転がるように下りた。体勢を崩したものの、素早く体を起こし、足を踏みだす。体が振動するたびに痛みが足に響く。


「何してるの⁉」


 驚愕を浮かべた琉架が走り寄ってきた。琉架の体を押しのけて前に進もうとし、尋常ではない痛みが全身を駆け抜ける。


「つぅっ――」


「ひびが入ってるんだよ? 立てるわけないだろう?」


 体を支えてくる琉架が今は煩わしくて仕方がなかった。痛みのせいで思い通りにならない体も、満砕の焦りをかき立てる。


「放してくれ! 行かせてくれ!」


 はやる気持ちが悲痛な叫びとなって飛びでた。


「だめだ! 絶対安静って言っただろ?」


「行かなきゃ! 早く行かなきゃ、立憐が巫子にされてしまう!」


「巫子様? あっこら、行ってはだめだって!」


 這いずってでも進もうとする満砕を、琉架は軽々と横に抱えあげた。手足を暴れさせるが、満砕の小さな体は簡単に取り押さえられてしまう。


「お願いだ、放して! 立憐のところに行かなくちゃ、早く、行かなくちゃいけないのに! 俺が、助けるって誓ったのに!」


 琉架の体を押して逃れようともがくが、琉架は細身に反して一切力を弱めない。さすがは将軍の配下というべきか、彼より十以上も年下で、怪我をしている満砕に勝ち目はなかった。


 ――助けなくては、助けるためにここに来たんだ!


 思いがふくらめばふくらむほど、いったい自分に何ができるのか。何とか王都に辿りついても、検問一つ越えられない。何の権限もない満砕は立憐の元に向かう手立てもない。


 亞侘が送りだした理由も今なら分かる。子どもの足では王都には行けない、運よく行けたとしても王都の中には入れないと分かっていたのだ。自分から行動し諦めがつけば、村に帰らざるを得ない。彼にとっても賭けだっただろう。結局、村で兵士に気絶させられたときと変わらず、満砕は無力の子どものままだ。


 ぼろぼろになったのは体だけではなく、心もすり減っていた。会いたい、救いたいと、わがままにわめいているガキでしかない。


 段々と抵抗する力もなくなって、荷物のように横に抱えられたままうなだれた。ぽたりぽたりと頬を通過せずに、目からあふれた水滴が床に落ちていく。心にぽっかりと開いた穴はどんどん広がる。埋めてくれる存在を求めて、気持ちばかりがはやった。


 麦穂の束のように横脇に抱えられていた満砕は、いつの間にか琉架の腕の上に抱きあげられていた。真正面から静かに泣いている顔を見られたが、羞恥心は湧いてこない。その感情さえも抱く余裕がなかった。


「その立憐って子は、満砕のなんだい?」


 琉架は憐れむように瞳を向けていた。


 王都にまで追いかけてくるほどの、かけがえのない存在。それは何かと、琉架は問う。


「友達だ」


「友達、ね。友達のために、たくさんの怪我を負っても助けようとしてるの? それは、どうして?」


 再びの問いに、満砕はうまく答えられない。「友達だから」、それ以外の答えを持っていない。だが、琉架が求めている答えはそれではない気がした。


 満砕がすぐに返せないでいると、琉架は切なそうに目を細めた。


「巫子様はもう神殿に入られた。だから、君が助けだすことは不可能なんだ」


 残酷な事実を教えられ、現実を叩きつけられる。満砕は今すぐに目を瞑って、現実から目を背けてしまいたかった。


 琉架があまりにも同情的な視線を送るから、満砕は絶望に浸れない。


「巫子様のお披露目、私とともに見にいく?」


 予想もしなかった申し出に、目から大きな一滴を落として見開いた。


「……いい、のか?」


「いけないだろうね。瓏将軍には怒られるだろうな。私は君の見守りを頼まれただけなので、本当なら巫子様の元に行かせられない。広場で逃げようとしてもいいけど、おすすめはしないよ。それでも、行きたいかい?」


 琉架も、満砕に妙な提案をしていると分かっている。分かっていながらも、満砕に訳ありの巫子を見せようとする、彼の心根の優しさが伝わってきた。


「行きたい」


 今の自分にできることはないと、満砕もまた痛いほど理解していた。無力さをさらに痛感するはめになる。そうであっても、満砕は立憐に会いたかった。最後に見た光景が、泣き叫んで連れ去られる姿にしたくない。


 まっすぐな思いの丈を受けとめると、琉架は力強く頷いた。用意してあった真新しい服装に着替えさせられ、歩けない満砕は琉架に抱きあげられる。琉架の首に腕を回し、初めて部屋の外に出た。


 長い廊下が前にも後ろにも続いていた。手入れされた庭からは温かな日光が照らしている。堅実な屋敷の造りにしては、庭は華やかな花々で彩られている。


「ここは将軍のお屋敷だよ」


 好奇心をはやらせ、辺りを観察していた満砕に琉架は教えてくれた。


 屋敷を出て、いつの間にか用意されていた馬に乗る。


 ――ここが、王都……。


 人の多さに満砕は改めて王都の中にいるのだと実感した。商家が連なる大通りには、地面を覆いつくす人と品物の山があった。商人が品を安く売ると声を張り、身なりのいい男がその前を通りすぎる。露店が立ち並び、おいしそうな匂いを漂わせている。派手な外見の軽業師が曲芸を演じているかと思えば、どこかから講談師の声が聞こえてきた。山ほどに荷を積んだ車が横を通っていく。様々な目的を持つ者たちが入り混じる空間に目を剥いた。


 人の流れを追っていると、一定の方角に向かう人々の姿があった。どの人も高揚とした表情を隠せずに、連れの者と会話を弾ませている。その先が、満砕の目当てであると気づくのに時間はいらなかった。


「……巫子っていうのは、そんなにもすごいのか」


 嫌味のようなつぶやきは、琉架の耳にも届いていた。


「巫子の存在は誰しもが知っている。満砕も、小さいころに教わらなかったかい?」


「教わったよ、育ての親に」


「巫子様が結界を張ってくださるおかげで、私たちは平和に生活できている。巫子様とお会いできる機会は少ないから、祝儀のときは盛大に、国民の誰もが感謝と称賛を送るんだよ」


「……巫子だけが無理をして守られてる国なんて、なくなっちゃえばいいんだ」


 本音をもらせば、琉架は体を一瞬だけ強張らせた。怒られる覚悟もあったが、琉架は諭すように静かな声を発するだけだった。


「それは今までに巫子を勤めあげた、数多の巫子様に失礼だ。私たちは彼らの献身のおかげで、今も生きながらえているのだから」


 満砕は国民の多くが巫子の犠牲があると知った上で、それでもなお国を守る道を優先しているのだと認識しなくてはならなかった。


 ――そんなの間違ってる!


 国を否定し、歴史を否定し、慣習を否定したい。国の平和よりも、満砕にとっては立憐の命の方が大切だ。


 だが、満砕もまた、犠牲になる人が立憐でなかったなら、口をつぐんで巫子の制度に賛同していただろう。当事者になって初めて、人は被害を実感できる。


 ――気づいてからでは遅いのに。


 王宮を覆う、そびえたった石壁に近づきつつあった。正門の、さらに上の櫓に兵士が立ち並んでいる。


 正門前の広場に到着して、琉架は道の端に馬を止める。すでに集まった民衆の波に流されるように混ざり合った。


 広場に集まった都の民は、正門の櫓から新しい巫子が挨拶に出てくる姿を今か今かと待っていた。すさまじい熱気が空間を覆っている。


 群衆のざわめきに押されながらも、琉架は傷に障らないよう配慮してくれている。抱えられているため、他の人間よりも頭一つ分視界が開けている。王宮から距離は離れているものの、櫓の位置はしっかりと確認できた。


 人々の口に上る言葉は「新しい巫子様」について。みな、頬を上気させて、巫子の偉大さを語りあっている。そこに一人の人生を縛りつけている罪悪感はない。巫子とはそういうものだと思いこんでいるのだ。


 満砕は立憐の心を思った。恐怖に怯えていないだろうか。責任に圧し潰されていないだろうか。立憐は大人しく優しい性格の子だから、使命だと言われたなら「いやだ」とは決して言えないはずだ。わがままも、我慢も、口にしていないだろう。一人で、苦しみを抱えているだろう。


 ――立憐の苦しみは、俺の苦しみなのに。俺は、今何もできていない。


 ただ無為に傷を負って、立憐に駆け寄れない自分が情けなかった。


 一瞬にして湧きあがった盛大な歓声に勢いよく顔を上げた。


 白い衣装を着た神官に手を引かれ、王宮に通じる扉から出てきた小さな体。汚れや陰の一切ない真っ白な装束に身を包み、服と同じ生地で作られているだろう面布で顔を隠している。陽の光に反射してきらめく装飾は、巫子の神聖さを際立たせていた。


 歩を進めるごとに国民の歓声は大きくなっていく。新たな巫子の誕生に喜びの声を上げる民の声や姿は、満砕の視界に入ってこなかった。


「立憐……」


 満砕の目は、被り物が揺れるたびに覗く、立憐の表情をはっきりと捉えていた。ふわりふわりと、焦らすように揺らめく面布。その奥の、諦観と消沈の混ざりこんだ顔を目にした。


 そして、一瞬だけ交わる視線。時が止まったかのように感じた次の瞬間に、視線は明らかに逸らされた。


 満砕と立憐には距離がある。目が合ったと勘違いしたのだと思えばそれでしまいだ。


 しかし、生まれたころからずっと、立憐と満砕は一緒だった。満砕は立憐の動揺を感じとる。意図的に目を逸らされた。そう理解して、愕然とする。


 立憐は自分の立場を理解している。巫子に選ばれ、巫子として生きていかざるを得ないと教えこまれたはずだ。立憐を救いたいと無謀な道を進んだ満砕よりも、彼は現状を分かっている。


 満砕は勝手に、置いていかれた寂しさで目元が揺れた。短い間に、立憐だけが大人になってしまったかのような疎外を感じる。お門違いな感情だと思うも、ただ事実であるのは、満砕は必要とされていないのだ。


 立憐を助ける選択肢はなくなった。最初からなかった選択肢は、熱狂的な国民の姿によってかき消されていく。手を振って挨拶を返した新たな巫子は、再び王宮の奥に消えていった。そこに満砕の手が届くはずはなかった。


 巫子の姿がなくなると、琉架は人混みをかき分けて広場から抜けだした。その間、満砕は琉架の声に反応を返す余力はなく、呆然と下を向くしかなかった。


 広場での光景が目の奥にこびりついている。耳には献栄国の繁栄を祈る国民の叫びが残っている。


 ――立憐は、受けいれてしまったのか。救われる道を諦めてしまったのか。


 立憐は決めざるを得なかった道を進んだ。


 それでは、ちっぽけな自分にいったい何ができるのか。


 その答えを欠片も思いつけなかったが、一つだけ、満砕の心に残った覚悟があった。


 見捨てない。一人にさせない。


 生まれたときから変わらず、立憐の運命は満砕とともにあった。ならば、満砕の進む道も決まっている。


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