二〇一七年七月二十五日。
あの日、信二にすべてを打ち明けたとき、彼はまったく信じなかった。
まあ、当然だ。死者が蘇るなんて、まるでゾンビじゃないか。『スリラー』かよ。でも、信じてもらわなきゃ困る。
だから決勝戦の翌日、練習前に信二へ日記を渡した。そして、その日の夜、近くの公園に呼び出された。
「読んだ」
「おー、そうか」
俺はブランコをゆっくりと揺らしながら、適当に相槌を打った。
「本当に……大気なんだな」
「んー、まあね。とりあえずは」
信二の声は落ち着いていた。でも、それが本当の意味での落ち着きではないことは、すぐにわかった。
「なんでもっと早く言わなかったんだ」
暗くて表情はよく見えないが、声の調子で分かる。怒っている。
「ノートの通りだよ」
「なら、なぜ今さら告白した」
「……それもノートに書いてある通り」
信二は納得できていないようだった。でも、それ以上に、どうすればいいのか分からないらしく、ただ黙り込んでしまう。その姿に、俺は思わず苦笑した。やっぱり信二だ。優しいんだ、こいつは。
「まあ、ごめんな。でも、もう記憶もだいぶ曖昧になってきてるし、きっといつか“工藤光”になるんだと思う」
自分に言い聞かせるように、俺は言葉を続けた。
「いやー、俺も調べたんだよ。オカルトとか興味ないけどさ、信二のクラスの担任、こういうの詳しいじゃん? だから聞いてみたんだ。そしたら、たまにこういう事例があるらしい。無念を残して死んだ人間が、別の身体に乗り移って、生前の関係者の前に現れるって。でも、大抵は数ヶ月もすれば記憶が消えるんだってさ」
信二が何か言おうとする前に、俺はさらに言葉を重ねた。
「だからさ、こうやって甲子園に行けるの、最高だろ。いい思い出だよ。もしかしたら当日まで記憶が残るか分からないけど、それでも今は楽しい。何より、また信二と野球ができるし」
暗闇の中で、俺は信二に向かって笑ってみせた。それは嘘偽りのない、本音の笑顔だった。けれど、信二は何も言わなかった。
沈黙が、次第に胸に重くのしかかる。
どれくらいの時間が経ったのか分からない。遠くから近づいてくるバイクのエンジン音だけが、二人の間に響いた。
バイクのライトが信二の顔を照らす。
やっぱりな。
険しい顔をしている。何かを飲み込もうとしているような、でもそれができないような、苦渋に満ちた表情。
そして、信二はぽつりと呟いた。
「なんで」
「なんでって、何が?」
「もちろん、甲子園はそうだけど……なんで?」
「......なんでって?」
察しはついていた。だが、敢えて触れなかった。
しかし、信二の怒りが、ついに爆発する。
「なんで、千沙のことに触れない!」
予想はしていた。それでも、その一言は胸に突き刺さる。
「いや、それもノートの通りで……」
「俺のこと、バカにしてるのか? おい!」
暗闇の中でも、はっきりと分かる。信二の感情は、抑えきれずに溢れ出していた。息遣いすら荒い。
次の瞬間、彼は無言で俺に迫る。
逃げる間もなく、首元をがっちりと掴まれ、ブランコから無理やり立たされた。
「お前、死ぬ間際だって千沙のこと気にしてたよな。ノートにも、千沙のことばっかり。それなのに、今のままでいいのか?」
冷静にならなきゃいけない。でも、言葉が感情に押し流され、気づけば反論していた。
「そりゃ、千沙先輩のことは真剣に考えたさ。でもな、今、お前と幸せそうにしてるじゃん。俺のことを忘れて。それなら、それでいいだろ。死んだ俺が入り込む隙間なんて、どこにもないよ」
「だからって何だよ。お前……本当に千沙が、お前のことを忘れたと思ってるのか? 本当に、それでいいのか?」
「だったら、どうしろって言うんだよ!」
胸の奥から、感情が一気に噴き出した。
「死んだけど、生き返りました。今さら付き合ってくれってか? しかも、もうすぐ成仏するつもりだって? そんなクソみたいなこと、言えるわけないだろ。『私のお墓の前で泣かないでください』ってか? ふざけんな!」
「馬鹿野郎。今のお前の方がクソだ!」
信二の怒声が、静かな夜に響く。
「だからって、このままでいいはずがないだろ! お前が死んでから、千沙がどんな思いをしてきたか、知ってるのか? いまだに、お前のことを忘れられずに……どう思っているか、考えたことあるのかよ! 自分に酔って、自己完結するなよ、クソピッチャーが!」
信二と本気でぶつかったのは、去年の夏以来だろうか。
そして、今も変わらない。やっぱり、俺たちはバッテリーだ。言葉を超えて、気持ちが痛いほど伝わる。
気づけば、涙が頬を伝っていた。止めようとしても、もう無理だった。
視線を上げると、信二も泣いていた。
その姿を見て、俺の涙は、さらに溢れ出した。
言葉よりも確かに、涙が、俺たちの心の中にあるすべてを語っていた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
ふと気づくと、空気が少し静まり返っていて、遠くから虫の声が聞こえてきた。
「大気……俺、千沙と別れる」
「は?」
突然すぎる言葉に、思わず声が漏れた。
「俺も千沙が好きだ。世界一愛してる。でもな、だからこそ、大好きな人には、幸せになってほしい。大気、千沙に本音を話してこいよ」
その言葉が、胸に響く。
「けどさ……今更って……」
「大丈夫。千沙なら分かってくれるよ。授業は意外にしっかり受けてないけど、バカじゃない」
「でも、俺の意識が完全に消えたら……」
「なら、なおさら早く言わなきゃダメだろ。善は急げだな」
「でも、いきなり言ったら、理解できないかも」
「大丈夫。このノートを渡しておくし、最悪俺が解説する」
信二は、すべてに反論してきた。
俺は観念したように、そして、どこか嬉しく思いながら、ただ一言、「……ありがとう」と伝えた。
信二は満足そうに笑っていた。こいつこそ、本当にカッコいいルパンだった。