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紅い記憶⑦

「本当に後悔は無い?」


 僕の体にそっと触れた彼女が尋ねる。彼女の手は少しひんやりとしていて。僕の鼓動を少しだけ早める。


「うーん……無いかな」


 僕の言葉に、彼女は残念とでも言いたそうに淡く、淡く笑う。


「そう……」


 彼女は目を伏せると、僕の指先を噛もうとする。


「あっ、やっぱりあった」

「何かしら?」


 僕が突然声を上げた事に、束沙は怪訝そうな表情を向ける。


「君とこれから先の人生を歩めないのは、嫌だなぁ……。君と僕と、お腹の子の三人で、これから先の未来を過ごしたかった。それだけが心残りかな」


 僕は三人で過ごす未来を考える。僕らの子どもは男の子だろうか。それとも女の子かな。どっちにしても、きっと素直な良い子だろうな。君に似てね。


「私も……それだけが心残り」


 束沙はそう言って僕の指を噛み切る。けれど、噛み切られた部分から血は一滴も出てこず、更に言えば痛みもなかった。


「……美味しい」


 そう呟いた彼女は泣きじゃくりながら僕を食べ続ける。彼女の口の端から少しだけ流れ出る紅い僕の血を見て、食べられた僕の体はもう彼女の物なのだと悟る。

 徐々に、僕の体は束沙の中へと消えていく。彼女は一心不乱に僕を噛み千切り、租借し、そして涙を流し続けた。


 ――僕はある女の子が嫌いだ。

 冷たく僕を見下す彼女のことが。


「美味しい?」


 そう尋ねながら、僕は彼女の頭を撫でようとするが、そこには既に僕の腕はなく。幻覚の両手が彼女をそっと抱きしめる。せめてここに痛みがあればこんな思いはしなくて良かったのにとさえ思ってしまう。

 僕の両足が消え、生殖器が消え、腹部が消え。

 骨を噛み砕く鈍い音と、彼女のすすり泣く声だけが部屋中に響く。自分が居なくなる不安はなかった。心はとても穏やかで、早く彼女の中に入ってしまいたい。それだけを考え続けていた。


 ――僕はある女の子を恐れている。

 全てを見透かしたような彼女のことが。


 肺が彼女の中に消え、そして、心臓までも彼女の中へと吸い込まれていった。どういった理由で、僕が今生きているのかなんて分からない。でも、生首だけになった僕が生きているのは紛れもない事実で。その事実が面白くて僕は笑ってしまう。


「ねえ」


 束沙が生首の僕を抱きしめて、話しかけてくる。


「ん?」


 僕は彼女の匂いに包まれながら、返事をする。


「飛鳥さんは……私のこと。愛してくれる?」

「馬鹿だなぁ」


 もう僕が何を言うか分かってるくせに。彼女は首だけになった僕を持ち上げて、自分の目線と、僕の目線を合わせると、楽しそうに微笑む。僕の血をべっとりと口の周りにつけた彼女の笑顔は、どこか無邪気で。そして、落ち着くものだった。


「分からないわ」


 その言葉に思わず笑ってしまう。


「僕は、君を愛してるよ」


 僕らはそっと唇を合わせる。僕が味わう、最後の優しい感触。僕の体が束沙の物になったからこそ分かる、彼女と僕が一つになる感触。

 きっと僕は今、涙を流しているのだろう。だってこれほど幸せなのだから。


 成績優秀。スポーツ万能。与えられた仕事はそつなくこなす万能吸血鬼。それだけでなく、見た目もとても美しく、彼女だけがどこか浮世離れした雰囲気を漂わせている。けれど、誰よりも愛されたくて、愛したくて。不器用なりにだけれど、僕を心から愛してくれた彼女。


 ――僕はそんな彼女、速水束沙を心から愛している。

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