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第2話 Color of Grey⑫

「――ってことで俺には無理だった。これだけ世話してくれたのに申し訳ない」


 食堂で待っていたゴーマンに、ライアンはそう言って頭を下げる。つられるように、後ろのフィーもライアンと同じ姿勢を取る。


「やはりか……いやなに、無茶な依頼をしたのはこちらだ。カーライルくんが謝罪するようなことではないよ」

「だとしてもだよ。ただ、やはりってことはゴーマンさん。あんた、やっぱりオリビアさんが起きてるって気付いてたんだな」


 ライアンの言葉に、ゴーマンはスッと目を細める。


「騙してしまってすまないとは思っておる。しかし、あぁするしかワシには思いつかんのだ。許してくれ」

「ああするって?」


 フィーが眉間にシワを寄せながら問うも、ライアンは何も答えず、じっとゴーマンを見つめたままだ。


「分かった。君達には全てを話そう」


 ゴーマンはティーカップを傾けて唇を湿らせると、根負けしたかのように、長い長い息を吐き出した。


「あれはもう随分昔のことだ。鉄道業が少しずつ盛り上がりを見せていた時分で、時を同じくして戦争も佳境だった。それはもう忙しい毎日でね。オリビアと結婚したのもその時期だった。生活の全てが潤っていたよ。毎日仕事に明け暮れ、家に帰れば愛しの妻がいる……。実に満ち足りた生活だった」


 彼の表情は優しくて、言っていることが嘘ではないと分かる。しかし、そんな表情はすぐに翳りを見せてしまう。


「あの日、ワシが一緒に行こうなどと言わなければ、あんなことにはならなかったのだ」


 ゴーマンはそう言うなり、がっくりと項垂れてしまう。フィーが彼に何か言おうとするが、ライアンがそれを手で遮る。


「ゴーマンさん。二人に、その日何があったんだ?」

「忘れもしない。あの日、妻は攫われたのだ」

「……攫われた?」


 フィーの質問にゴーマンはこくりと頷いて、言葉を続ける。


「先程も言った通り、戦争は佳境に入り苛烈を極めていた。それでも、ワシには一流のボディーガードが着いておったし、その時訪れた場所はオリビアがずっと行きたいと話しておった場所だった。だから、不安がる彼女を大丈夫だと連れ出した。しかし、運悪く移動中にワシらは敵兵に襲われ、暗闇だったこともあり妻はワシと勘違いされて連れ去られた。それから数日後、なんとか妻を見つけ出したが、そこには以前の彼女はもうおらなんだ。ワシが駆けつけた場所には、痛め付けられ、正気を失った彼女がおった。何を言っても答えず、ただ一点を見つめたまま。彼女のそんな様子に、ワシはすぐに何をされたか分かったよ」

「そんな……」


 フィーがショックのあまり口を押さえて震え始める。ライアンはその肩をそっと抱いて、イニに目配せをする。


「フィー、大丈夫?」


 彼女はイニの言葉にコクコクと頷いて見せるが、青い瞳は大粒の涙が浮かんでいて、怒りと悲しみで今にも溢れ落ちそうだった。彼女もまた、近しい思いをした過去がある分、どうしても感情移入してしまうのだろう。


「フィー。辛かったら聞かなくてもいいんだからな」

「ううん、大丈夫。ゴーマンさん。それから……それからどうなったんですか?」


 震える声で訊ねるフィーに、ゴーマンは寂しくも優しい目を向ける。


「ソムニウムくん。君は優しいな」

「そんなこと……」

「いいや。その優しさは財産だ。君も過去に何かあったのだろう。だから、そんな表情になってしまう。辛い話をしてしまってすまないね」


 フィーはブンブンと首を左右に振って、まだ潤む瞳でゴーマンを見つめる。


「続きを、話してください」

「いいんだね?」

「……はい」


 震える声で言ったフィーをゴーマンはじっと見つめるが、やがて数回頷いてみせた。


「そこからは本当に大変な毎日だった。彼女はワシに怯え、使用人達にも怯え、何かあれば時間も場所も関係なく泣き叫ぶようになってしまった。その度にワシは『もう大丈夫だ。君を傷つける人はいない』と伝えても、彼女には届かない。そうなると近くに控えさせていた医師に鎮静剤を打たせるしかなかった」

「それってもしかして……」


 フィーの問い掛けに、ゴーマンは深い悲しみの籠った目で、そうだと答える。


「彼女がようやく今のように落ち着いたのはあの事件があってから十数年後のこと。オリビアはあぁして寝たふりをし、今なおワシを自分の機嫌次第で暴力を振るう悪者だと思っておる」

「離れようとは、思わなかったの?」


 イニの問い掛けに、ゴーマンは驚いたように目を見開いたかと思うと、ハハハと楽しそうに笑った。


「思うわけがない。何があろうとオリビアはワシの妻で、愛している。今も変わらず、ずっとな。それに、あんなことになってしまった原因はワシにある。どれだけ苦しかろうが離れるという選択肢はない」


 ハッキリと、どこまでも強い口調で言う彼に、ライアンは「なるほどね」と呟いた。


「だとしても、なんで流れ者の俺達に声をかけたんだよ。しかもこんな若造にさ」

「それについては巻き込んでしまってすまないと思っておる。ソムニウムくんにも辛い思いをさせてしまったね」

「あたしは別に……」

「いいや。三人には申し訳ないことをした。ただ、今も、『もしかすると』に縋りたくなるんじゃ。旅の者なら、もしかしたら彼女を救う手立てがあるのではないかと。実際、今オリビアが元に戻ったとして、幸せかどうかは分からんがね」


 窓の外へ視線を向けたゴーマンの表情は、悲しみとも諦めともつかないもので、ライアン達はただ、口を固く閉じることしかできなかった。

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