校門に向かってトボトボ歩いていると、不意に視界の先に人影が見えた。
「よお!」
信二だった。まるで待ち構えていたかのように立っている彼は、嬉しそうな顔をしていた。
「西関東大会出場おめでとう!」
とびきりの笑顔。その笑顔が、なぜか胸にじんと響いた。
「あ、ありがとう。情報早いね」
「せっかく来たのに、なんか暗いね」
信二の言葉にハッとした。
「え、そうかな?」
「んー。土橋から説教でも食らった?」
信二が冗談っぽく言うと、私は思わず笑ってしまった。ほんの少しだけ、胸の重みが軽くなる気がした。
「あはは、まあね。思ったように演奏できなくてさ、それで……」
声に出してみると、少しだけ気持ちが和らいだ。
信二はそれ以上何も言わず、ただ隣を歩いてくれた。無言だけど、寄り添ってくれる優しさがありがたかった。
しばらく歩くと、信二がふと顔を上げた。何か言いたげな表情のまま、口を開く。
「なあ、ちょっと舞鶴城に行かない?」
ここに来るのは、久しぶりだった。
一年生の時、パートの先輩たちと花見をした記憶がよみがえる。あの頃はただ楽しくて、明るい場所だった。でも、今日は違う。夕方の静けさが胸に染みる。
舞鶴城公園、通称甲府城公園は、すっかり暗くなり始めていた。人影もまばらで、空は深い青に溶けていくよう。遠くからセミの声だけがかすかに聞こえる。その静けさが心地よかったはずなのに、今日はほんの少しだけ心細く感じた。
「はい、カルピス」
信二が自販機から戻ってきて、カルピスを手渡してくれた。
冷たい缶が手に触れた瞬間、今日って、暑かったんだ。そんな当たり前のことを、思い出す。
「ありがとう」
そう言いながら、ふと感じた。こうして信二が隣にいることが、なんだかとてもありがたいことのように思える。いつも助けてもらってばかりで、本当に大きな存在だなって感じる。
そして、二人で夜空になりつつある空を見上げながら、しばらく無言だった。
「なあ、ちょっと話飛ぶけどさ、いい?」
「なに?」
ぼんやりと、動いて行く雲を見上げながら聞き流すように答えたけど、信二の声には何か含みがあった。それが、私を妙に引き込んだ。
「千紗ってさ、死者が蘇るとか、信じる?」
その一言で、私の思考は一瞬止まった。
死者が蘇る?
それはホラー映画の話?
それとも、怪談?
何とも言えない違和感と不思議な感覚が胸をよぎる。
しばらく黙っていると、信二が同じ質問を繰り返してきた。
「どう思う?」
「えっと……何の話? 『ブギーマン』にそういう設定あったっけ?」
とりあえず冗談を言ってみたけど、信二の目は真剣だった。
その視線がまっすぐで、何かを必死に伝えようとしているのが分かった。
「いや、そういうことじゃなくて。んー。実際にどう思う?」
私は少し考えてから、慎重に答える。
「うーん。映画とか小説なら、そういうのもアリだけど、現実にはないよね……多分」
「だよな。うん、そうだよな」
信二はうなずきながらも、どこか納得しきれていない表情をしていた。
そして再び訪れる沈黙。この沈黙が、なぜか妙に重く、長く感じられる。
耐えきれなくなって、私は口を開いた。
「えっと……何かあったの?」
信二はしばらく黙ったままだったが、ふっと息をついてから口を開いた。
「いや、ごめん。うまく言えないんだ。でも……」
信二は意を決したようにリュックから一冊のノートを取り出し、私に手渡してきた。
「これ……」
私は怪しく思いながらも、ノートを受け取り、静かにページをめくった。
名前もタイトルもない無造作なノート。中にはびっしりと手書きのメモが、日にちとともに記されていた。
これは、誰かの日記のようだった。そして見たことある筆跡だ……。あれ?
ページをめくる手が、信二の一言で止まる。
「それさ……光のノート」
信二が小さな声で言った。その言葉に、私の心が大きく揺れた。
光。信二が言う「光」……。それは、工藤君のことだろうか?
胸の奥にざわめきが広がり、私は言葉を失った。
そんな私を見て、信二は静かに何があったのか、教えてくれた。
あの日、甲子園出場が決まった瞬間、歓声と拍手に包まれた中で、私は妙に息苦しさを感じていた
その始まりは、工藤君に手を振ったときだった。本当に嬉しかった。心から祝福したかった。苦しんでいるように見えたからこそ、それを乗り越えた工藤君が誇らしく感じた。
でも、たった一瞬で、私の心の中で何かが壊れる音がした。
いつもなら作り笑いでも返してくれる彼が、そのときは違った。工藤君は明らかに嫌そうな顔をして、視線をそらしたのだ。しかも、皮肉なことに。それが初めて私に見せた、本当の工藤君の本音のように思えた。だからこそ、その冷たい仕草が、まるで刃物のように私を傷つけた。
後で知った話だが、その場面を見た信二が工藤君に注意しに行ったらしい。だが、そこで予想もしなかった出来事が起きた。信二が話してくれた内容に、私は耳を疑った。
「光がさ……自分は、輿水大気の記憶を持っていると言ったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭は真っ白になった。
「最初は嘘だと思った。でも、話を聞いていくうちに全部が繋がったんだ。何せ……、大気の最後の言葉を知っていたから」
信二の言葉にはどこか震えが混じっていた。彼が感じた驚きや困惑がそのまま伝わってきた。そして、信二は黙って、私の持っているノートを指さした。
「これ、しっかり読んでみて」