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第15話 噂

 昼休み。俺は中庭を歩いていた。


(教室がうるさすぎて、昼飯どころじゃなかったな……)


 クラスメイトの一部が行なっていたカードゲーム大会がヒートアップしすぎて、静かに昼飯を食べるどころではなかったのだ。


(ここなら静かに食えると思ったけど、案外人がいるもんだな)


 ベンチに腰を下ろそうとしたその時、ひそひそとした声が耳に入ってきた。


「水原先輩のあの話聞いた?」


「あの話って?」


「パパ活してるって噂。前におっさんといるとこ見たって人がいるんだって」


「マジで? 普通に引くわ……」


「金持ちのおっさんに奉仕してお金稼ぐとかやばくない?」


「どうかしてるでしょ。ウチ、そこまでしてお金欲しくないわー」


 笑い声が冷たく響く。その中心には俺と同じ学年の女子たち。中庭のベンチで、あからさまに水原の名前を口にしている。


「あの顔も実は整形だったりしてね。おっさんに媚び売って稼いだ金でさ」


「ぎゃはは、ありそー」


 視線を向けると、校舎の壁にもたれる水原の姿が目に入った。

 少し遠くからでもわかる、無理に平然を装った表情。だが、手元に視線を落とし、小刻みに震えているのが見えた。


 俺の胸がざわついた。


(水原……)


 水原はも何も言わず、踵を返して静かにその場を立ち去る。その背中はいつもの堂々とした雰囲気ではなく、どこか小さく映った。


(……何か言い返すでもなく、ただ行くのかよ)


 俺は反射的に水原の後を追いかけた。


「水原」


 呼びかけると、彼女は一瞬だけ足を止めたが、振り返らずに再び歩き出す。


「待てって!」


 俺は急いで距離を詰め、彼女の横に並ぶ。


 水原は足を止め、ゆっくりと俺の方を向いた。その顔には、いつもの笑顔は見当たらない。


「あ、川崎くん。どうしたの?」


「どうしたって……いやさっきの聞いてたんだろ。あんなこと言われて、何も言い返さないのかよ?」


「いやいや言ってもどうしようもないじゃん。あたしのこと信じてる人なんて、いないんだから」


 その声は、かすかに震えていた。俺は思わず息を呑む。


「そんなことねえよ。少なくとも、俺は水原を信じてる。ったくお前から言わないなら俺からアイツらに言うけどいいよな」


「やめて」


 水原が俺の言葉を遮り、少し俯いた。そして、深く息を吐く。


「……川崎くん、正直に言うよ」


 少し震える声だった。俺は自然と身を乗り出す。


「最初に川崎くんに彼氏役を頼んだ時ね……あれ、ただの思いつきじゃなかった」


 その言葉に俺は一瞬、息を呑む。


「あたしさ、昔からパパ活とかする“そういう女”だって思われてるんだよね。きっかけは中学の頃だったかな……」


 水原の視線は遠くを見ていた。

 まるで、そこに過去の情景が浮かんでいるかのように。


「当時、家の経済状況がひどくてさ、本来はダメなんだけど融通効かしてもらってバイトしてたの。で、そのバイト先の店長が妙に優しくて……。でも、それがだんだんおかしな方向に向かい始めて。最終的に怖くなって辞めたんだけど、ある時その人と二人でいるところを誰かに見られたらしくて。それが、あたしの“噂”の始まり」


 水原は薄く笑う。だがその笑顔は、どこか切なく感じた。


「高校に上がったら、もう過去のことだと思ってた。ここには同じ中学の人いないから大丈夫だって。でも、白野先輩に別れを告げてから、数日したらいつの間にか噂が立ってて……しかも“証拠”が追加されてた。“おじさんとホテルに行くとこ見た”とか、“深夜にクラブに出入りしてる”とかさ」


「でもそれ全部嘘だろ?」


「当たり前じゃん。でも写真偽造されたらどうしようもない。嘘だって証明の仕方もわからないし。てか、こういう噂を信じる人は、真実なんかどうでもいいって思ってるじゃん」


 水原の声はひどく落ち込んでいる。


「だから、せめて“ちゃんとした彼氏がいる”っていう事実を作りたかったの。彼氏がいて幸せそうにしてたら、あたしの噂を疑う人が出てくるかもしれない。なによりその彼氏にあたしを守ってほしかった」


 水原は一度だけ目を閉じ、静かに言葉を続けた。


「でも、適当に選ぶわけにもいかなかった。噂のせいで、下手な相手に頼んだら、その人まで巻き込むかもしれないでしょ? だから」


「俺を選んだのか?」


「うん。川崎くん、何かあってもあんまり周りの目を気にしなさそうだし、しっかりしてそうだったから……それに川崎くんは……」


 水原は段々と声のトーンを下げて、言い淀む。


「えっと、だからね。月に百万円の値段を提示して彼氏になってってお願いしたのも、あたしなりに考えた結果だよ。もし噂のせいで川崎くんが被害を受けても、ちゃんと責任を取れるように、って」


「責任って」


 俺は思わず言葉を飲み込む。水原の真剣な眼差しを見て、それ以上言えなくなった。


「でもやっぱり間違ってるよね。あたしの問題に、関係のない川崎くんを巻き込むのは」


 水原の目に、わずかな涙が浮かんでいるのが見えた。俺は拳を握りしめる。


「あたし、ほんと自分のことしか考えてない最低人間でしょ。幻滅してくれていいよ」


「幻滅なんかするかよ」


 俺の言葉に、水原は目を丸くして俺を見つめていた。


「ていうか間違いって認めるなら、これからお前は一人で抱え込んで全部背負い込むつもりなのか?」


「……それは」

「そういうの見てて疲れる」


 俺は軽く肩をすくめる。


「それに……もう俺は巻き込まれてるんだよ、今更手遅れだ」


 水原は一瞬口を開きかけたが、俺の言葉を聞いてそのまま閉じた。


 俺は溜め息をつきながら続ける。


「あんま自分の話したくないから簡潔に言うぞ」


「え、あ、うん」


「俺、母親に捨てられたんだ。出来の悪い息子がお気に召さないみたいでさ。だから、安いアパートで一人暮らししてるし、まぁまぁ金には困ってる」


「え、えっと……」


「だから、月に百万もらえる仕事ならやらない理由はない」


 水原は戸惑いの色を目に宿しながら。


「で、でも昨日お願いした時は難色示してたじゃん。お金に困ってるならなんで昨日は」

「わかんねえかな。今の水原の話を聞いて協力したいって思ったんだよ。以上」


 水原は驚いたように目を見開いていたが、やがて小さく笑った。


「……ほんと、川崎くんって変な人だね」


「そりゃどーも」


 俺がぶっきらぼうに言うと、水原は口元を抑えて笑った。


「じゃあ川崎くん、あたしの彼氏になってくれる?」


「給料分くらいは働いてやるよ」


 俺は肩をすくめながら返事をする。水原はそんな俺の言葉に少しだけ笑って、でもその笑顔はどこか安心したように見えた。


「ありがとう。やっぱり川崎くんは変わらないね」


「は? なにが?」


「ううん。あ、川崎くんお昼ご飯まだでしょ? 一緒に食べよ?」


「いや飯は基本一人で食べるから」


「ふぅん、あたしの彼氏なのに付いてきてくれないんだ?」


「……行く行く、行けばいいんだろ」


 俺は軽く首を振りながら、水原と一緒に歩き出した。



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