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第1話 witch and doll and human㊵

「クソ! クソ! こんなハズじゃなかった! それをあの虫ケラのせいでこんな……クソッ!」


 ムアヘッドはフラフラとした足取りで署長室へやってくると、扉を勢いよく閉めた。

 耳に触れると、そこにあったはずのラクリマのカケラはなくなっている。


「あんの虫ケラがぁ!!」


 怒りのままに、机を蹴飛ばす。

 盗まれた。盗まれてしまった。こんな失態を、あの方はきっと許しはしないだろう。


「クソクソクソクソクソッ!! こんなハズじゃなかったんだ!」


 この地位に辿り着くまでは順風満帆だったのに。あの方から力を授かったことで、この町に根付く犯罪を犯すことでしか生きられない虫ケラどもを、金と力で支配することができた。表と裏、両方を支配でき、地位は確固たるものになった、はずだったのに。


「後少しで本部の椅子も手に入ったのだぞ!!」


 ドンと力任せに机を叩くと、立てかけていた写真立てがパタンと倒れた。

 ふいにここから逃げなければと、思った。遠くへ逃げなければ。今すぐにでもあの方の目が届かない場所まで逃げる必要がある。でなければ、自分の命はない。


 そうと決まれば荷物は最低限にする必要があるだろう。後はそうだな。経理のあの女を連れて行こう。あれはいい女だ。金が尽きればあれを女衒ぜげんにでも売り飛ばせば、しばらくは生きていける。今日は出勤しているはずだから、呼び出せばすぐにのこのことやって来るだろう。


 そう考えて壁に掛けられた黒電話の受話器に手をかけた時、こんこんと扉がノックする音が聞こえた。返事をしている暇はない。今は一刻を争うのだから。

 しかし、ムアヘッドが電話を掛けるよりも早く、扉がゆっくりと開かれていく。


「今取り込み中だ! 後にし……あ、あんた……!」


 入り口に立つその姿に、ムアヘッドは恐怖で身体が震え始める。金色の瞳が、ムアヘッドの怯えた表情を射抜く。

 なぜだ、なぜここにいる? あの方に一番近い存在。あの方の御言葉を信者へ広めることを生業とした巫女が、なぜこんな場所にいる?


「ふむ。あんた呼ばわりとは随分偉くなったものですね。ねぇ、ムアヘッド署長?」

「あ、いや……ドゥ様。これはですね……」


 ガクガクと震えるムアヘッドとは対照的に、ドゥは教会にいる時と同じ無表情のままだ。違うことと言えば、普段は真っ白なウィンプルに隠れた、その瞳と同じ色の髪を露わにしていることと、警察機構の制服を身に纏っていることぐらいだ。


「報告があったからと来てみれば……予想通りでしたね。まあ、思わぬ収穫もありましたが」

「し、収穫、ですか?」

「えぇ、収穫です。まあ、役立たずの貴方には関係のないことです。地べたを這う、虫ケラの貴方には、ね」


 虫ケラと、虫ケラと呼んだか? このワシを? あの虫ケラどもと同等に扱ったのか?


「こんの……巫女だかなんだか知らんが、このワシを侮じょッ――」


 ムアヘッドが喚きながらホルスターの銃を抜く――よりも早く、パンッと乾いた音が一発、室内に響いた。

 自身を虫ケラではないと信じて疑わなかった何かは、後頭部から血をパッと吹き散らすと、そのまま床に倒れ、哀れに痙攣することしかできなくなる。


「全く……これだから役立たずのゴミは困りますね。陛下が見たら何と言うか」


 ドゥがそんなことをぼやきながらホルスターへ拳銃を仕舞うのと、背後の扉が無遠慮に開かれるのは同時だった。そちらへ視線を向けると、見知った顔が地面に転がる肉塊を見て、うへぇとでも言いたげな表情を浮かべていた。


「あーらら。綺麗に頭抜かれちゃってまあ……派手にやりましたねえ、ドゥ様」


 にへらと笑いながら、ここではラッシュバレーと名乗っている男が言った。彼の口に咥えられた煙草からは、紫煙がのんびりと立ち上っている。


「……遅いですよ。ラッシュバレー巡査」

「いや、俺今日非番なんですって。おかげで何でお前がいるんだって質問攻めに遭うところでしたよ」

「でも、遭わなかったのでしょう?」

「それはまあそうなんですけどね。はぁ……で、俺がここに呼ばれたってことは、コレを処理する役目は俺ってことっすよね?」


 その言葉に、ドゥは当然だとでも言うようにこくりと頷いてみせる。ラッシュバレーは大きなため息を吐き出すと、「ですよね」と小さくぼやいた。


「それが貴方に与えられた仕事です。こいつと不貞を働いていた経理の女にでも、殺害の罪を被せておきなさい」

「へーい……。でも、この抜き方じゃあなあ」

「何か不満でも?」

「あんなのが撃ったにしては、あまりにも綺麗すぎますって」

「ですから少しズラしました」

「そんなん誤差の範囲でしょ……」

「何か、不満でも?」


 あまりにも澄んだその金色の瞳でギロリと睨まれてしまい、ラッシュバレーは降参とでも言いたげに両手を上げる。


「へーへー分かりましたぁよ。これが俺の仕事なんっすもんね。じゃあ、何の罪と動機で片付けときます?」

「そうですね……。それでは、痴情の絡れと横領、と言ったところにしておきましょうか。実際あの女が結構な額を私的に利用していることは既に割れていますから、問題ないでしょう。真実ではなくとも半分の事実があれば、それで事足りるのですから」

「おーこわっ」

「……陛下に今お話しされたことを全て報告してもいいんですよ?」

「うへぇ。冗談キツいぜ。……はーあ、はいはい。やりゃあいいんでしょ。やりゃあ」

「最初からそう言えばいいんです」


 フンッと鼻を鳴らすドゥに、ラッシュバレーは面倒なことが増えたとばかりに、首の辺りを触りながら考える。


「あっ、そうだ。ドゥ様は普段の修道服も似合ってるけど、今のその格好も最高に似合ってますよ。もうずっとその服のままでいいんじゃないっすか?」

「口を慎みなさいラッシュバレー。貴方もこの肉塊と同じ運命を辿りたいのですか?」

「……もう言いません」


 目にもとまらぬ早さで突きつけられた拳銃に、ラッシュバレーは降参とでも言うように手を上げてみせた。


「よろしい。さて、私は報告があるので一度教会へ寄ってから機構本部へ戻ります。ですから、何か訊かれたら上手く誤魔化しておいてください。私が疑われても面倒ですからね」

「へーい」


 全く、相変わらず可愛げがない。どうしてこんなのがあの方の右腕なのだろうと考えるけれど、自分には関係ないかと、すぐに考えるのをやめる。


「あっ、そうでした」


 部屋を出て行こうと扉に手をかけたドゥが、こちらを振り向いて言った。まだ面倒事が増えるのかと、思わず身構えてしまう。


「……もしかしてまだ何かあるんすか?」

「えぇ、一つだけ。来るべき日は近い、陛下からの伝言です」

「へぇ……」


 ラッシュバレーがスッと目を細めると、ドゥはそのまま振り返ることなく部屋を後にしてしまう。


 ドゥの足音が遠くなったタイミングで、足下でもう動かなくなった死体の顔をチラリとだけ見て、これからのことを考える。


「あー……めんどくせぇー」

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