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第21話 改めて

「はぁ。しおりは本当に困った子だよ」


 白野は落ち着いた様子で言う。


「もう、こんな茶番は終わりにしない?」


「茶番だ?」


「この男との偽装恋愛」


 白野は俺を指差しながら続ける。


「どうせお金で雇われた役者なんだろう? しおりがそこまでしなきゃいけない理由なんてない。僕がいれば十分なのに」


「勝手なことを」


 俺が声を荒げかけたその時、水原が静かに言った。


「先輩、本当のこと言ってくれませんか」


「急になに?」


「あたしと別れた後、噂広めましたよね」


 白野の表情が一瞬凍る。


「噂? なんのこと? 僕はなにもしてない」


「嘘をつかないで」


 水原の声が少し強くなる。


「だって、タイミングが良すぎる。あたしが別れを告げた直後から、また同じような噂が広まり始めた。それに、なぜか証拠の写真まで出回って……」


「偶然だよ」


「本当に?」


 今度は俺が口を開く。


「お前、水原の写真を加工して広めただろ。『おじさんとホテルに入るところ』とか『お金を受け取ってる場面』とか、そういうの」


「証拠はあるの?」


 白野は余裕の表情を崩さない。


「確かに、証拠はない。でも」


 俺はゆっくりとスマホを取り出す。


「今から証拠は作れる」


「何?」


「お前との会話、全部録音してる」


 白野の表情が強張る。


「録音だって?」


「ああ。玄関に入る前から、ずっとな」


 実際には嘘だ。でもこの賭けに出るしかない。


「白野先輩」


 水原が立ち上がり、まっすぐ白野を見つめる。


「あたし、先輩のことは嫌いじゃなかった。でも、恋愛感情はなかった。それを伝えただけなのに、どうしてこんなことを?」


 白野は俯いたまま、小刻みに震えている。


「わかってないな、しおり」


 低い声で呟く。


「君は、僕のものなんだ。産まれた時から、ずっと。幼稚園の頃から、僕たちは一緒だったじゃないか。なのに、君は……」


 白野の声が震える。


「僕を裏切った。他の男と付き合うなんて……許せない。だから、また昔みたいな噂を広めれば、君は僕に頼るしかなくなると思って」


「昔みたいな噂って……まさか」


 水原の顔から血の気が引く。


「中学の時の噂も、先輩が?」


 白野は黙ったまま、でもその態度が全てを物語っていた。


「そんな……どうして」


「君を守るためだよ」


「守る?」


「そう。あの店長との写真を撮ったのは僕だ。でも、それは君が危険な目に遭わないようにするため。だから噂を広めた。そうすれば、もう誰も君に近づかなくなる。君は僕だけを頼るようになる」


「狂ってる」


 俺が思わず呟く。


「狂ってるのはそっちだ。水原に歪んだ執着を押し付けるな」


 白野は口を歪める。


「僕の執着が歪んでる? 君に何がわかる。しおりのことを一番理解しているのは僕だ。幼い頃から一緒にいて、彼女の全てを知っている。それなのに、君のような部外者が……!」


「違う!」


 水原の声が響く。


「先輩はあたしのことを理解してない。ただ、自分の思い通りにしたいだけ。あたしの気持ちなんて、少しも考えてくれない」


「しおり……」


「あたしが寂しかったのは本当。でも、先輩はその寂しさに付け込んで、私を縛り付けようとした。そんなの、愛情じゃない」


 白野は言葉を失ったように、その場に立ち尽くす。


「録音、消してくれ」


 しばらくの沈黙の後、白野が呟いた。


「噂は、もう広めない。だから……」


「先輩」


 水原が一歩前に出る。


「謝罪してください。学校で、みんなの前で。噂は全部嘘だって」


「そんなことできるわけない」


「できます。先輩にはその責任がある」


 水原の声は強かった。


「あたし、もう逃げない。噂に流されることもない。だって」


 水原は俺とリセの方をちらりと見る。


「もう一人じゃないから」


 その言葉に、白野の表情が崩れる。


「そうか。君は本当に僕から離れていくんだな」


 白野は長いため息をつき、ゆっくりと立ち上がる。


「僕に楯突いたんだ。もう知らないからな」


 そう言って、白野は部屋を後にした。


 扉が閉まる音が響き、部屋に静寂が戻る。


 水原の肩から力が抜け、その場にへたり込んでしまった。


「大丈夫ですか?」


 リセが心配そうに駆け寄る。


「うん。なんとか」


 水原は小さく笑う。


 その表情には、久しぶりに安堵の色が浮かんでいた。


「川崎くん」


「なんだ?」


「さっきの録音、本当は嘘だよね?」


「ばれてたか?」


「うん。だって、川崎くんがそんな策略めいたこと思いつくわけないもん」


「なんだそれ」


 俺が眉をひそめると、水原は柔らかく笑った。


「でも、ありがとう。あの一瞬の焦りのおかげで、白野先輩が本当のことを話してくれた」


「偶然がうまく重なっただけだ」


「そうだね。でも、その偶然を引き寄せてくれたのは、川崎くんとリセちゃんのおかげ」


 水原はリセの方も見つめる。


「あたし、リセちゃんのことを誤解してた。ごめんなさい」


「私も、水原先輩のことを誤解していました。本当のことを話してくれて、ありがとうございます」


 二人は柔らかな笑顔を交わす。


 その光景を見ていると、妙な安心感が胸に広がった。


「それで」


 俺は話題を変えようと、水原に向き直る。


「これからどうする?」


「うーん」


 水原は考え込むように指先で頬を撫でる。


「一番やらなきゃいけないのは、先輩に謝罪してもらうこと。でも、それだけじゃダメかも」


「どういうこと?」


「だって、あたし自身も変わらなきゃ。今までみたいに、噂を気にして縮こまってちゃダメ。もっと、自分の気持ちに正直にならなきゃ」


 その言葉に、俺とリセは息を呑む。


「それに」


 水原は照れくさそうに俺を見上げる。


「川崎くんとの契約も、ちゃんと整理しないと」


「あ、ああ」


「お金で雇うんじゃなくて、ちゃんと……」


 水原の言葉が途切れる。


 頬が少し赤くなっているのが見えた。


「ちゃんと?」


「え、えっと。その、改めて……お願いしたいなって」


「はぁ?」


「だ、だから! 今度は、お金じゃなくて。本当の気持ちで……」


 その時、リセが強い調子で咳払いをした。


「あ、ご、ごめん。リセちゃんの前で、こんな話」


 水原は慌てて言葉を切る。


「いいえ。私も、ちゃんと話さないといけないことがありますから」


 リセの目が真剣な光を宿す。


「私も、自分の気持ちに正直になります」


 三人の間に、妙な緊張感が流れる。


 俺は何も言えず、ただその場の空気に飲まれていた。


「あの、お腹空いてない?」


 水原が唐突に声を上げる。


「お昼まだでしょ? あたし、作れるよ」


「え? いや、そんな」


「いいの! せっかく来てくれたんだし。ね?」


 水原は人懐っこい笑顔を見せる。


 その表情は、今までで一番自然に見えた。


「私も手伝います」


 リセも立ち上がる。


「えー、でも」


「一緒に作りましょ?」


「うん!」


 二人は笑顔で顔を見合わせ、キッチンへと向かっていく。


 俺はその光景を見ながら、小さくため息をついた。


 これから先、どうなっていくのか。


 まだ何も決まっていない。


 けど、少なくとも今は、この瞬間を大切にしたいと思った。

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