夜が深まり、会場はますます熱気を帯びていた。
浴衣姿の人々がひらひらと風に揺れる様子は、どこか風情があり、目を引く。だが、俺も千沙先輩も制服のままだ。部活終わりにそのまま来たからだ。
田中雪は甲府駅近くに住んでいるから、きっと着替えてから来たのだろう。
そんなことを考えていると、先輩が横で小さくつぶやいた。
「浴衣で来て欲しかった?」
うーん、答えに困る質問だ。
欲しかったと答えれば、がっついているように思われそうだし、逆に欲しくないと答えれば、強がっているように感じられるだろう。
女の子のこういう質問って、うまく切り返さなければならない最強の武器だと思う。
「はい。でも、そもそも、二人で来られたことが何よりも嬉しいです」
千沙先輩は少し照れた様子で「そう」と言い、しかしその表情には嫌な感じはまったくなかった。安心して、思わず口元が緩んだ。
「それより、大気君、何か私にちょうだいよ」
「唐突ですね。食べ物がいいですか?」
「ううん。記念に残る物がいい」
記念……そうか、お祭りに来られるのも、これが最後かもしれない。先輩もそのことを分かっているだろうか。
そんなことを思いながら、二人で射的の屋台に向かった。
「へい、らっしゃい!」
威勢の良い声が飛んできて、思わず笑いそうになる。
寿司屋みたいだな、とふと思うと、周りでは子どもたちが並び、的を狙っては苦戦している。
皆が狙っているのは、あのゲーム機だ。倒せるわけがないだろうと、内心で思いながら、五百円を払い、球とおもちゃの銃を受け取った。
球は五発か。
「先輩、何が欲しいですか?」
「んー、あのアヒル」
「アヒル?」
一見、ただのアヒルの玩具に見えるが、近くの看板には、「アヒルを倒すと、スペシャルプレゼントもあるよ!」と書いてある。
なるほど、あれか。
俺は「おっけいです」と言って、銃を構えた。
特にこういうものに詳しいわけではないが、やっぱり負けたくはない。集中して狙いを定める。
第一射目。アヒルをかすめて外れる。
「はい~お兄ちゃんざんねーん。カッコ悪い!」
屋台のお兄さんのうるさい声が耳に入る。ささやき戦術かよ。
千沙先輩は後ろで黙って見守っている。これがただの射的じゃないことを感じる。何か特別な緊張感がある。
気を取り直して、次の球を装填して構える。
だが、第一射で気づいたことがある。
この銃は微妙にシュート気味に弾が変化する。これを理解すれば、きっと狙いを定めやすいはずだ。
第二射目。アヒルの胴体に当たったが、アヒルはびくとも動かない。
まさか、こんなに固いのか?
瞬時に屋台のお兄さんに目をやると、ニヤニヤしながら「ざんねーん」と言ってきた。
こいつ、やりやがったな。
その瞬間、アヒルに当たったことを見ていた千沙先輩と周りの子どもたちから、落胆の声が漏れる。
残りはあと三発。
ここで負けたら、完全に面目が立たない。男として、負けられない戦いがここにある。
俺は深呼吸をして、気持ちを引き締める。
大丈夫、まだカウントに余裕はある。
第三射目。アヒルの頭を狙い、弾を放つ。
少しだけアヒルが揺れる。
ああ、もう少しで落ちる。
瞬間的に屋台のお兄さんを見ると、表情が変わった。こいつ、焦り出したな。
その時、千沙先輩と周りの子どもたち、通行人からも声援が上がる。
「頑張れ! 頑張れ!」
その声が、俺の背中を押す。俺はもう一度深呼吸をして、戦いに挑む。
第四射目。アヒルが揺れたが、ギリギリ踏ん張り、落ちない。粘り強いアヒルだ。
俺は思わずその強さに驚愕する。その時、屋台のお兄さんが口を開いた。
「今なら、狙う物を変えてもいいよ」
正直迷った。もっと確実に狙える物も他にある。何もプレゼントできないより、確実の方がいいのではないか。
そう一瞬迷うと、後ろから「お願い!」と先輩の声が背中を押す。周りの子どもたちや観客も一緒に応援してくれる。
俺は気づいた。
みんなの期待を背負って逃げようとしていた自分が、どれだけ愚かだったか。
「俺はもう逃げない」
心に誓い、アヒルの対角線上に立つ。瞬時に狙いを決め、最後の弾を放った。
第五射目。クロスファイヤーをアヒルに浴びせる。
そこがおそらく一番響きそうだと思ったから。すると、結果は付いてくる。
「やった!」
アヒルが見事に倒れる。周りから歓声が上がり、千沙先輩も笑顔を見せてくれた。俺は勝ったんだ。
「さっきの、恥ずかしかったね」
千沙先輩は隣で笑っている。
俺はなんとなく、まだ中二病が完治していないんじゃないかと思い、心配になった。
「ですが、スペシャルプレゼント、微妙じゃないですか?」
「そうかな?」
アヒルを倒した後、お兄さんは不機嫌そうに「この中から好きな物を一つ選びな」と言いながら、スペシャルプレゼントの箱を差し出してきた。
その中身は明らかに子ども向けの玩具ばかりで、正直、少しがっかりした。
「けど、本当にそれで良かったんですか?」
「うん!」
先輩が選んだのは、ハート型のストーンがついたピンク色の指輪だった。
宝石は薄いピンク色で、確かに子どもっぽかったが、千沙先輩は嬉しそうにその指輪を手に取った。
その笑顔を見て、俺はホッとした。彼女が喜んでくれたなら、それでいいやと思う。
その後、俺たちは食べ物を買って花火会場に向かった。
「もうすぐですね」
「うん」
周りの喧騒が耳に入っていたが、俺は目の前の先輩に夢中だった。それだからか、今更、違和感に気が付いた。
「あれ? 今日、何か泣かれました?」
千沙先輩は驚いた様子で、手で目を隠した。
「え、え、何でいきなり?」
その様子から、きっと何かあったのかと、すぐに察しがついた。
黙って見守っていると、千沙先輩自身も観念したようで、ゆっくり最近あったことを話し始めた。