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陸幕之物語「正義Ⅰ」


ある男の話をしよう。


彼は悪が嫌いだった。

人に暴力を振るうモノ、人に嘘をつくモノ、人に嫌がらせをするモノ、人に殺意を抱くモノ。

人を傷付けるモノ、人を騙すモノ、人を差別するモノ、人を殺害するモノ。

どうして人は悪意を成すか彼には理解できなかった。

公明正大な法の下に統治された国家において、法を犯すことが彼には理解できなかった。

すべからく全ての人間が法を順守じゅんしゅすれば世界は平和になるのに。

すべからく全ての人間が法を遵守じゅんしゅすれば世界は綺麗になるのに。

彼は悪を許せなかった。

彼の考える理想の世界の平和を脅かす悪を許せなかった。

しかし、彼が許せなくても所詮は大勢のなかのひと欠片。

彼がひとり声高く悪を糾弾しても誰も耳を貸さない。

彼がひとり声高く悪を断罪しても誰も興味を示さない。

だから彼は大勢の人に真実をさらけ出す為に報道記者となった。


彼は懸命に戦った。

年若い夫婦と幼い子供が無残にも老人により命を散らせた時も、

事故と公表されていたのを良しとせず殺人であると糾弾した。

人々の規範たる著名人が不貞を働き黙秘を貫いた時も、

説明責任を果たしていない性犯罪であると糾弾した。

法を守るべき最たる政府機関の汚職、賄賂が発覚した時も、

国民に対する不誠実、裏切りであると糾弾した。

戦っても戦っても悪は消えない。

しかし、戦うことが彼の全てであった。

真実を人々に知らしめることが彼の全てであった。

だが、それは本当の巨悪の前では児戯にも等しいもの。

彼はとある陰謀に巻き込まれ、儚くもその命を落とすことになる。


然もありなん。

しかしながら、その人生に何の意味があったのであろうか。

人が存在する限り終わらない戦いに挑み続ける人生。

これも誠実と言うのであろうか。

人々の悪意がなければ健やかに生きることができるのではなかろうか。

人々の欺瞞がなければ穏やかに生きることができるのではなかろうか。

だからであろうか、ほんの気まぐれではあるが、

彼に第二の人生を育む機会を与えてやろうと思った。


私の前に彼を喚んだ時、憤怒していた。

どうやらこの私がこの世の悪を是正しないことに腹を立てたらしい。

私は彼に機会を与えることを告げた。

前回と同じ轍を踏む可能性を鑑み、私はそれに要望を聞いた。

曰く、「悪を断つ正義の味方になりたい」と。

曰く、「弱きものを助けるための力が欲しい」と。

成程、どんな巨悪も打ち払う正義はさぞ気持ちのいいことであろう。

成程、過分な力を求めず弱者を救うだけの力はさぞ気持ちのいいことであろう。

中々に殊勝しゅしょうであるではないか。

これなら生前もっとうまく立ち回れたのではと思ってしまうが後の祭りであろう。

私は今一度彼に意志の確認をし了承を得た後、彼の希望通りの世界へと送り届けた。



さて、その後の男の人生はどうなったのか。

結論から言おう。

男は転生した後、絶望のうちに自ら命を絶った。



然もありなん。

私はそれの希望通りの世界へと転生させた。

前回同様赤子からでは苦痛であろうと思い、

気を利かせ幼年期の時分へと転生をさせた。

さて、私も前回の反省点を生かし少々願いを限定的にすることにした。

「悪を断つ正義の味方になりたい」ということは即ち、倒すべき悪が存在しなければならない。

「弱きものを助けるための力」ということは即ち、庇護すべき弱者が存在しなければならない。

つまり必要なのは「絶対的な悪が存在し人々が虐げられている世界」である。

しかし、今までの経験から物理的な力を与えてはろくな結果を生まない。

生前彼は言論で戦い続けていた事を鑑み、間接的な力を授けることにした。

「悪を断つ正義の味方」は、人々が彼に悪を糾弾するようすがること。

「弱きものを助ける力」は、弱者が彼に悪を糾弾するようすがること。

彼は皆から懇願され悪を糾弾する日々を送った。

彼は幸せだった。

誰かに哀願され他者を糾弾するのは何と心地よいことか。

そう、心地よいのだ。

それは甘美。

それは甘美なる毒。

それは甘美なる罪。

誰かに縋られて糾弾することは誰かを免罪符にして他者を非難していることに他ならない。

誰かに懇願されて糾弾することは誰かを免罪符にして他者を批判していることに他ならない。

誰かに哀願されて糾弾することは誰かを免罪符にして他者を叱責していることに他ならない。

それは正義か?

それは正しいか?

それは救いか?

否。

それは悪である。

自己の責任の下ではなく、他者に責任を転嫁し恣意しい的に言及する。

それは悪である。

悪を糾弾する行為もまた誰かの願いを踏みにじる行為である。

それは悪である。

彼は気付いたのだ。

善意は悪意の後を追い掛けてしかやってこない。

善意は悪意の名前を変えただけのモノにしか過ぎない。

善意は悪意の……悪意そのものである。

嗚呼、人間は自分の悪意すら気付かずに他者を排斥するほど愚鈍なのか。

彼は人間の愚かしさに絶望したのだ。



さて、彼の話はお気に召して頂けたかな。

おや、黙ってしまったようだが何か思う所があるのかね。

私にしてみれば人間の真理なのだが、キミがそう言うのであればそうなのであろう。

まったく、人間というのは度し難いものだな。

では、次はもっと楽な逸聞を披露するとしよう。



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