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9食目 新たな味を開拓しよう


「……うーん、これはいけない。これはいけないな」


温かい湯の中でそんな事を言いながら、注文した酒を呷る。

場所は温泉街イロハ、その中でも入浴中に食事が出来るという湯屋兼飲食店に私は訪れていた。

流石にゲーム内という事で、温泉に入る場合は水着のようなインナーを強制的に着せられたものの、それでも身体に感じる温かみというのは変わらない。

少し熱いかな、と感じる湯に足先から徐々に慣らしていき……そして最終的に全身浸かって、冷たい酒を飲む。

唯一惜しい所があるとすれば、ゲーム内故に酒を飲んだとしても酩酊感を味わう事が出来ない点だろうか。

その分、しっかりデバフとして『酩酊』というのは入っているのだが……温泉の効能なのかなんなのか、それすらも秒単位で消えていく。

しっかり作り込んでくれているのは嬉しいが、こういう所は無粋だなと少しだけ思ってしまうのは仕方のない事だろうか。


「っとと。あがらないと延々繰り返す事になるなコレは」


だがそれでも、温泉の魔力というのは恐ろしいもので。

かれこれ約1時間ほど出汁を取られ続けた私は、このままでは不味いと温泉からあがり。料金を支払った後に外へと出る。


私とクリスが『ダーギリ森林』を攻略した次の日。

イロハの探索と題打って散策してみたはいいものの、この温泉街は誘惑が多すぎた。

温泉に始まり、和風だからなのか初期地点の街にはなかった和食系の飲食店。

それ以外にも、賭博場や刀鍛冶の店など人によっては街の中だけで1日どころか2~3日は潰せることだろう。

かく言う私も、フォレストウルフなどの素材を換金し温泉などを楽しんでいるのだが……これは別段、VRMMOという環境内でやる事ではない。


「今日は……うん。イロハ周辺はクリスちゃんがいる時にしよう」


そう言いながら、街の寺院へと足を向ける。

神殿や寺院といった施設では治療以外にも各拠点(といっても現状2つしかないのだが)に転移することが出来るのだ。

初期地点の街へと転移した私はそのまま街から出て南へと向かう。


「今日は『ライオット草原』を探索してみようか」


名もなき草原を突っ切っていくと、マップ上に『ライオット草原』という名称が浮かび上がった。

しかしながら、周囲の景色は殆ど変わらない。

地続きの大地の景色が突然一変されても困るが、こうほぼ何も変わらないと少しだけ反応に困ってしまう所ではある。だが、長閑で良いエリアだとそう思った。

『ダーギリ森林』のように長物の得物を扱うのに邪魔となる木々は無いし、特に視界の邪魔になるようなものも無い為、戦闘や索敵はしやすいはずだ。

そんな場所だというのに、プレイヤーの姿はほぼほぼ見当たらない。それを少しだけ疑問に思いながらも、私はスキルの発動を意識しながら更に奥へと進んでいく。


「……ん?【眷属顕現】」


私の声に合わせ、足元から影狼が出現しこちらを見上げるように近くへと控える。

1人で厳しい敵性モブがこちらへと寄ってくるのをスキルで探知したわけではない。

寧ろ、その逆。

私から逃げていくような気配はあれど、こちらへと襲い掛かってこようとする……所謂フォレストウルフのようなモブが周囲に存在していないのが気になったのだ。

影狼に対し、私から離れて周囲を探索し獲物が居たら狩ってくるように指示して行動を開始させる。


それと共に私も私で改めて【危機察知】、【第六感】を意識しながら周囲を探るものの……本当にこちらへと寄ってくるような反応は見当たらない。

辛うじて見える位置に何かが居たとしても、私が見ているのに気が付けばすぐさま逃げ出してしまうため戦闘にすらならない。

恐らく『ダーギリ森林』と同程度の戦闘力をもった敵性モブが最低限どこかには居るはずなのだが……こうも見つからないとどんどん足を進め、奥へと……ボス戦用のエリアへと近づいていくしかやる事がない。


私以外にプレイヤーが見当たらないのもある種納得がいってしまう。

ここは狩りという意味で見るならば割に合わない場所なのだ。

こちらを見れば逃げていくような存在を狩ろうとするのは中々に骨が折れる。

それこそクリスのように、弓などの遠距離武器を持っていなければ何一つ成果が出ないまま撤退することになるだろう。

生憎と、私は索敵に便利なスキルを持ってはいても追跡などを行えるスキルは持っていない。


「……ちょっと無理するのはアリかなぁ」


だが、それも通常の状態ならばという文言が枕に付く。

【背水の陣】、【飢餓の礎】によってゲリの速度に追いつくことが出来た私ならば、通常のエリアに存在する敵性モブに追いつけないなんて事は無いだろう。

仕方ないと思いながら左腕を包丁で斬りつけようかと思い手を見れば、そこには何も持っていない。

ボス戦用のエリアが目の前に見えてきたというのに武器の1つも出していなかった事に気が付いて苦笑してしまった。

スキルに何も反応がないからか、少しばかり気を抜きすぎている節がある。

意味があるかは分からないが、両の頬をパァンと良い音を鳴らしながら叩き気合を入れ直した。


「ふふ……じゃあやろうか」


あまり深く斬りつけてしまうと、その後に付与されるデバフによって自身の命のタイムリミットが短くなってしまう。

しかしながら、深く斬らねば満足するレベルでの強化がされない。

勝手に発現した【背水の陣】ではあるが、戦闘以外で必要な時に自傷しなければならないのは中々に厳しいものがあるなと思いつつ。

私はインベントリ内から【森狼の長包丁】を取り出し、左肩へと刃を入れる。

そしてゆっくりと下へと降ろしていくと、途中で肩の骨へと当たって刃が止まってしまうがそれでいい。

斬り落とすのは後々が面倒であるし、腕が骨折しただけで寺院の僧侶には色々と説法を垂れ流されたのだ。

繋がってさえいればある程度は見逃してもらえると、私はそう信じながら自身の身体から力が湧き上がってくる感覚を目を細めつつ受け止める。


【身体的損傷を確認:デバフを獲得しました】

【『出血』】


「【飢餓の礎】。君を使うようになってから、私のインベントリ内には食料が常備されたんだぜ?誇ってくれよゲリ」


そして次に発動したスキルによって、私の身体には更に力が湧き上がり。それと共に急激な空腹感も襲い掛かってきた。

ここからはしっかりと行動を開始しないと、自身のスキルのせいで死んでしまう。

足に力を入れ、ボス戦用のエリアとは別の方向へと走り出す。

瞬間、周囲の景色が流れ去っていくように強化された膂力によって身体が運ばれていく。

それに伴って強烈な風によって目が開けられなくなってしまった。

この状況ではまともに索敵など出来るわけもないが、私の索敵方法はスキルによる視界を介さない技術によって成り立っているものだ。

正直な話、身体が動くのならば目を開いている意味は薄い。

そう思うくらいには、私は【危機察知】、【第六感】の2つのスキルを信用していた。


「おっ、一瞬引っかかったねぇ」


無理矢理にも程がある方法でエリア内を駆け回っていれば、【第六感】に反応があった。

少し大きめな、呼吸をしている生物の反応だ。

その反応へと向かう為に、右足を軸という名の犠牲に方向転換を行い、再度地面を蹴った。

これが他のプレイヤーに見られたらどんな事を言われるのかと少しだけ考えてしまうが、まぁ良いだろう。

敵性モブと勘違いされ攻撃されたなら、その時はその時だ。


そんな事を考えていれば。

反応はすぐ目の前に迫っており、既に止まるには遅い位置になっていた。


「……やべ」


私は激突する。

巨大な四足の何かとぶつかり、揉みくちゃになりながらも草原を少し転がって。

勢いがある程度収まったところで自力で体勢を立て直しながら目を開く。

そこには、


「『メドウディア』……草原の鹿、かな。見た目はそのまま鹿だし多分そうだねぇ」


横になって、気絶しているのかぴくぴくと白目を剥いて動かなくなっている鹿の姿があった。

私が全面的に悪いものの、鹿という危機察知能力はそれ相応に高いであろう草食動物も咄嗟の反応が出来ないほどの速度を出していたのかと、少しだけ薄ら寒いものが背筋を撫でる。

今後はどちらか1つの強化スキルだけを使う事にしようと考えながら、手に持ったままだった【森狼の長包丁】を使い、気絶しているメドウディアの首を斬り出血させる。

そのまま起きられても困るため、眼球から刃を刺し入れて脳を破壊し動かないようにしておく。

そんな事をしていれば、鹿の名称が『メドウディアの死体』へと変化したため、少しだけ息を吐いた。


本当ならばここからきちんと血抜きなどをしなければいけないのだろうが……生憎とここは草原だ。

吊るせるような木や、死体を漬けておける川などは見当たらない。

最低限、魚を寝かせる時のように内臓だけは取ってしまおうと腹を開き、そこに収まっていた内臓を全て右手で掻き出して綺麗にしていく。

死体から外に出す度に光の粒子へと変わっていくのは少しだけ楽しいポイントだ。


一連の流れが終わった後、私はHP回復用のポーションを飲みつつ、【飢餓の礎】を解除した。

ここからは街に戻ってギルドで解体してもらうだけなので、今の状態ならばHPの残量にさえ気を付けていれば恩恵を受けられる【背水の陣】の方がコストの管理がしやすいからだ。

逆に【飢餓の礎】は満腹度がパッと見で見れない為、コスト管理がしにくい方と言えるだろう。

その分、効力が高いから良いモノではあるのだが。


「よっし、じゃあ戻るかぁ」


右手でメドウディアの死体を両肩に乗せるような形で担ぎ上げてみる。

軽いとは間違っても言えないものの、担ぎ上げられないとは言えないほどの重さ。

大きさからして成体ではあると思うのだが、内臓やある程度の血を抜いたからなのか運べる程度で助かったと思いつつ、私は街へと向かって走り始めた。

今回は何かに追われるわけではないのだが……少しだけ、本当にちょっとだけ背後を気にしながら走ってしまうのは仕方のないことだろう。

『ダーギリ森林』ではフォレストウルフに追われる事が日常茶飯事のようなものだったのだから。


ちなみに影狼の方は既にスキルを解除してある。

本当に最低限の鹿の処理をしている間にも帰ってこなかったのだから仕方のないことだ。

今度から影狼も探索には出さずに近くで控えていてもらう事にする……のだが。

私が本気で移動をし始めた時、影狼は果たして追いつけるのだろうかと考え……頭を横に振ってなかった事にする。

追いつけなかった時の事を考えるよりは、ラグはあるだろうが必要になったら発動と解除を繰り返した方が確実だからだ。


「……気になる事もあるし、鹿の解体を任せて治療したらボスに挑んでみるかな」


『ライオット草原』。

ほぼ何も下調べをしていないが、あれほどまでにこちらへと寄ってこないモブしかいないのであれば、次はボスに挑むくらいしかやる事はないだろう。

狩りをするにしても、やはり効率は悪い。

どちらか一方で良いと考えてはいるものの、私が強化スキルを使わければまともに触れられる距離にまで近づけないのだから仕方がない。

ボスに挑めばその辺りの事情も少しは把握できるだろうと淡い希望を持ちながら、私は街へと駆けていった。


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