キッチンから賑やかな声が聞こえてくる。
水原とリセは意外にも打ち解けた様子で料理を作っている。
「川崎くんは、なにが好き?」
リビングまで水原の声が届く。
「別に」
「もう、そういう投げやりな答え方やめてよ。ね、リセちゃん?」
「はい。ヒロはそういうところあります」
「えー、やっぱり昔からそうなの?」
「小学校の時なんて──」
「おい、余計なこと話すなよ」
俺が制止を掛けると、二人は楽しそうに笑い合う。
正直、この光景は不思議な感じがする。
つい先ほどまで重苦しい空気が漂っていたのに、今は穏やかな空気に包まれている。
水原の家で少し早い夜ご飯を取ることになった。テーブルには、意外にも本格的な料理が並んでいる。
「へぇ、結構できるじゃないか」
「でしょ? この前も作ったけど、覚えてる?」
水原の問いかけに、俺は考え込む。
以前、泊まった時の朝食のことを言っているのだろう。
「ああ」
「その時も美味しかったでしょ?」
「まぁな」
水原は満足げに笑う。
リセはその会話を聞きながら、少し複雑そうな表情を浮かべた。
「あ」
水原が突然声を上げる。
「リセちゃんにも話しておかないと。この前川崎くんの家に泊まったのは、その……」
「知ってます」
リセが静かに言う。
「ヒロが説明してくれたので。水原先輩が家に帰れない事情があって……」
「うん。あの時は本当に困ってて。川崎くんに助けてもらって」
「でも、どうして帰れなかったんですか?」
リセの質問に、水原は一瞬言葉を詰まらせた。
「その、えっと……」
「言いたくないなら、無理に話さなくていい」
俺が助け舟を出す。
しかし水原は小さく首を振った。
「ううん、話す。もう隠し事はしない」
水原は一度深く息を吸い、話し始めた。
「実は、あの日ね。お父さんと大喧嘩したの」
「喧嘩?」
「うん。私の将来のことで」
水原の声が少し沈む。
「白野先輩との許嫁のことで、お父さんが勝手に話を進めようとしてて。でもあたしは絶対に嫌だって反対して。そしたら『家から出ていけ』って言われて……」
「そう、だったのか」
「うん。でも、今考えると。あの時、川崎くんの家に行けて良かった」
水原は少し照れくさそうに笑う。
その表情は、今までで一番自然に見えた。
「水原先輩」
リセが真剣な表情で言う。
「お父さんとの関係はどうなんですか?」
「あー、まぁ」
水原は曖昧な返事を返す。
「ほとんど会話ないかな。でも、それはもう慣れてる」
「でも、それって」
「大丈夫。今は、こうやって友達もできたし」
水原はリセに向かって微笑む。
「それに、ちゃんと自分の気持ちに正直になろうって決めたから。両親のことも、いつか話し合えると思う」
「水原先輩……」
「あ、そうだ。もしよかったら、また遊びに来てよ? 今度は料理、もっと頑張るから!」
唐突な話題の転換に、リセは少し戸惑ったような表情を見せる。
しかし、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。
「はい。今度は私も、もっと上手に作れるように練習しておきます」
「えへへ、約束だよ?」
二人は笑顔で頷き合う。
その光景を見ていると、妙な安心感を覚えた。
けれど同時に、どこか引っかかるものも感じる。
水原の家族の話。
彼女の表情からは読み取れない、何か重大な問題が隠されているような気がした。
「あ、そうだ」
食事が終わりに近づいた頃、水原が突然立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
そう言って自室に向かう。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、分厚い封筒が握られていた。
「これ、川崎くん」
「なんだ?」
「約束の、今月分」
封筒を開くと、中には現金が入っていた。
契約通りの百万円。
「いや、いい」
俺は封筒を突き返す。
「えっ?」
「金はいらない」
「で、でも……」
「川崎くんの言う通り」
リセが口を開く。
「お金で繋がる関係は、もう終わりにした方がいいと思います」
水原は俺とリセを交互に見つめ、そして小さくため息をついた。
「わかった。でも、その代わりお願いがある」
「なんだよ」
「これからも、あたしの味方でいて」
真っ直ぐな眼差しで言う水原。
その瞳には、強い意志が宿っている。
「別に、そんなこと頼まれなくても」
「でも、言わないと気が済まなくて」
水原は両手を胸の前で組み、深く頭を下げる。
「お願いします。あたしの、味方になってください」
「私も」
リセも同じように頭を下げる。
「水原先輩の味方になります」
「リセちゃん……」
二人は顔を上げ、柔らかな笑顔を交わす。
「分かったよ」
俺は軽く頭を掻きながら言う。
「ただし、約束がある」
「なに?」
「なにか困ったことがあったら、すぐに相談しろ」
水原は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「うん! 約束する!」
その言葉には、嘘偽りのない本心が込められているように感じた。
けれど、水原の笑顔の奥に、まだ何か隠されているような気がして──。