夜。アパートに戻った俺は、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見つめながら、今日の出来事を思い返す。
(あのキス、やりすぎたよな……)
演技とはいえ、あまりにも突発的な行動だった。けど、あの状況で他に選択肢はあっただろうか。
思考に耽っていると、スマホが震えた。
画面を確認すると、リセからのメッセージだった。
『ヒロ、今日の放課後のこと、水原先輩とどこか行ったの?』
俺は一瞬、返信を躊躇う。
正直に話すべきか、それとも適当に誤魔化すべきか。
『ちょっと用事があってな』
曖昧な返事を送ると、すぐにリセから返信が来た。
『そう。ヒロ、本当に水原先輩のこと好きなの?』
その質問に、俺は思わず息を呑んだ。
『なんで?』
『だって、ヒロの目が水原先輩を見る時と、前みたいに輝いてないから』
鋭い指摘に、言葉が出てこない。
『ヒロ、無理しなくていいんだよ?』
『無理なんかしてないよ』
『本当に?』
リセの質問が、まるで心の奥底を覗き込むように感じられた。
『まぁな』
適当な返信を送ると、しばらくリセからの返信はなかった。
と、数分後、また新しいメッセージが届いた。
『ねぇ、ヒロ。明日の放課後、少し時間ある? 話したいことがあるの』
俺は一瞬、水原との約束を思い出す。でも、明日は特に何も決まってないはずだ。
『ああ、わかった』
『じゃあ、明日、屋上で待ってる』
リセからの最後のメッセージを見つめながら、俺は深いため息をついた。
翌朝。
いつもより早く目が覚めた俺は、ゆっくりと支度を始める。
昨日の疲れが残っているのか、体が妙に重い。
いつもの時間に家を出ると、水原が待っていた。
「おはよー、川崎くん」
「……来たのか」
昨日のことがあったせいか、水原の明るい声に、少し気恥ずかしさを感じる。
「うん。朝は一緒に登校した方が自然でしょ?」
そう言いながら、水原は俺の腕に手を絡ませようとする。が、俺は軽く身をかわした。
「おーい、なんで避けるの?」
「いや、その……昨日のこともあるし」
水原は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻る。
「気にしすぎだよ。昨日のことは演技だったんでしょ?」
「まあな」
「だったら普通に接して。変に意識しちゃうと、周りにバレちゃうよ?」
その言葉に反論できず、俺は観念したように腕を差し出す。
「ふふ、素直」
水原が嬉しそうに腕に絡みつく。その仕草は昨日と変わらないはずなのに、どこか違和感を覚えた。
学校に着くと、昨日と同じように噂話が聞こえてくる。
「ねぇ、水原先輩のこと、また見たんだって」
「え、なに?」
「昨日、駅前で男とイチャイチャしてたって」
「マジ? やっぱりね。あの人、すごいよね」
「でもさ、今朝は川崎くんと一緒に登校してたよ?」
「え、マジで? じゃあ本当に付き合ってるの?」
「でも昨日はまた別の男と……」
立ち止まりそうになる俺の背中を、水原が軽く押した。
その手が、かすかに震えているのが分かった。
「ねぇ、川崎くん」
いつもの明るい声色で水原が呼びかける。
だが、その声には僅かな切なさが混じっていた。
「あたし、噂なんか気にしてないって言い続けてきたけど本当はすごく辛い。でも、辛いって顔するのも嫌で」
水原は俯きながら、それでも微かに笑みを浮かべる。
「みんなの目が、私を見る目が、刺さるように痛くて。でも、それを悟られたくなくて。だから、ずっと強がってた」
「水原……」
「でも、今は違う」
水原は俺の袖を掴みながら、今度は本当の笑顔を見せた。
「川崎くんが味方でいてくれるから。だから、もう昔みたいに一人で抱え込まなくていいの」
その言葉に、胸が締め付けられる。
水原は、ずっとこんな思いを抱えていたのか。
「行こ?」
水原は前を向いたまま、そう言った。
その横顔には、弱さを見せた後の少しの照れが浮かんでいた。