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第26話 カラオケ④

「あたしね、もう一つ言いたいことがあるの」


 水原は両手で烏龍茶の缶を握りしめながら、少し俯いた。


「あのね、あたしが川崎くんに彼氏役を頼んだのって、ホントは白野先輩のことだけが理由じゃなかったの」


 俺とリセは息を呑む。


「あの日、公園で会った川崎くんのこと。ずっと覚えてた。だから、この学校に転校してきた時も、すぐに分かった」


 水原は缶を握る手に少し力を込める。


「でも、そのことは言えなかった。だって、川崎くんはあたしのこと全然覚えてないし。それに、あの時の川崎くんは、今みたいに冷めた感じじゃなかった」


 その言葉に、俺は少し動揺を隠せない。確かに、中学時代の俺は今とは違った。まだ必死に頑張ろうとしていた時期だ。


「本当は、普通に友達になりたかった。でも、それじゃダメだって分かってた。友達になっても、また誰かに奪われちゃうかもしれない。だから……」


 水原は一度深く息を吐いてから、ゆっくりと顔を上げた。


「お金で縛ろうと思った。そうすれば、川崎くんはあたしの側にいてくれるって」


 リセが静かに息を呑む。その告白は、彼女にとっても意外なものだったようだ。


「でも、それは間違ってた。お金で人を縛るなんて、白野先輩となんも変わらない」


 水原の声が震える。


「だから、もう隠し事はしたくない。お金で雇った彼氏なんかじゃなくて。本当の気持ちで──」


「待って」


 リセが水原の言葉を遮った。その声は震えていたが、強い意志が込められていた。


「私も、本当のこと話します」


 リセは一度深く息を吐き、続ける。


「私ね、ずっとヒロのことを見てきた。小学校の頃からずっと。だから、分かってたの。ヒロが家で、どんな思いをしてたのか」


 俺は思わず目を見開く。


「お兄さんと比べられて、否定されて。それでも必死に頑張ってるヒロを、私はただ見てるだけしかできなかった」


 リセの声が少し震える。


「だからヒロに近づく水原先輩が嫌でした。邪険にしたくなった。なのに、水原先輩の本心を知って、自分が恥ずかしくなって」


 リセは両手を強く握りしめる。


「私だってヒロのためにもっとできたはず。でも、怖くて。関係が壊れるのが怖くて、何もできなかった」


「リセちゃん……」


 水原がリセの手を優しく握る。


「私も怖かった。だから、お金っていう、逃げ道みたいなものを作っちゃった。これがダメになっても、ただの契約だったってことにできるように」


 二人は互いを見つめ、小さく笑う。その表情には、どこか似たものがあった。


「ねぇ、川崎くん」


 水原が俺の方を向く。


「今度こそ、本当の気持ちであなたと向き合いたい」


 その言葉に、返事のしようがない。黙り込む俺を見て、水原が急にマイクを手に取った。


「あ、そうだ。この曲、聴いて」


 選ばれた曲は、切ない恋の歌。


 水原の歌声が、静かに部屋に響き始める。


 ♪ 誰かのための嘘なら


 それは嘘じゃないと思ってた


 でも本当は、ただ怖くて


 自分から逃げてただけ──


 歌詞の一つ一つが、まるで水原の気持ちそのもののように感じられた。


 俺は黙ってその歌声を聴きながら、ここまでの出来事を思い返していた。


 母親に否定され、一人になった時。


 リセはずっと側にいてくれた。


 でも、その気持ちに気付かないフリをしていた。


 そして水原は、強引なまでの方法で俺の世界に入ってきた。


 最初は金の力を使って。でも、それは本当は彼女なりの精一杯の接近方法だった。


「川崎くん」


 歌い終わった水原が、まっすぐに俺を見つめる。


「もう一度、最初から始めない? 今度は嘘偽りのない関係で」


「最初から……か」


 俺は言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。


「でも、これまでのことは消せないだろ。嘘から始まった関係も、母親のことも、全部ひっくるめて今の俺たちなんじゃないのか?」


 水原とリセが息を呑む。


「川崎くん……」


「ヒロ……」


「だから、最初からやり直すんじゃなくて」


 俺は深く息を吐いてから、続ける。


「ここから、本当の関係を作っていくのは、どうだ?」


 水原の目が大きく開かれる。リセも、わずかに表情を緩める。


「本当の関係?」


 水原が小さく呟く。その声には、期待と不安が混ざっていた。


「ああ。偽物の恋人でもなければ、ただの幼馴染でもない。俺たちにしかない関係を」


 リセが静かに立ち上がり、マイクを手に取る。


「じゃあ、私からも歌わせてください」


 選ばれた曲は、三人とも知っている懐かしい歌。


 中学時代によく聴いていた、前を向く勇気をくれる曲だ。


 ♪ 昨日の涙は


 明日の勇気になる


 だから今、一歩を踏み出そう──


 リセの透明な歌声が響く中、水原が俺の袖を軽く引っ張った。


「川崎くん、あのさ。質問していい?」


「なんだよ」


「あの、キスのこと……あれ、やっぱり演技だよね?」


 水原の声には、どこか確認を取るような響きが混じっていた。


「ああ、あれは完全な演技だ。白野を追い払うためだけの」


「うん、そうだよね」


 水原は少し寂しそうに笑う。でも、すぐに表情を明るくして続けた。


「でもね、演技でも、ちゃんと効果あったから。あれ以来、白野先輩も少し大人しくなったし」


「まぁな」


 そこでリセの歌が終わり、画面にスコアが表示される。


 98点。見事な得点だ。


「すごいね、リセちゃん!」


 水原が感嘆の声を上げる。


「あのさ」


 俺は意を決して口を開く。


「お前たちに言っておきたいことがある」


 二人が、何か大事な話が来ると察したように、真剣な表情になる。


「演技も嘘も、もういい。これからは、ちゃんと向き合っていきたい」


 その言葉に、水原とリセの目が輝く。


「お前の写真を加工して噂を広めた白野のこと。あいつの行為は、絶対に許せない」


 俺の声が強くなる。


「誰かを苦しめて、自分の思い通りにしようとする奴は、母親と同じだ。だから、もう二度とお前にそんな思いはさせない」


 その言葉に、水原の目が潤んでくる。


「川崎くん……」


「私も!」


 リセが強い口調で言う。


「私も、水原先輩を守ります。もう誰にも、理不尽な思いはさせません」


「リセちゃん……」


 水原は、今度は嬉し涙を堪えきれないように見えた。


「あ、でも!」


 リセは急に真剣な表情になって、俺の方を向く。


「でも私、ヒロのことは諦めないから。水原先輩と同じように……ヒロのこと、好きだから」


「リセ……」


 三人の間に、妙な緊張が走る。


 けれど、それは以前のような重苦しいものではなく、どこか期待を感じさせるような空気だった。


「あ、そうだ」


 水原が突然立ち上がり、声を明るくする。


「三人で歌おうよ! せっかくだし!」


「えー、俺はいいって」


「だーめ。ね、リセちゃん?」


「うん、私も聴いてみたい」


 こいつら、もう息が合ってやがる。


「ほら、川崎くん! 立って立って!」


 水原に腕を引っ張られ、俺は観念したように立ち上がる。


 これから先、この三人の関係がどうなっていくのか──まだ誰にも分からない。


 でも少なくとも、もう演技や嘘は必要ない。

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