昼休み。
俺はいつものように図書室にいた。
静謐なこの場所で読書に興じるこの時間は、俺にとって至福の時間……なのだけど、
昨日に引き続き今日も邪魔が入ってきた。
「おーいおいおーい、こっち見てってば、ねえ」
ツンツンと俺の頬が小突かれる。
俺は肩を小さく落とし、胡乱な眼差しを向けた。
「何の用ですか、水原先輩」
「あれ? あたしが先輩だって教えたっけ?」
水原は目を細めて意地悪そうに笑った。その態度に少し苛立ちながらも。
「今朝、リセが教えてくれました。で、何の用ですか?」
「ふーん、リセちゃんって名前なんだ、あの子」
水原は俺の話を無視して、机に肘をついてニヤリと笑う。
「ねぇ、川崎くん。あの幼馴染ちゃんとは実際のところどういう関係なの?」
「何が言いたいんですか」
「いや、あの子と川崎くんが恋人同士だったらちょっと困るなぁって」
水原の顔が俺に近づく。冗談交じりのようで、どこか真剣な色も含まれている。
「意味分かんねえ」
俺が冷たく返すと、水原は小さく笑って顔を引いた。
「てか、どうして俺の名前知ってるんですか。名乗った覚えないですけど」
「あ、気になる? あたしのこと気になっちゃってる?」
グイッと顔を近づけて、頬を緩ませる水原。うぜえ。
「別にどうでもいいですけど。用件ないならどっか行ってくれません?」
「もう、すぐ冷たくするんだから。用件ならあるよ。今日もあたしの彼氏になってよ」
「は?」
「だから彼氏になって」
水原が真正面から目を見据えてくる。
「もちろん報酬は昨日と同じく三万円。悪い話じゃないでしょう?」
水原の言葉に、一瞬思考が停止した。
「……またですか。昨日だけの話じゃなかったんですか?」
「うん。お願い」
水原は軽やかに笑う。その無邪気な姿を見て、俺は眉間にしわを寄せた。
「お断りします。他の人にあたってください」
「三万円だよ? 昨日みたいに、ちょっと一緒にいてくれるだけでいいんだよ?」
「だから、そういう問題じゃ──」
「リセちゃんがいるからダメ?」
水原の口元がゆるく持ち上がる。その名前を出された瞬間、俺は言葉を詰まらせた。
「リセは関係ないだろ」
「へぇ~? じゃあ問題ないね! よし決まり、また放課後よろしくね♪」
勝手に話を進める水原に、俺は呆れを通り越して呑まれるしかなかった。反論しようと口を開いた瞬間、彼女はすっと立ち上がり、三万円をテーブルに置いて図書室を後にしていった。
放課後。昨日と同じく裏門に行くと水原が先に待っていた。金髪を風になびかせながら、こちらに向かって手を振ってくる。
「遅いよ、川崎くん」
「約束した覚えないんですけど」
「でも来てくれてるじゃん。素直じゃないねぇ」
水原はニヤリと笑い、俺の腕に自然と手を絡ませた。その瞬間、背筋が硬直する。
「離してください」
「だーめ。あたしの彼氏でしょ? てかタメ口でいーよ。君に敬語使われるのなんか気持ち悪いし」
「……まぁ、そっちが言うなら」
水原の態度に抗議しようとするが、どうにもうまく切り返せないまま、彼女に引っ張られるように街中を歩くことになった。
数十分後、繁華街に着いた俺たちはカフェに入った。水原はメニューを眺めながら楽しげに話す。
「川崎くんって甘いもの好き?」
「別に」
「そっかそっか。じゃあ、今日は特別にあたしが奢ってあげる!」
そう言って微笑む水原に、俺は困惑を隠せない。
正直、この状況に馴染めていなかった。
「……で、今日は何するんだ?」
「んー、とりあえずカフェでお茶して、それから……映画でも行こうか?」
「映画?」
「あ、もしかして……リセちゃんと行く予定とかある?」
鋭く探るようなその問いに、俺は少し狼狽した。
「いや、別に……」
「なら問題ないね」
水原は満足そうに頷き、楽しそうに話を続けた。しかし、その無邪気な笑顔の裏には何か意図が隠されているように思えてならない。
結局、水原に促されるがまま映画を観に行った。上映が終わる頃にはすっかり夜の帳が下りている。水原は満足そうに伸びをしながら。
「今日もありがとね、川崎くん」
「いや俺はまだ何もしてない。また何か元カレの対応とかさせたいんじゃないのか?」
「んー、今日はただ川崎くんとデートしたかっただけ。すごく楽しかったよ。じゃーね」
「は? ちょっと……」
そう言い残して、水原は笑顔のまま手を振りながら立ち去っていった。その後ろ姿を見送る俺の胸には、妙な疲労感とともに、どこか不穏な予感が広がっていた。