二〇一七年八月二十六日。

　俺はお祭りが好きだ。

　よく「キャンプの火を見ると落ち着く」と言う奴がいるが、俺は真逆だ。火を見ると、なぜか血が騒ぐタイプだ。だから必然的に、お祭りも好きになる。

　だって、あんなの火だらけじゃないか。提灯の明かり、屋台の鉄板から上がる炎、それだけでテンションが上がる。

　しかし、これほどの混雑だとは思わなかった。

　石和温泉駅は人で溢れ返り、まるで波に飲まれそうな気分だ。

　千沙先輩との集合時間にはまだ余裕がある。俺は駅の片隅でぼんやりと黄昏れていた。

「母さん、夕飯いらない」

　今朝、玄関で部活の支度をしながら軽く母親にも伝えた。

「あれ？　野球部のみんなと外食？」

「いや、お祭り行く～」

　もちろんお祭りで何かを食べても、腹八分目といったところだろう。何せ、竜王駅近くの大盛りの定食屋で、小さい頃から胃袋を鍛えられてきたのだ。あ、でも今の身体じゃきついかな。

　すると、台所から顔を出した母親が少しニヤニヤしながら聞いてきた。

「もしかして、お盆にデートした人と？」

「な、いや」

　動揺を悟られないように努めたが、顔は確実に赤くなっていた。

「やーね。別にいいのよ。そうかそうか」

　母親は、どこか納得した様子で頷いている。

「別にいいだろう、初めての彼女と行ったってさ......」

「え......うん、そうね......」

　母親は何か言いたげでありながら、言葉を躊躇しているようだった。

「どうしたの？」

　促してみるものの、母親はなおも言い渋っている。

　背中からじっとりと汗が伝う。

「あ、あのね光。いや、勘違いかもしれないけど」

　それでも毅然とした眼差しで、俺へ視線を投げかける。

「あなたって……誰？」

　俺は、その質問をされるケースを、全くと言っていいほど、想定していなかった。

「何、言ってんの？　俺は光だよ」

　慌てて否定した。

「......そうだよね。ごめん。私も何を言っているのかしらね……。退院後はさ、動揺もあったと思うけど、光らしくなかったもんね。でも最近は昔の光のようだし、気のせいよね（笑）」と言われ、ますます自分が工藤光になりつつある事実を思い出した。

　あと、どれくらい時間が残っているのだろうか。お祭りの雑踏の中、ついつい悲しい気持ちになる。

　その時、ふと人混みの中に見覚えのある顔を見つけた。

（あれ……りんと雪じゃないか？）

　二人は談笑しながら、お祭り会場の方へ進んでいく。

　まさか、りんの野郎が田中雪と？

　驚いた。よくやるな、あいつ。

　だが、これをはじめが見たら……。

　うん、確実に発狂するな。

　そんなことを考えていたら、後ろから妙に気色悪い声が聞こえた。

「だぁーれだぁ～」

　振り返るまでもなく分かる。

　ゴツゴツした手がほっぺたに触れる感触で確信した。

「……はじめ、お前面倒くさい」

「何よ～、私のこと待っていたんでしょ？」

　仕方なく振り向くと、案の定はじめがニヤニヤしている。

　さらにその後ろには信二や東さん、野球部の連中が揃っていた。

「はい、だりぃ」

　俺が気だるそうに呟くと、なぜかはじめが嬉しそうに笑う。

　やっぱりこいつ、きもい。けど、今の自分にとっては有難かった。

「ほら、はじめ。もうやめとけって」

　信二がため息混じりに制止する。

「え～、リア充をぶっ潰すのが人生の楽しみなのに～」

　はじめがぶつぶつ言っていると、信二が一言で黙らせた。

「りんご飴、奢ってやる」

「え、嘘！　本当に？」

「うん。東が」

「俺かよ」

　信二は宥めながら、そこから引率の先生のように、野球部連中を会場へ連れて行った。

　その様子を見て、思わず笑いそうになる。信二って本当にいい奴だな。一家に一台欲しいとはこのことだ。

　そんなことを考えていると、後ろから優しい声が聞こえた。

「待った？」

　振り返ると、そこには先輩が立っていた。