温かな布団の上に寝かされている。目を覚ました満砕に気づいた優蘭は、「あなただけでも無事でよかった」と言った。彼女にその言葉を言わせてしまったことに気づき、満砕は目の前が真っ白になる。
最後のあやふやな記憶は夢ではなく、現実に起きた最悪な出来事なのだと、状況を置かずして知るはめとなった。
「どうして?」
満砕は問わずにはいられなかった。立憐の両親こそ、その答えを知りたいはずだろうに。問わなくても、分かっているのに。
「立憐は、
満砕の昂った感情で揺れた声に反応して、優蘭もまた赤くなった白目から涙をこぼす。亞侘が支えるように優蘭をかき抱き、二人して体を小刻みに震わせた。彼らの悲哀が全身に伝わってきて、ただ呆然と布団の上で途方に暮れるしかなかった。
頬を流れ、顎を伝い落ちる水滴に意味などない。満砕はまだ立憐が「『巫子』に選ばれた」のだと正しく認識できていなかった。
「巫子なんて、使い勝手のいい生贄と同じじゃない!」
優蘭が耐えられないとばかりに叫んだ。
「やめなさい! どこで王都の連中が聞いているか分かりやしない」
「あの子は、あの子はそんな大それた存在じゃない! 普通の、どこにでもいる、ただの優しい子なだけなのに!」
優蘭はその場に崩れ落ちて慟哭した。
巫子は国の宝。国民の誰もが、その存在を尊いものだと認識している。
神官だ、奉仕だと言いながら、巫子は国のため、神に捧げられる。
巫子の力によって、献栄国全域に結界が施される。不可侵の障壁が張り巡らされ、他国からの攻撃を防ぐ。朝と真昼と夜の三回に渡り、作り直される障壁は巫子が国を守っている印だ。
「立憐は、……もう帰ってこないの?」
塩辛い口を動かして出てきた言葉に、自分自身でがっかりする。立憐の両親を傷つけると分かっていながら、安堵したいがための疑問を無責任に投げた。答えを分かっていながら、もしかしたらと希望を口にする。
亞侘は力なく首を振った。
「私が生きている間に巫子は三回代替わりした。王都では三回の国葬が執り行われたそうだ」
「国葬って、何?」
「亡くなった方への、お別れの儀式だよ」
神に捧げられた者は、神のもの。
巫子になってしまったら、もう二度と会えない。巫子とはそういう役割だと、今まで知らないはずはなかったのに。
色が変わる空を見て、「昼飯の時刻だ」と喜んだ。人生の中で身内が巫子になると、少しも予想してこなかった。
自分の中のちっぽけな世界に満足していたのだ。その世界が、壊されると少しの予想もしていなかった。考えなしの自分に吐き気がこみ上げる。巫子に、その家族に対して、ほんの一片の同情も与えなかった心の狭さ。今ごろになって気づく無情を、いったいどう整理しろというのか。
新しい巫子が決まり、自分の子どもではないと安心する親が、この国にどれだけいることか。「献栄国の当たり前」の慣習を、憎まずにはいられなかった。
立憐は友であり、兄弟である。ずっと、ずっと一緒に過ごしてきた。今までがそうだったように、当然と、これからも一緒だと思ってきた。同じ飯を食べ、同じ床で眠り、同じ時を過ごしてきた。
半身だった。
立憐は、もう一人の自分だった。
半身を失ったままで、生きていけるわけがない。
「満砕?」
亞侘はよく満砕の仕草を見ている。満砕の気配が変わったのをいち早く感じとってきた。いぶかしむような亞侘の声に、満砕はうつむいていた顔を上げた。
十歳以上老けてしまったような亞侘の瞳を捉え、そしてむせび泣く優蘭を見る。育ての両親に、満砕は誓った。
――俺は、半身を取り戻す!
痛む体を叱咤して立ちあがる。
大きな背負い袋を掴むと、食糧庫から日持ちする食材を詰めこめるだけ詰めこんだ。井戸から水筒に水を入れて、ようやく自分が寝間着に着替えさせられていると気づく。
「満砕、何を……?」
様子を見に外に出てきた亞侘を放り、部屋に戻って動きやすそうな格好に着替える。靴が脱げないように、布を巻いて足に固定する。これでいくら走っても、足を止める理由はないだろう。
「何をしているの? やめなさい!」
顔を涙で濡らした優蘭が立ちふさがった。
「そんな格好でどこへ行く気?」
狂乱気味に叫ぶ彼女に、後ろめたさなど一切ない真っ直ぐな瞳を向ける。
心は決まっていた。優蘭も、その覚悟が分かっているから、行動を止めようとしてくるのだろう。満砕は一歩も引くつもりはなかった。
「俺が立憐を、おばさんたちのところに帰すよ」
「そんなことができるはずないじゃない!」
「なんで言いきれるの? 俺は諦めたくない!」
「ここから王都までどれだけかかるか分かってるの? おまえが帰ってこられる保証もないのよ!」
「けど! このまま立憐のいない村で生きたくない!」
「満砕!」
優蘭は唇を震わせて感情を抑えると、満砕の肩を鷲掴みにした。その力強さによろめきながらも、一瞬も瞳を逸らさず見つめ続けた。
「満砕……お願いだから、おまえまでいなくならないで……」
掴まれた肩から、優蘭の心の叫びが伝わってきた。
――選ばれたのが、親のいない俺であればよかったのに。
自分が彼らに愛されていると自覚しながら、そう思わずにはいられなかった。
段々と熱を増す優蘭の手を優しくなでる。
「お願い。行かせてよ」
目が溶けてしまうのではと、心配になるくらい涙を流す優蘭。顔の皺を伸ばすように、そっと手で触れる。何度も何度も涙をぬぐって、彼女の悲しみを取り除いてやりたかった。
「必ず、帰ってきなさい」
背後に立っていた亞侘が、優蘭の体を満砕から引きはがす。
「二人で、必ず」
青い目で射抜かれる。立憐と同じ青い瞳に力強く頷き返した。
悲鳴のように「行かないで!」と泣く優蘭を振りきって、荷物を背負うとそのまま家を飛びだした。外にまで響く制止の声を鼓膜に焼きつけながら、足を前へ、前へと踏みだす。
後ろは一度も振り返らなかった。