沙癒は男達に連れられるように、ある場所に案内された。
「……よし、誰もいねーな」
そこは本校舎から少し離れた第二体育館。
早乙女学院には体育館が二つ存在する。
中高一貫校ということもあり、授業時間割の関係上どうしても体育の授業が重なる時間帯が発生する為、この第二体育館が建てられた。
しかし、この場所が使用されるのは雨の日にグラウンドに出られない時くらいで、実際にはほとんど使用されていない。
「ここなら、何したってバレないぜ」
「っへ、そいつは好都合だな」
沙癒を置いて話を進める男達は、不気味な笑みを浮かべている。
第二体育館は生徒はおろか教職員すらもあまり寄り付かない場所になっていた。
体育館裏は空き缶やペットボトルといったゴミが散乱しており、湿った空気が充満し、不気味な雰囲気を醸し出している。
そんな人気のない場所に沙癒を連れてきたのには理由がある。
それは、沙癒が男であることの証明。
沙癒が今着ているのは黒のセーラー服で、主に女生徒が選択する学校指定の制服である。
その姿からは、性別が男である事を信じられないのは無理はない。
見た目だけで沙癒の性別を判断することなど決して出来ないのだから。
「確認だが、ほんとに男なんだな?」
「……うん」
「じゃあなんでスカートなんて履いているんだ?」
「……それは、友達に勧められて」
沙癒が緊張を帯びた口調で受け答えしていると、二人は徐々に口調がきつくなっていく。
「――普通、勧められても履かないだろ」
「それな、男なのにスカートは無いわ」
眼鏡をかけた茶髪の少年の言動に、金髪の少年は同意をする。
たかが二人に否定的な意見を言われるだけで、まるで自分が間違っているような錯覚に陥る。
人の価値観は、他人で縛るものではない。
何が正しいか、何が間違っているのか。
それを決めるのは個人で、考えを他人に押し付けるのは意味がない。
そんな思想を持った初代学長があらゆる壁を取っ払う事を目標に設立したのが、この早乙女学院だった。
学生生活の中だけでも、そういった考えを持ってほしくないと願い、彼は様々な特殊校則を立てている。
しかし、その思想とは裏腹に、邪悪な想いを抱く生徒は存在する。
「お前がほんとに男っていうなら」
「証明してもらわないと、な」
いくら口で言っても信じてもらえないのであれば、別の手段を取るしかない。
見た目で判断が出来なければ、それ以上の事をするしかない。
結局の所、男達の目的はこれだった。
彼が男の娘であることを理由に近づき、あわよくば行動に移す。
同学年で話しかけやすく、同性である為に一人で連れ出しやすい。
そう、沙癒は彼らにとっては恰好の的だった。
「…………」
体育館裏は本校舎からは死角になっており、三人の姿は誰にも見られることは無いだろう。
助けを呼んでも誰も駆け付けてくれない。
そんな状況に置かれた沙癒は、非常に警戒心を強め、睨むように男達を見つめる。
コミュニケーションが苦手な沙癒でも、流石に二人の提案を断る事も出来た。
しかし、ここで断ってしまうと後々に何をされるか分かったものではない。
今日に限らず何度も粘ってきたり、別の形で報復を受けるかもしれない。
性的な目で見ているのであれば、突然襲い掛かってくる可能性も考えられる。
そして何より、狙いが沙癒ではなく別の人間になる可能性がある。
男という性別でありながら、それを感じさぬ美貌を持つ存在。
沙癒はその人物に心当たりがある。
それは、彼のとても大切な親友。
自分のせいで彼が不幸な目に遭うかもしれないと思うと、どうしても男達の提案を断ることが出来なかった。
「安心しろ、ちょっと触るだけさ」
ニタニタと不気味な笑みを溢す二人の表情からは、少しも安心出来る要素が見当たらない。
それを見た沙癒は後ずさりするように男達と距離を取る。
逃げ出したい気持ちが芽生えるが、相手は二人。
運動神経が良くない沙癒にとって、男二人を巻いて逃げ切る程の脚力はない。
男の娘は可憐で美しい。
ただそこにいるだけで見る者を魅了し、人生を狂わせる。
だからこそ目立ち、狙われてしまう。
周りを十分に確認した男達は、示し合わせるようにお互いを見てから。ジリジリと沙癒との距離を詰める。
それに反応して沙癒は後方に下がろうとするが、すぐそこに壁が迫っており身動きが取れない。
追い詰められたという圧迫感と、自分よりも大きな相手に睨まれる恐怖により体が動かない。
スカートのポケットにある携帯電話で助けを呼ぶという方法も、思い切って逃げてしまうという選択肢も、彼は取ることが出来ない。
彼は目の前の二人よりも、心の中に眠る最悪の記憶が呼び覚まされていたからだ。
――逃げようとすると、叩かれる。
――声を出すと、髪を引っ張られる。
――助けを呼ぼうとすると、自分の代わりに母が殴られる。
過去に受けた傷が、沙癒の脳裏に蘇る。
恐怖が冷静さを奪い、体を強張らせる。
昨日までの温かい日々が、まるで嘘のように水泡と化す。
「や、やめ」
弱々しく否定する言葉はとても小さく、二人には聞こえていない様子だった。
そして、金髪の少年が沙癒の体に触れようと手を伸ばす。
その瞬間に、沙癒は体を強張らせて目を閉じた。
何も感じないように、
何も聞こえないように、
恐怖で体を縛り、感情を殺す。
何があろうと、折れることがないように。
強く、強く。
弱い体を精一杯守るように、沙癒は身構える。
……しかし、何も起きなかった。
暴行を受けるどころか、体に触れられてもいない。
まるで時が制止したかのように、沙癒には何の変化も訪れない。
何が起きたのかと疑問に思い、沙癒はゆっくりと閉じた目を開く。
すると、目の前に大きな背中が映った。
自分よりも何倍も大きく、不気味な程雄々しい背中にも関わらず、恐怖を感じさせない優しい姿。
その姿は子供の頃から知っていて、何度も沙癒を助けてくれた。
何度も手を差し伸べ、希望に導いてくれた。
私達を、その身で救い出してくれた。
「――俺の弟に、何してんだ」
その人は、沙癒が世界で一番大好きな人物だった。