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第三話

「放せ! 何するんだ!」


「うるせえガキ! ここはおまえのような薄汚いガキが来るとこじゃねえんだよ!」


 屈強な男に首元の服を掴まれ、満砕はそのまま城壁の外に投げ飛ばされる。背中を強く打ちつけ、弾むように地面を転がった。


 見たことも行ったこともない地を、自分の足で駆け抜け、感覚が麻痺していた。打ちつけた背中は腫れあがり、体中あちこちに擦り傷ができている。


 血が流れてもなお、目に力を灯したまま立ちあがった。


 長距離の走行で靴は擦りきれ、むき出しの指が見えている。まめがいくつも割れては固まった血の痕ができていた。もちろん服も土埃や泥で汚れており、大きな穴があちこちに開いている。


 持ってきた食糧は七日で底をつき、それからは道中に育つ木の実や野草で食いつないだ。体力を越えた運動量も相まって、満砕の見た目は骨の浮いたみすぼらしい容貌だった。


「おい、ほどほどにしとけよ。城壁前を血まみれにしたら、連帯責任で俺らも怒られるだろうが」


「わぁってるよ!」


 仲間の兵士たちは愉快げに、満砕がなぶられる姿を見ている。


 薄汚れた貧相な少年が、王都を囲う城壁の検問を通ろうとして追いだされようとしている。その光景は王都を利用する者にとって、そう珍しいものではないのだろう。孤児が物乞いをしていると、商人の格好をした者たちは、嘲笑を浮かべて悠々と検問を過ぎていった。


 検問を担う兵士は、ふらふらと立ちあがった満砕の腹を思いきり蹴りあげた。つま先が地面から浮かびあがり、泡を吐いて崩れ落ちる。体に力は入らず、ぴくぴくと痙攣を起こす。視界が点滅しながらも、満砕は立憐が連れ去られたときを思いだした。


 ――俺は、なんでいつも無力なんだろう。


 立憐のいる王都に入ることさえできない、ひ弱なガキ。これでは、気持ちを押しこめて満砕のしたいようにさせてくれた亞侘に示しがつかない。


 ――こんなところで死んでたまるか!


 唇を強く噛みしめると、口の端に生温かい感触が通る。舌を伸ばすと鉄臭さが広がった。血の味を確かめて再び足に力を入れる。


「こいつ、まだ起きあがる気か?」


 なぶる行為を楽しんでいた兵士だったが、何度も立ちあがる満砕を不気味そうに見つめた。周囲で野次を飛ばしていた他の兵士たちも、冗談のつもりで言った地面の血だまりに気づくと、次第に口を閉ざしていく。


「なんだよおまえ、気持ち悪ぃな!」


 血まみれの足を動かして検問を越えようとする満砕に、兵士は大きく腕を振りあげた。風音を立てて落ちてくるこぶしに、これを受けたら死ぬだろうと思った満砕は反射的に体をのけ反らせた。


「いつから献栄国の兵士は、弱い子どもを虐めるようになったのか?」


 体勢を崩した満砕は足をもつれさせ、尻餅を突く。いつになっても痛みはなく、恐る恐る目を開けると、目の前に大きな背中が立ちふさがっていた。満砕へ振りあげられたこぶしは、体格のいい兵士よりも、さらに屈強な男によって受けとめられていた。


「ろ、ろう将軍!」


 震えた声は裏返り、兵士は怯えた様子で後退する。明らかに年少な者をなぶり続けていた兵士は、男の登場に完全に畏縮しきっている。


 将軍と呼ばれた男は、身にまとった鎧の重さを感じさせない足さばきで距離を詰めていく。そして、周囲にもはっきりと聞こえる声で「それで?」と詰問した。


「弱者を痛めつけるおまえたちは、献栄国の兵士と言えるのか」


「ぃ、いえ……」


「では、おまえたちは献栄国の兵士ではないということだな。いつから王都の検問によそ者が入りこんだのか。詳しい話は、基地でじっくり聞こう」


 将軍は片手を上げて合図を送ると、控えていた部下らしき者たちは検問していた数人の兵士たちを連行していった。抵抗する兵士を問答無用で黙らせていく部下の姿に、満砕は頭からの血も忘れて、呆気に取られてしまった。


 半開きになった口に血が流れこみ、むせ返る。将軍は外套をひるがえすと、満砕の目線にしゃがんで膝をついた。同じ目線に立ってくれる存在に、全身に入っていた緊張がほぐれていく。


「俺は瓏夏陀ろうかだ。おまえの名は?」


「……満砕」


「満砕、なぜ王都へ?」


 夏陀の声音は兵士を威圧していたときとは真逆に、低い声の中にこちらを気遣う響きがあった。


 村を出てからずっと張りつめていた気はゆっくりと緩まる。そうすると痛覚がにわかに浮かびあがり、ほとんど休みなしで走ってきた溜まりに溜まった疲労は限界に達していた。血を出しすぎて回らない頭は口を勝手に動かす。


「立憐と、一緒に帰るんだ」


「立憐?」


「連れてかれた……早く会わないと、立憐は巫子になってしまうから。だから……」


 絶対に帰るんだ。


 もう一度宣言しようとして口は回らなくなる。ぐるんと視界が一回転して、それから何も考えられなくなると、あっという間に意識を失った。



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