「えっとー、何を歌う?」
タッチパネルを操作する水原。
「んー、川崎くんが知ってそうな曲じゃないと」
「ヒロならこれ知ってるはず」
リセが画面を指差す。懐かしいアニメの主題歌だった。
「あ、小学校の頃よく観てたやつじゃん」
「でしょ? ヒロ、休み時間に歌ってたの覚えてる?」
「おい、そんな黒歴史掘り起こすなよ」
水原が目を丸くする。
「えー! 川崎くんが歌ってたの!? それ絶対聴きたい!」
「うっせーな……」
「じゃあ決まり! これにしよ!」
勝手に曲を決める水原。その手際の良さに、俺は思わずため息をつく。
イントロが流れ始める。水原がマイクを俺に押し付けてくる。
「さぁ、川崎くん!」
「お前が選んどいて、俺にマイク渡すとか卑怯だろ」
「いいからいいから!」
観念して歌い出す。
すると、水原とリセも自然と声を合わせてくる。
「おー、意外と合うじゃん!」
水原が楽しそうに声を上げる。確かに、三人の声は不思議とマッチしていた。
曲が終わると、思いのほかいい点数が出る。
「すごい! 90点!」
「まぁ、簡単な曲だしな」
「もう一曲行こう!」
段々と盛り上がってくる二人。
見ていると、水原とリセの距離が、少しずつ縮まっているのが分かった。互いを意識しながらも、自然と会話が弾んでいく。
「あ」
突然、水原が立ち上がる。
「もうこんな時間!」
確かに、予約時間が残り10分を切っていた。
「じゃ、そろそろ出るか」
「うん……でも、なんかもったいないな」
水原が少し寂しそうな顔をする。
「また来ればいいじゃん」
俺の何気ない一言に、水原とリセの顔が輝く。
「じゃあ約束! 今度は違う店にも行ってみたいな」
「私も行きたいところあります」
「おー、リセちゃん詳しいの?」
「お前ら、勝手に話進めてんな」
「えー、だってヒロも楽しかったでしょ?」
「うん。珍しく笑ってたし」
今度は二人して俺をからかってくる。
「……まぁ、悪くはなかったけど」
素直な感想を言うと、二人の笑顔がさらに明るくなった。
部屋を出て、エレベーターに乗り込む。
さっきまでの重苦しい空気は、もうどこにもない。
外に出ると、夕暮れの空が広がっていた。
「じゃ、帰ろっか」
水原が言う。
「あ、その前に」
リセが急に立ち止まる。
「明日から、どうするんですか?」
その問いに、三人の足が止まる。
確かに、これから学校でどう振る舞うのか、まだ何も決めていない。
「明日から、か……」
俺は夕暮れの空を見上げながら言葉を探す。
「もう演技はしなくていいと思う」
水原が静かに口を開く。
「だって、あたしたち、もう本当の関係になろうって決めたんでしょ?」
リセも小さく頷く。
「でも、噂は簡単には消えないと思います」
「消えなくていい」
俺は二人の方を向く。
「嘘をついて守る関係より、本当のことを言って戦う関係の方がいい」
水原が目を丸くする。
「川崎くん……」
「私も同じです」
リセが一歩前に出る。
「私、もう逃げません。水原先輩のことも、自分の気持ちのことも、全部ちゃんと向き合います」
「リセちゃん……」
三人の間に、優しい空気が流れる。
「でもさ」
水原が少し困ったように笑う。
「明日から三人で一緒に登校するのって、また新しい噂になりそうだよね」
「なるだろうな」
「ヒロの二股疑惑とか」
リセの冗談に、思わず吹き出してしまう。
「笑い事じゃないでしょ!」
水原が頬を膨らませる。
「でも、それでもいい。川崎くんが言う通り、本当の関係なら、噂なんか怖くない」
「ちょっと待って」
リセが真剣な顔になる。
「その前に、ちゃんと決めておきたいことがあります」
「なに?」
「これから先、私たち三人の関係です」
リセの言葉に、空気が引き締まる。
「私も水原先輩も、ヒロのことが好き。でも、そのままじゃ、誰も幸せになれない」
「じゃあ」
水原が明るく笑う。
「お互い、ちゃんと勝負しよう」
「勝負?」
「うん。正々堂々と、川崎くんの気持ちを振り向かせる勝負」
リセも小さく微笑む。
「それなら、私も納得できます」
「おい、俺に考える余地は」
「ないです」
「ないよ」
即答する二人に、俺は思わずため息をつく。
「ほんと、お前らなんなんだよ……」
「だって、これが一番フェアでしょ?」
水原が人差し指を立てて説明するように続ける。
「お金とか演技とか、そういうの抜きで。ただ素直な気持ちだけで」
「私も、そうしたいです」
リセも頷く。
「ヒロには、ちゃんと私たちの気持ちを受け止めてもらいたいから」
「じゃあ、約束だよ」
水原は満面の笑みを浮かべながら、リセに向かって手を差し出す。
「正々堂々と、勝負」
「はい。フェアに」
握手を交わす二人。その瞬間、水原の目が僅かに細まった。まるで何かを企むような、そんな光が一瞬だけ宿る。