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二〇一七年七月二十九日

 二〇一七年七月二十九日。

 私が舞鶴城で日記を読んでいる最中、信二はしばらく黙っていた。

 月明かりが彼の顔をかすかに照らし、その影が揺れていた。静かな夜の中、蝉の声が一層大きく響いているような気がした。まるで、夏の終わりを告げるかのような音が、私たちの間に広がっていた。

 信二はゆっくりと息を吐いた。信二が心の中で何かを決め、言葉にするのを躊躇っている。

「……だからさ、俺たち……違うよな」

 信二の声は、思ったよりも小さかった。

「でも……、どうして?」

 私はその言葉を口にするのが精一杯だった。

 自分の声が、あまりにも小さく、震えていることに気づいた。

「ごめん。俺ってさ、やっぱりせこいよな」

 信二は何度も自分の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと続けた。

「正直、大気が亡くなった日、大気から最後に千沙のことを頼まれた。それって付き合えってことじゃなくて、支えてやれって意味だと分かっていた。けど俺は、都合よく解釈していたと思う。だから不純だよな。親友の最後の願いなのに、それを踏みにじって」

 信二は少し黙ってから、視線を地面に落とし、息を吐きながら続けた。

「実はさ、光が転校してきた時、すぐに、もしかしたら大気かもって思った。別にそういうオカルト話は信じないけど。でも、おかしいくらいに、大気に似すぎていたもん。だからこそ、その情報を敢えて千沙に言わなかった。大気のことを段々と忘れ、立ち直っている千沙が、また悲しいことを思い出してしまうかもと思った。いや、そう自分に言い聞かせ、納得しようとしていた。だから本音を言うと、千沙が光と会ってしまうと、そのまま取られちゃうんじゃないかなって、怖かったんだと思う。でも結果的に、二人はさ、段々と距離を近づけていった」

 信二はそのまま続けた。

「千沙に会うと、よく光の話をしていたもんね。俺自身、気が付いていた。千沙の気持ちには。もしかしたら付き合ってから、俺を好きになってもらえるかもとか、考えてもいた。けどさ、そういうことじゃねえよな。やっぱ、本当に好きって気持ちが、大切だと思う。そもそもそういうことを考えている時点で、俺と千沙は終わっていたんだと思う。それなのに、自分のエゴで、ひたすらせこい真似ばかりをしていた。千沙のこと、何も考えていなかったと思う。今もさ、コンクール後で落ち込んでいる時なのに、自分がこの話と、この関係を続けることにきつくなって、吐いてしまっている。本当にめちゃくちゃせこいと分かっている。けど、これ以上、自分に嘘はつけないし、千沙に謝りたかった。ごめんなさい」

 その言葉は、まるで彼がずっと抱えていた重荷をようやく下ろしたかのようだった。

 信二がこんなにも自分を責めていたこと、私は一切気づいていなかった。ただ、彼がひとりで全てを抱え込んでいたその痛みだけが、痛いほどに伝わってきた。

「本当に、今までありがとう」

 信二がそう言い残して、ゆっくりと去っていった。

 その背中がどんどん遠くなっていくのを見て、私は一人取り残された。

 私の心の中で、罪悪感が募っていた。私は、大気君に加え、信二も傷つけてしまった。もっと、彼にも向き合うべきだった。それを……。ずっと、信二の優しさに甘え、何となく半端に対応してしまっていた。それによって、信二は要らぬ負担を感じてしまっていた。

 舞鶴城の静けさが、私の心をそのまま反映しているようだった。信二の言葉が耳に残り、涙が頬を伝った。


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