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第2話 冬祭り

 ──放課後

 俺は裏門前で水原を待っていた。


 裏門を使う生徒はほとんどいないから、周囲は閑散としている。

 俺は三万円をポケットにしまったまま、スマホをいじって時間を潰す。と、後ろから足音が近づいてきた。


「お待たせ、ダーリン♡」


 猫撫で声とともに、水原が軽やかな足取りでこちらに歩いてきた。制服の上に真っ赤なコート。白いマフラーを巻いている。寒さにも負けず、どこか楽しげだ。


「遅かったな」

「む。そこは今来たとこだよ、でしょ?」


 水原はあからさまに頬を膨らませ、ジト目で睨んでくる。

 俺はポケットから三万を取り出し、水原に差し出す。


「それよりこれ」

「ん?」

「こんな金受け取れない」

「でもこれは君への報酬だし、受け取ってもらわないと困るよ」

「まず俺は取引を引き受けてない」

「んー、そう言われても今から他に人探してる暇ないんだよね。だから諦めて」

「いや諦めろって言われても」

「それじゃ行こっか」

「お、おい……」


 水原は活気良く腕を前に突き出すと、俺の腕を引っ張った。その勢いで俺は少しよろめく。


「ちょ、ちょっと待てって」

「やだ」

「はぁ……ったく、どこに行く気だ?」

「それは着いてからのお楽しみ♪」


 水原の言葉は軽やかだが、その背後に妙な確信が感じられた。俺は内心で不安を抱えつつも、腕を引かれるまま歩き続ける。


 学校を出てから15分ほど経った頃、商店街の一角に差し掛かった。通りを見渡せば、休日でもないのにやけに賑やかだった。カラフルな屋台が並び、行き交う人々の笑い声や子どもたちのはしゃぎ声が響いている。


「なんだここ……」

「今日はここの冬祭りなんだよ。あたし、毎年楽しみにしてるんだ」


 水原は鼻歌を口ずさみながら子どもみたいに目を輝かせていた。その無邪気な様子に少しだけ警戒心が薄れたが、すぐに我に返る。


「で、この場所に金で雇った彼氏と行きたかったと?」

「そうそう」

「そんな理由で納得すると思うか?」

「う……まぁ、そうだよねぇ」


 俺が目尻を尖らせて視線を送ると、水原は苦い顔をして頬を指先で掻いた。

 水原はキョロキョロと辺りを見回すと「やっぱ居た……」と呆れたようにこぼした。


「実はさ、元彼の対応に困ってんだよね、あたし」

「元彼?」

「ほら、あそこにいる人わかる?」


 水原が指差した先に目をやると、そこには黒いジャケットを羽織った背の高い男が立っていた。短髪で整った顔立ち、鋭い目つきに無造作な立ち振る舞い。

 彼は通行人に背を向け、スマホをいじっている。どこか余裕を漂わせているその様子から、近寄り難い雰囲気を感じる。


「あれがあたしの元カレ。白野しろの晴人はると


 水原の声に一瞬動揺が混じるのを感じた。


「元カレって別れても色々と気まずいことあるでしょ? 特に、あの人……まだあたしに未練タラタラみたいで」


 水原は困ったように笑った。


「未練ね……それなら話し合えばいいだろ?」

「それができたら苦労しないよ。あの人、全然話を聞いてくれないんだから。大学生のくせに余裕がないの余裕が! 別れ話した時、しばらく毎日学校の前で待ってたりしたんだよ?」

「ストーカーじゃねえか」


 思わず呟くと、水原は「でしょ?」と頷いた。


「あの人、あたしがこの冬祭りに毎年行ってること知ってるから、ああやって待ち伏せしてんだよ。あたしが一人でいると、また何か言われそうだし……だから君に彼氏のフリをお願いしたってわけ」


 俺は改めて水原の頼みの重さを感じながら。


「そんなややこしい状況に俺を巻き込むなよ……」

「君なら大丈夫かなって! 目つき悪いし力もありそうじゃん?」


「なんだその理由……」と呆れる俺を無視して、水原は急に俺の腕に絡みついてきた。


「ほらほら、彼氏っぽく振る舞ってよ? バレたら意味ないんだから」

「俺を盾に使うつもりか?」

「えへへ、最後まで付き合ってね」


 水原は笑顔で腕をさらに強く絡ませる。その間にも元彼の白野がこちらに気づいたらしく、じっと俺たちを見つめている。


「……しおり!」


 白野が声を上げながらこちらに歩み寄ってきた。

 低い声には明らかな苛立ちが含まれている。


「やば、気づかれた。えっと取り敢えずダーリンは横に立っててくれればいいから」

「え、ああ、おお」


 嫌な予感を覚えながらも、今から逃げ出すこともできず、俺はゴクリと生唾を呑む。


「ねえ……そいつ誰?」


 白野は俺たちの目の前で立ち止まり、冷たい目で俺を睨みつける。


「この人は、あたしの彼氏です」

「彼氏って、いや嘘だよね……?」


 その言葉には怒りと困惑が入り混じっている。

 と、水原が俺の腕を強く引っ張った。


「今日付き合い始めたばっかりなんです。だから、お願いします白野先輩。もうあたしに構うのやめてください」

「……そ、そんな……なんでだよしおり」

「行こ、ダーリン♡」

「ああ、おう」


 水原に強引な引っ張られ、俺たちは白野の前から立ち去った。


「さっきの奴、本当に大丈夫なのか?」


 俺は人混みの中、まだ落ち着かない心を抱えながら水原に訊ねる。


「大丈夫、大丈夫。ああ見えて怖いことしない人だから。ただしつこいだけ」


 水原は気にする素振りもなく、屋台の明かりに目を奪われながら歩いていく。たこ焼き屋の前で立ち止まり、「これ食べたい!」と指をさす姿は、さっきの張り詰めた空気を忘れさせるほどだった。


「お前、本当に肝が座ってるな……」

「そうかな? まぁ、そういうの慣れてるのかもね」


 慣れてる……?


「ほら、たこ焼き買お!」


 水原は俺の腕を引っ張り、無邪気に屋台のおじさんに注文を始めた。その横顔はどこか楽しげで、元カレの話なんて微塵も感じさせない。俺が代わりに財布を出そうとすると、彼女がすかさず手を出して制した。


「今日はあたしのおごり。君はただ楽しんでればいいの」

「三万も渡した上に奢りって……随分と金使い荒いな」

「いいのいいの。ダーリンには優しくしないと♡」


 冗談めかした言葉に俺は呆れながらもたこ焼きを受け取る。熱々のたこ焼きを口に放り込む彼女を見ていると、自然と緊張がほぐれていった。


 しかし、そんな穏やかな空気を壊すように、不意に背後から低い声が聞こえてきた。


「しおり……」


 振り向くと、白野が立っていた。人混みの中でも一際目立つその存在感は、寒空の下でも冷たい汗をかかせるほどの迫力がある。


「白野先輩……」


 さっきまでの明るい表情を消し、水原が小さく呟く。


「さっきの話、嘘だよね? こんな奴が、しおりの彼氏なわけないでしょ?」


 白野は俺を見下ろし、挑発的な視線を送ってきた。その言葉にカチンときた俺は、無意識に口を開いていた。


「こんな奴とは失礼だな」


「……は?」


 白野の顔が一瞬、驚きに歪む。水原も目を丸くして俺を見上げた。


「アンタがどう思おうが関係ないが、俺たちは付き合ってる。それが事実だ」


 俺自身、どこから湧いてきたのかわからない勢いで言い切った。白野の鋭い視線がさらに強まるが、水原が俺の腕にしがみつきながら口を開いた。


「そうです。もう先輩とあたしは終わったんです。わかってください」


「……そう」


 短く呟くと、白野は少しだけ顔を歪め、それ以上は何も言わずに踵を返した。その背中はやや力なく、俺たちに背を向けて消えていく。


「行ったか……?」


 俺が呟くと、水原はふっと力を抜いてため息をついた。


「ありがと! 今の、すごく助かった!」

「別に。お前が変なこと頼むから、こうなっただけだろ」


 ぶっきらぼうに答えると、水原は柔和な笑みを浮かべて。


「それでも、嬉しかったよ。本当にありがとう!」


 俺はなんとも言えない気恥ずかしさを感じながら、もう一つたこ焼きを口に放り込んだ。


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