「なんで、そんな簡単に……あたしのこと、裏切るの?」
「裏切ったわけじゃない」
「せっかく信じたのに。川崎くんなら、あたしの味方でいてくれるって思ったのに!」
水原の目に涙が浮かぶ。
「何でそんな言い方……。ヒロはただ正直に話してくれただけ。それなのに、どうして水原先輩は──」
「うるさい!」
水原が叫ぶ。
「あなたには関係ない! 川崎くんとの約束は、あたしとの約束なの! それを、どうして……」
俺は水原の肩を掴んだ。
「落ち着け。俺が全部説明する」
しかし水原は、俺の手を振り払った。
「もういい。もう、なにもいらない」
そう言って走り去ろうとする水原。
だが、その背中を俺は追いかける。
「待てって!」
階段を駆け下りる水原を追って、俺も走り出す。
後ろからリセの声が聞こえるが、振り返る余裕はない。
「ちゃんと話を……おい!」
水原は校舎を飛び出し、正門へと向かう。
その姿を追いかけながら叫ぶ。
そのとき、正門の前で水原は誰かにぶつかった。
「いてっ……」
水原が尻もちをつく。
そこに立っていたのは、カジュアルな服装をした白野だった。
「しおり?」
「白野先輩……どうして、ここに」
白野は困惑した様子で水原を見下ろしている。
すぐに俺も追いつき、その場に立ち止まる。
「父さんから頼まれて来たんだ。しおりに伝えたいことがあるって」
白野は状況を把握しようとするように、俺と水原を交互に見つめる。
「それより、なんでしおりは泣いてるの?」
水原の頬には確かに涙の跡が残っていた。
白野の表情が険しくなる。
「君か? しおりを泣かせたのは」
俺に向けられた視線が、急に冷たくなる。
「違う、これは……」
「しおり、もういい加減気付くべきだ。この男は君のことなんて本気で考えてない。ただの道具として使っているだけだ」
「そんなことない!」
俺は思わず声を上げた。
「確かに最初は、他人事のように思ってた。でも、今は──」
「今は?」
「今は違う。水原とちゃんと向き合おうと思ってる」
「へぇ、随分と偉そうな口振りじゃないか」
白野は冷ややかに笑う。
「君にしおりの何が分かるの? 最近になって急に関わり始めただけの人間が」
「確かにそうかもな。でも、だからこそ分かることもある。お前みたいな歪んだ執着とは違う」
「どうせまた綺麗事を並べ立てるんだろう? 君はしおりを騙した。そして今、その嘘がバレたんだろ。だからしおりは泣いてるんだ」
「……」
反論しようとして、言葉が出てこない。
その時、水原のバッグから何かが滑り落ちた。
「もういい。あたし、帰る」
立ち上がろうとする水原を、白野が優しく支える。
「送っていくよ。もう、こんな男に頼っちゃだめだ」
「待て」
言葉が出る前に、水原は既に背を向けていた。
俺は一歩踏み出そうとした時、地面に目が留まる。水原のバッグから落ちたままの生徒手帳。
拾い上げると、ちょうど住所の書かれたページが開いていた。
青葉台──高級住宅地として有名な場所だ。
「ヒロ」
振り返ると、リセが息を切らせながら駆けてきた。
「走っていかないでよ。まだ話が……」
「リセちゃんまで」
水原が立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
その瞳には、まだ涙が残っていた。
「みんな、どうしてそんなに……」
水原の声が震える。
「あたしのこと、からかって楽しいの?」
「どうしてそんな解釈になるんですか?」
リセが強い声を上げる。
「もうやだ、誰も信用できない」
水原は疲れたように言う。
「これ以上、あたしで遊ばないで。お願い」
その言葉には、これまでの水原からは想像もできないような諦めが滲んでいた。
「水原、違う。俺は──」
「川崎くん」
水原が俺を遮る。
その目には、もう涙は見えなかった。
代わりに、深い失望の色が宿っていた。
「あたし、川崎くんのことを信じてた。やっと、本当の味方ができたって……でも、結局同じなんだね。あたしのことなんて、どうでもよかったんでしょ?」
その声には、怒りよりも諦めの色が濃かった。
「水原、違う。俺は──」
「もういいの。あたし、これ以上誰かを信じるの、疲れた」
白野が満足げに微笑む。
「そうだよ、しおり。もう騙されることはない」
白野は近くに停めていた高級車のドアを開ける。
「送るよ、乗って」
水原は一瞬躊躇したが、すぐに諦めたように助手席に滑り込む。
エンジン音が静かに轟き、車はゆっくりとアスファルトを蹴って発進。
サイドミラーの中で、俺の姿は急速に小さくなり、やがて街の景色に溶け込んだ。曲がり角に差し掛かると、車のテールランプが一閃し、そして完全に視界から消えた。