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二〇一七年八月二十六日 その3

 今日の部活動には、三年生の何人かが欠席していた。

 理由は塾だと言っていたが、おそらくあの日の出来事が影響しているだろうと、誰もが察していた。

 三年生の微妙な気まずさは、そのまま一年生や二年生にも伝わり、部全体に重苦しい空気を漂わせていた。

 しかし、良いこともあった。

 瑞希の意見に賛同する者も少なくなく、瑠璃をはじめ、何人かは積極的に動き、部の雰囲気を変えようと行動してくれた。

 それでも、全体としては不安が残る。

 このまま何人か欠けた状態で西関東大会に出るなんて、絶対に嫌だ。そんな強い思いが胸に渦巻いていた。

 正直、この時どうすればいいか、とても悩んだ。だからこそ大気君にも相談したかったが、あのノートの内容を思い出すと、相談しにくかった。

 大気君は今や完璧に大気君だが、いつまで大気君でいられるのだろうか。

 おそらく私と接する場面が増えたため、工藤光ではなく、輿水大気として自分を意識する時間が増え、結果的に記憶を忘れさせないようにしている。

 けれど、本当にこのままでいいのだろうか。

 私自身は楽しいし、幸せだ。けれど、工藤光君自身にとっては、不憫に思えてしまう。

 自ら命を絶った罰として捉えられるかもしれないが、それで本当にいいのだろうか。

 そんな複雑なことを考えてしまった結果、大気君と過ごす時間は、楽しい時間として大切にしたいと思うようになった。

 今日の部活も悲しさに涙を流してしまったが、それを隠して、お祭りを楽しむことに決めていた。

 しかし、やはり大気君は大気君だ。

 そのことに気づいた彼は、すぐに寄り添ってくれた。

 その優しさに、私は嬉しく思いながらも、やはり彼は工藤光ではなく、輿水大気なのだと感じる。

「俺が思うには、まだ可能性はあると思います」

 その一言に、私は驚きつつも、つい耳を傾けた。

「正直、俺だってよくぶつかることがあります。昨日なんて、矢部と大喧嘩したばかりです(笑)。あいつ、いやいや投手をやっているから、ずっと拗ねているんです。でも、東さんも引退したし、そろそろ本気でやろうぜって伝えました」

 大気君は真剣な表情でありながら、どこか楽しげに語り始めた。

「そしたら、案の定ぶちギレました。『お前に俺の気持ちが分かるか』って。まあ、それも一理あります。矢部はもともと守備が好きで、外野手の方が得意だった。でも、チーム事情で無理やりポジションを変えられて、しょうがないから受け入れた。それで頑張ろうと思っていた矢先、転校生の俺がピッチャーとして来て、そいつに活躍の場を奪われる形になったんです」

 大気君は少し笑いながら話を続けた。

「もちろん、今年の夏は死んだ大気、つまり俺のために必死だったから、何も思わなかったそうです。でも、その役目が終わった今、ふと考えちゃうんでしょうね。『俺はなんで投手をやっているんだろう』って。それで、そんな矢部に転校生の俺が『しっかりやろうぜ』なんて言ったら、そりゃキレますよね」

 大気君は「分かる、分かる」とうなずきながら笑っていた。その姿が、どこか力を抜いてくれるようだった。

「それでどうなったの?」

 私は少し不安を抱えながら恐る恐る聞いてみた。

「え? そこからは簡単ですよ。一緒に監督のところに行って、三人で話し合いをしました。最初は矢部、一人で行くのを嫌がっていましたけど、俺が『一緒に行こう』って言ったら、しぶしぶ同意してくれました」

 大気君は軽く肩をすくめながら続けた。

「そしたら、監督も矢部の悩みに、全然気づいていなかったって謝りました。それで、これからの方向性を一緒に考えようとなり、矢部本人がどう思っているかは分からないけど、正直あいつ、めちゃくちゃいい球を持っています。それで、今後は投手と外野手の二刀流でやることになりました。冬のトレーニングで両方を磨く感じです。もちろん、一年生のピッチャーも育ってきていますけど、まだまだ経験が足りない。矢部には予備の投手をしつつ、本来好きだった外野手の道も探ってもらおうって話になりました! めでたしめでたし」

 大気君の話を聞きながら、「そういうものか」とぼんやり思う私。そのぽかんとした表情を見たのか、大気君はクスッと笑いながら補足した。

「ですから、千沙先輩たちだって大丈夫です。本音で話すことで、道が開けることもあります。要は、前に進む勇気です。それだけでいいんじゃないですか?」

 その言葉に、私は小さくうなずいた。

 前に進む勇気。それがきっと、今の私たちに一番必要なことだと感じた。

 夜空に大きな音が響き渡り、花火が咲いた。

 大気君はその音に反応して顔を上げ、夜空を見つめた。

 色とりどりの光が空一面に広がり、儚く消えていく。その横顔を見ていると、胸の奥がじんと熱くなる。

 大気君がこうして隣にいてくれること、それが何より嬉しかった。どんな時も寄り添い、支えになってくれる。本当に、かけがえのない存在だ。

 でも、どうしてもまた気になってしまう。あの日記に書かれていたこと。

 おそらく、大気君が記憶を失うことは、避けられないんだろう。

 あの後、私はいろいろ調べた。同じような事例はあるけれど、どれも最後にはその「前世の記憶」を失ってしまっている。だから、いつかは大気君もいなくなるのだと覚悟しなきゃいけない。

 でも、いやだからこそ、今を大切にしたい。

 今を大切にするって、青春だと思う。何かを得るためには何かを犠牲にする。それに気づかないまま、私たちは夢中で今を走り続けているんだ。

 私は吹奏楽部に全力を注いでいるし、大気君は野球に没頭している。そのことで他にできるはずだったことを諦めているかもしれない。

 でも、それを後悔したくない。この選択が間違っていたとは、絶対に思いたくない。

 瑞希の意見に賛成することだって、誰かの反発を招くかもしれない。でも、それで得られるものもきっとあるはずだ。だから、私は迷わず前に進みたい。やらずに後悔するより、やって後悔したいと思うから。

「花火、綺麗ですね」

 あとどれくらい、一緒にいられるか分からない大気君。だからこそ、ここも勇気を持って、思いっきり楽しみたい。

 私は大気君が振り向く瞬間、した。


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