教室に着くと、またいつもの噂話が聞こえてくる。でも水原は、今日は少し違った。立ち止まることなく、むしろ堂々と歩を進める。
「もう逃げない。噂に流されることもない」
昨日の彼女の言葉を思い出す。本当に、前に進もうとしているんだな。
授業が始まり、俺は窓の外を眺めながら考え込んでいた。放課後のことを考えると、少し緊張する。リセも水原も、何か話したいことがあるらしい。
そして、きっと俺も――話すべきことがある。
この偽物の恋人関係も、幼馴染との関係も、全部ちゃんと整理しないといけない。
「川崎くん、この問題、解いてくれる?」
先生の声で我に返る。黒板に書かれた数式を見つめながら、俺は小さくため息をついた。
とりあえず、目の前のことから片付けていこう。
放課後――。
放課後。
教室を出ようとした時、俺の肩を誰かが叩いた。振り返ると、クラスメイトの田中が心配そうな顔をしていた。
「川崎、大丈夫か?」
「なんだよ」
「いや、噂がさ……お前と水原先輩のこと」
ああ、そうか。昨日の一件を見ていた生徒が噂を広めたのか。
「気にすんな」
「でも、水原先輩って……」
「悪いけど、その話はやめとけ」
俺は田中の言葉を遮るように制した。これから先、まだ色々と耳に入ってくるだろう。でも、水原を悪く言う奴らに、もう付き合う気はない。
廊下に出ると、リセと水原が待っていた。さっきまでの会話を聞いていたのか、水原は少し申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんね。川崎くんまで巻き込んで」
「気にすんな」
俺は軽く肩をすくめた。リセはそんなやり取りを見ながら、何か言いたげな表情を浮かべている。
「行くか」
学校を出て、駅前のカラオケに向かう。三人並んで歩くのは、まだどこか落ち着かない。
カラオケ店に入ると、水原が受付に向かった。
「あたしが予約してくる!」
残された俺とリセ。ロビーのソファで待つ間、妙な沈黙が流れる。
「ねぇ、ヒロ」
「なんだ?」
「私、ちゃんと話さないといけないの。でも……」
リセは言いにくそうに言葉を切る。その時、水原が戻ってきた。
「はい、これ!」
部屋の番号が書かれたカードを見せながら、水原は少し得意げな表情を浮かべる。
「503号室だって。結構いい部屋らしいよ」
エレベーターに乗り込む三人。
狭い空間の中で、水原は画面に映る自分の姿を気にしながらボタンを押した。
「お、マイルーム会員だと飲み物無料なんだって」
他愛もない話題を振ってくる水原。リセはそれに小さく頷くだけで、どこか落ち着かない様子だ。俺もその空気を感じ取りながら、黙って床数表示を見つめている。
チン、という音と共に扉が開く。
部屋に入ると、思ったより広めの空間が広がっていた。
「へぇ、こんな感じなんだ」
水原が興味深そうに部屋を見回す。
「川崎くん、カラオケ来たことないの?」
「ああ、まぁ」
「えー、ほんと? リセちゃんと来たことないの?」
リセは少し気まずそうに目を逸らした。
「ヒロったら、誘っても全然乗ってくれなかったんだから」
「へぇ~。川崎くん、意外と非モテ?」
「うっせーな」
俺が苦笑まじりに言い返すと、水原は楽しそうに笑う。
一方リセは、ソファの端っこに座って黙ったままだ。さっきの「話さないといけない」という言葉が気になる。
「あ、そうだ。飲み物注文しなきゃ」
水原がタッチパネルを操作し始める。
「川崎くんは?」
「……烏龍茶で」
「はいはい。リセちゃんは?」
「え、あ、オレンジジュースで」
「了解!」
タッチパネルをポンポンと押す水原。その明るい態度が、逆に部屋の空気の重さを際立たせているような気がした。
「えっと、歌う順番とか決める?」
「そうだね……」
リセが小さな声で答える。と、水原は急に真剣な表情になった。
「その前に、あたしから話があるんだけど」
リセが顔を上げる。俺も思わず背筋を伸ばした。
「実は……あたし、嘘ついてた」
水原はテーブルに置いたスマホを見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「川崎くんの家に泊まったのも、白野先輩のことも、お父さんのことも、全部本当。でも、一つだけ、言えなかったことがあって」
リセは息を呑む。俺も何か重大な告白が来るのを感じて、黙って水原の言葉を待った。
「あたしね、川崎くんのこと、前から知ってた」