今年の西関東大会は群馬県の前橋市で行われる。
出場するのは、山梨県をはじめ、埼玉県、群馬県、新潟県から選ばれた代表校たち。
全国大会への切符は、この高校A部門で三校に絞られる。
ここ数年、埼玉の御三家と呼ばれる学校が、その座を独占しているが、私たちはまずこの大会に出ることを目標にやってきた。
そして瑞希の言葉で、さらに良い演奏を目指すことに決めた。
お祭りの後、三年生だけで改めてミーティングをすることになった。
まず全員が、それぞれ本音を話すことに。いや、これが意外と多種多様で驚いた。
三年間も一緒にいたのに、やっぱり本音って簡単には出てこないものなんだな。
でも、そのぶつかり合いがあったからこそ、さらに話し合いは深まった。どうすればみんなが納得して、満足して終われるか。
正直、難関大学を目指す子たちは「受験も大事」と言っていた。それはそうだ。
でも、それ以上に「このまま引退するのもなんだか嫌だ」って、つぶやく声も多かった。
その声を聞いた途端、瑞希が突然涙を流した。人前で涙を見せるなんて、彼女にとっては初めてのことだ。驚きと同時に、三年生全体で何かがまとまったような気がした。
その後の全学年ミーティングでは、これまでの経緯を正直に話し、後輩たちに謝罪した。
隠し事は一切なし。きっとこの子たちも、この学校の特性上、いつか同じような壁にぶつかるだろうと思う。
そして、その上で、「後悔しない演奏をしよう」という方針を全員で確認し合った。
話し合いがまとまり、空気が和らいでいく中、ふと見ると土橋がどこか嬉しそうにこちらを見ていた。
もちろん私の個人的なことも色々進んだ。お祭りの後、時間を許す限り、私は大気君と一緒に遊んだ。まず、行きたがっていた湯村のカフェに行った。そこのケーキが美味しくて、何よりマスターご夫妻の人柄に惹かれた。
その他にも、甲府駅近くの商店街や百貨店。また愛宕山の方や、強歩大会で行く、千代田湖にも遊びに行った。
正直、練習と受験勉強、そして家が遠いこともあって、時間を作るのは難しくて限られていた。それでも、その時間こそが特別で、宝物のような思い出になった。
そして今。大会のため、今日は前泊で群馬県内の温泉宿に泊まることになった。
学校をお昼前に出発し、長野県経由で向かう。
大会直前に別のホールを借りて、練習することもできるが、今回はそうせず、敢えて早起きして、午前中に学校でみっちり練習をしてから向かう。
朝一に行くと、いつものように大気君はいた。
「おはよう! 大気君」
「おはようございます!」
それが、何よりも嬉しかった。
練習後、楽器をトラックに載せ、バスに整列する。
今日は金曜日で、他の生徒たちは授業をしている。大会のため、吹奏楽部は免除され、部活の半日練習のスケジュールとなっていた。正直、見送りが無いのは寂しいけど、とりあえず今は大会に集中したい。
今回は甲子園の時と違って、瑠璃と隣の席だ。瑠璃は「楽しみね」と浮かれつつ、バスはゆっくりと動き出す。
その瞬間、ラインの通知が鳴った。
『練習で行けませんが、応援しています!』
大気君からのメッセージ。心が少し温かくなった。
バスに揺られながら、高速道路に乗る。瑞希の指示で、歌合奏が始まる。私は何度も楽譜を確認しながら、まじまじとその曲に向き合っていた。
渋谷での演奏を聴いた後、ロビーで偶然出会った土橋の教え子、武山さんという、女性のティンパニー奏者に会った。
「チケット? 演奏会のことは話したけど、送ってないなあ……」
少し不思議そうにしていた。
そして少し会話すると、彼女はなんと、かつてバーンズ本人が指揮する演奏を聴いたことがあるらしい。
あるウインドオーケストラの客演指揮者として、たまたま今年に来日していたそうだ。
武山さん曰く、遠くから見たバーンズは、白髪が印象的な外国の紳士で、それ以上のイメージは持たなかったとのこと。
けれど、彼女が言うには、「君たちが勝手にイメージを作り上げるのではなく、作曲者自身がどんな思いで曲を書いたのか、もっと考えてみるのも大切かもしれない」とのこと。その言葉が妙に心に響いた。
もちろん部全体でもその話をしたが、再度個人的に調べることにした。
しかし、情報は限られていて、どこまでが正しいのか分からない。曲の解釈に関するサイトもほとんどが英語だ。
それでも、そのサイトに書かれていたことを翻訳してみると、いくつか新しい情報が得られた。
まず、第三楽章。私たちはそれを「娘との思い出」と解釈していたが、実際には「もしナタリーが生きていたら」という仮想の世界を描いたファンタジーであることが分かった。しかし、死への悲しみや、死者への別れという部分では、おおよそ私たちのイメージ通りだと感じた。
そして、第四楽章。驚くべきことに、バーンズ夫妻に新しい子どもが誕生したことが影響していると書かれていた。第三楽章は亡くなった娘への追悼であり、第四楽章は新たに生まれた息子への祝福を込めた楽章だ。
しかし、気になる点もある。第四楽章が息子のための楽章と言われつつも、娘ナタリーの葬儀で使われた曲が第二主題として使われている。単純にこの楽章を息子の喜びのためだけに解釈することが適切か、疑問が残る。
確かに、武山さんたちの演奏でも、第四楽章はただの明るさではなく、どこか哀愁や悲しみを含んだ、複雑な喜びのように感じられた。
きっと、その部分の解釈がまだはっきりしていないのだろう。でもそこに、何かの答えがあるように感じた。
ふと気づくと、歌合奏は終わっていた。
八ヶ岳のサービスエリアを越えて、もうすぐ長野県に入るところだ。
明日の大会では、おそらく私の吹奏楽人生において、一つの大きな節目を迎えるだろう。心の中で、後悔しない演奏をしたいという気持ちが強くなった。