「――どうだイニ? 変なところはないか?」
「バッチリ。さっきまで肘のあたりがちょっと引っ掛かる感じがあったんだけど、今は全然。むしろ動き過ぎるぐらい」
ぐるぐると腕を回したイニが、満足そうに答える。その様子に、ライアンもホッと息を胸を撫で下ろす。
「すげぇなこれ。明日ゴーマンさんにもう一回お礼しとかないと」
先程ゴーマンから貰ったばかりの潤滑油をマジマジと見つめながら、ライアンが独りごちるように言う。
「そうね。今までのも悪いわけじゃなかったけど、こうもいい物を使っちゃうと前のには戻れないわね」
「本当にな。元々明日の依頼を適当にするつもりはなかったけど、これは気合い入れないとな」
ライアンがそう言って笑うと、つられるようにイニも「そうね」と笑う。
「それにしてもでっけぇ館だよな。俺ここで何修理させられんだろ?」
あてがわれた部屋をぐるりと見渡すと、先程まで食事をしていた広間にも負けない調度品が、まるで眠っているかのように、静かに並んでいる。
壁にかけられた大きな地図は、エリックの警察署で見た物よりも遥かに大きい。つっと上の方を見遣ると、故郷のブリテライズの端あたりが描かれている。けれど、ウエスト・ベルズ・ウッドはギリギリ描かれていないようだった。
何なら部屋に置かれたベッドには天蓋が付いていたりと、物語の中でしか見たことがないものも多数ある。
「これで一番小さな部屋って言ってたものね。車とか修理させられたりして」
「うげっ。さすがに車の修理はしたことねぇぞ。中見たら何が悪いかって分かるもんなのか?」
「どうかしら。でも、ライなら大丈夫じゃない?」
「んな適当な……」
ライアンははぁと大きく溜息を吐くと、椅子に掛けたラッシュバレー巡査から貰ったジャケットに潤滑油を仕舞う。
「そう言えばライこそ怪我はどうなの? かなり大きな穴が空いてたでしょ?」
「穴ってお前なぁ。まあ、利き腕じゃない方だし、無茶しなけりゃなんともねぇよ。切り傷の方も後数日ありゃ何とかなるだろ」
ライアンが言いながら身体をさすると、すでにカサブタになっているところが多数ありそこまで気にすることはなさそうだ。
「師匠のラクリマのおかげね」
「本当にな」
左の耳たぶから垂れるラクリマに触れると、ほんのりと温かい。
「師匠ならこんな怪我すらしなかったのかな」
「なんなら師匠が出しゃばるよりも早くソフィアが片付けてたでしょうね」
言いながら肩をすくめるイニに、ライアンは「違いねぇな」と笑ってしまう。
「二人とも元気かな」
「そりゃ元気でしょうよ。なんたって――」
イニがそこまで言ったところで、扉がコンコンと控え目にノックされる音が響く。二人は顔を見合わせていると、ゆっくりと扉が開かれていき、フィーがどこか怯えた顔で部屋を覗き込んでくる。
「どうしたんだよ」
「あっ、えっと、今って平気? 寝るとこだった?」
「いんや。さっき貰った潤滑油をイニに注してたところだよ」
「そっか……」
フィーはそう言ってホッと息を吐くと、そのまま部屋に入ってくる。彼女の手には、ゴーマンの使用人から渡されていた寝巻きがぎゅっと握られている。服のサイズが合わなかったのだろうか。
「あ、あのね。こんなお願いするのすごく恥ずかしいんだけど……お、お風呂につ、着いて来てくれない?」
「はぁ!?」
ライアンが思わずそう叫ぶと、フィーも負けじと「だって!」と叫ぶ。
「ここここここんなお化けが出そうなところ一人で歩けるわけないじゃない!?」
「お化けってお前なあ……子どもじゃねぇんだから」
「こっ、子どもかどうかは今関係ないじゃない!」
顔を真っ赤にさせて言うフィーに、ライアンははぁと溜息をついてイニを見る。
「だってよ。どう思う?」
「ライが結構大きくなるまで一人で眠れなかった話でもする?」
「あっちょお前! それはガキの頃の話だろうが!」
ライアンの顔がサッと赤く染まる様子に、フィーの顔がニヤァと楽しげに歪む。
「へぇ〜ライアン。一人で寝れなかったんだぁ」
「ばっ、ちげぇし! そんなことねぇから!」
「どーだか」
ニヤニヤと笑うフィーに何か言ってやろうと口をパクパクさせるライアンに、イニがやれやれとでも言うように、彼の服の裾を引っ張る。
「ついでにライもお風呂入っちゃったら? どうせお風呂入る前に寝るつもりだったでしょ」
「それは……まあ、怠かったし」
「だと思った。油触って汚いんだし、ちゃんとお風呂入ってから寝なさい」
ライアンはボリボリと頭を掻いてから、ようやく諦めたように大きな溜息を吐いて「分かったよ」と呟く。
何だか言いくるめられたような気がすると、イニとベッドに放り投げられていた寝巻きを拾い上げ、そのままフィーの待つ入り口へと向かう。
廊下に出ると、灯りは最低限で遠くは薄ぼんやりとしか見えない。これだけ広いと確かに雰囲気はあるなと内心頷く。
「ね、お化けとか出て来そうじゃない?」
「んなもんいたとしても、見えなきゃ怖くもなんともねぇだろうが……」
ライアンの答えに、フィーは不満げに頬をぷぅと膨らませる。
「見えない方が怖いの。わっかんないかなあ?」
「さあな。イニはどう思う?」
「機械人形からすれば生きてる人間の方が怖いわよ」
「イニに同感だな」
「えー! 二人ともそっちなのー!?」
そっちも何もないだろうと、ライアンはそのまま廊下を歩き出す。恐る恐る後ろを着いてくるフィーが何かを思い出したように「あっ」と呟いた。
「忘れ物か?」
ライアンの問いかけに、フィーは違うと首をふるふると横に振る。
「じゃあどうしたんだよ」
しばらく無言の時間が続いたかと思うと、やがてフィーはどこか真剣な面持ちのまま口を開いた。
「覗かないでね?」
「覗かねぇよ!」