「アンタたちは逃げな!」
小さな悪魔みたいな黒い魔物を切り捨てながら、隻眼の女性が叫ぶ。彼女は……たしかクーリアさんだ。1つ前の4層で出会った冒険者だったはず。
あのときと同じように、兎も一緒にいる。あのときと違って、黒い兎だけど。しかも、強い。俺たちじゃ歯が立たなかった悪魔と渡り合えるくらいには。
それでも、敵の数は減らない。正確に言えば、クーリアさんが減らしているんだけど、そのたびに奥でこちらを窺っているボス悪魔が補充している。
おそらく、クーリアさんの指示に従うべきなのだろう。ここにいたって足手まといにしかならない。それはわかっているんだ。
「でも……!」
できなかった。だって、ここには先輩たちがいる。俺たちを守ろうとして倒れた先輩たちが。彼らはまだ生きている。今、手当てをすれば、きっと助かるんだ!
「ウォン……いいから……逃、げろ」
「そんな……」
そんなこと言わないで欲しい。俺たちがここまで成長できたのは先輩のおかげなんだ。それを見捨てて逃げるなんて、俺には……
「ウォン!」
「あっ……」
悲鳴のようなリンの声に顔を上げると、黒い悪魔がすぐそばに迫っていた。振り上げられた右手には鋭い爪。その爪が振り下ろされるのがやけにゆっくり感じられた。
死ぬんだ。俺は、こんなところで。
何も成せずに。先輩も助けられず、ただ足手まといのまま。
嫌だ……そんなのは嫌だ! 俺はまだ生きていたい! アイツらと……仲間と一緒に冒険を続けて、いつか一流の冒険者になりたいんだ!
だけど、その望みはここで絶たれる――――はずだった。
「クゥ!」
「うっ!?」
横手から強い衝撃を受けて倒れこむ。そのおかげで、悪魔の爪から逃れることができた。
その代償が黒兎の死。俺を庇ったせいで、悪魔の爪に体を切り裂かれたんだ。
「あ、ああ、ああぁぁぁ……!」
俺のせいだ。俺がモタモタしていたから!
「逃げろ!」
先輩が強い口調で叫ぶ。それでも動けずにいた俺を誰かが揺さぶる。
「逃げなきゃ、駄目だ。僕たちがここにいたら、迷惑になる」
フェスだった。普段の大人しい雰囲気はなく、その瞳には強い意志が宿っている。
コイツ……こんな目をするんだな。
そう思うと途端に恥ずかしくなった。無力さに打ちひしがれている場合じゃない。状況を好転させるためにも、俺たちがここにいては邪魔だ。
「ごめん……みんな撤退だ!」
遅くなったが指示を出す。
「転移ポイントのほうに逃げな! きっと団長が助けに来てくれるから!」
「わかりました!」
団長という人に面識はない。そもそもダンジョンでの出来事を知る術なんてあるんだろうか。疑問は浮かぶけど、問いただしている暇はない。とにかく、クーリアさんの負担にならないようにしなければならない。
俺たちは頷きあって、走りはじめた。
指示に従うなら、向かう先は転移ポイントだ。だけど、困ってしまった。位置関係を把握していない。もちろん、地図を見ればわかるけど、今はそんな時間すら惜しい。
「こっち」
だけど、ミナはしっかり把握しているようだ。こういうところが俺には足りていない……いや、反省はあとだ。
「クゥ」
「お前たち……」
「クゥ!」
黒兎が2匹ついてきた。問答をしている暇なはないと急かされているような気がして、それ以上の言葉は飲み込む。
「クゥ!」
「……っ止まって!」
転移ポイントを目指して走っていると、先頭を走るミナが急停止した。少し遅れて、十字路の右手側から黒い影が現れた。
「くけ、くけけ……」
「く、コイツら!」
悪魔だ。それも4体。
「クゥ」
黒兎の1匹が俺たちを庇うように……いや、庇って前に出た。“ここは任せろ”と、その背中が語っている。
「……いいのか?」
「クゥ!」
「ごめん」
俺は無力だ。だけど、足を止めるわけにはいかない。
さらに走った。転移ポイントまであと少しという頃、また悪魔が現れた。さっきよりも多い。
「クゥ!」
残った黒兎が悪魔に飛びかかりながら鳴いた。先に進めと言っているように思える。
けれど、無理だ。すでに囲まれている。ここまでなのか。
そんなとき、場違いな声が迷宮に響いた。
「あれ、君たちは?」
悪魔たちの向こうに立っていたのは、昨日の朝にあった少年だ。
そうか。クーリアさんがいたんだ。リビカが居てもおかしくない。
再会を喜びたいけど、今は……今は、まずい!
「逃げろ!」
5層まで来るくらいだから、相応の実力はあるんだろう。けど、コイツらは駄目だ。先輩たちもクーリアさんも、コイツらには苦戦していた。俺たちが足を引っぱったことを差し引いても、悪魔は強敵だ。
リビカの隣には初めて見る女の子もいる。年齢は俺やリビカと変わらない。おそらくは駆け出しだろう。あとは白い兎たち。黒兎たちくらい強ければ戦力にはなるだろうけど、敵の数が多すぎる。
やっぱり……勝てない。
すでに囲まれてしまった俺たちが助かるのは難しいだろう。だが、囲いの向こうにいるリビカたちは、まだ助かる。だから――――逃げろ、リビカ!
その叫びは声にはならなかった。突然、飛び出してきた白兎に驚いて、引っ込んでしまったからだ。
「よく頑張ったわね、ミミィ! あとは任せなさい!」
「クゥ」
あ、あれ?
今、兎が喋ったような……?
「ミミィが一緒にいるってことは、クーリアと会ったんだよね。あとで案内してくれるかな? すぐに片付けるから」
「は? え?」
「メイベルは彼らを守ってあげて」
「わかりました、師匠!」
そこからの展開はよくわからなかった。リビカが右手を振るたびに悪魔が真っ二つになり、左手を伸ばせば炎が迸って悪魔が焼け焦げる。たくさんの悪魔たちは、あっという間に消えてしまった。
しかも、それだけのことをやったのに、リビカは誇るでもなく平然としている。さらには、とんでもないことを言った。
「さてと。それじゃ、クーリアを助けに行こうか。クラン員を助けるのも団長の役目だからね」
………………団長?
団長!?