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二〇一七年七月二十九日 その2

 校門に向かってトボトボ歩いていると、不意に視界の先に人影が見えた。

「よお!」

 信二だった。まるで待ち構えていたかのように立っている彼は、嬉しそうな顔をしていた。

「西関東大会出場おめでとう!」

 とびきりの笑顔。その笑顔が、なぜか胸にじんと響いた。

「あ、ありがとう。情報早いね」

「せっかく来たのに、なんか暗いね」

 信二の言葉にハッとした。

「え、そうかな?」

「んー。土橋から説教でも食らった?」

 信二が冗談っぽく言うと、私は思わず笑ってしまった。ほんの少しだけ、胸の重みが軽くなる気がした。

「あはは、まあね。思ったように演奏できなくてさ、それで……」

 声に出してみると、少しだけ気持ちが和らいだ。

 信二はそれ以上何も言わず、ただ隣を歩いてくれた。無言だけど、寄り添ってくれる優しさがありがたかった。

 しばらく歩くと、信二がふと顔を上げた。何か言いたげな表情のまま、口を開く。

「なあ、ちょっと舞鶴城に行かない?」



 ここに来るのは、久しぶりだった。

 一年生の時、パートの先輩たちと花見をした記憶がよみがえる。あの頃はただ楽しくて、明るい場所だった。でも、今日は違う。夕方の静けさが胸に染みる。

 舞鶴城公園、通称甲府城公園は、すっかり暗くなり始めていた。人影もまばらで、空は深い青に溶けていくよう。遠くからセミの声だけがかすかに聞こえる。その静けさが心地よかったはずなのに、今日はほんの少しだけ心細く感じた。

「はい、カルピス」

 信二が自販機から戻ってきて、カルピスを手渡してくれた。

 冷たい缶が手に触れた瞬間、今日って、暑かったんだ。そんな当たり前のことを、思い出す。

「ありがとう」

 そう言いながら、ふと感じた。こうして信二が隣にいることが、なんだかとてもありがたいことのように思える。いつも助けてもらってばかりで、本当に大きな存在だなって感じる。

 そして、二人で夜空になりつつある空を見上げながら、しばらく無言だった。

「なあ、ちょっと話飛ぶけどさ、いい?」

「なに?」

 ぼんやりと、動いて行く雲を見上げながら聞き流すように答えたけど、信二の声には何か含みがあった。それが、私を妙に引き込んだ。

「千紗ってさ、死者が蘇るとか、信じる?」

 その一言で、私の思考は一瞬止まった。

 死者が蘇る?

 それはホラー映画の話?

 それとも、怪談?

 何とも言えない違和感と不思議な感覚が胸をよぎる。

 しばらく黙っていると、信二が同じ質問を繰り返してきた。

「どう思う?」

「えっと……何の話? 『ブギーマン』にそういう設定あったっけ?」

 とりあえず冗談を言ってみたけど、信二の目は真剣だった。

 その視線がまっすぐで、何かを必死に伝えようとしているのが分かった。

「いや、そういうことじゃなくて。んー。実際にどう思う?」

 私は少し考えてから、慎重に答える。

「うーん。映画とか小説なら、そういうのもアリだけど、現実にはないよね……多分」

「だよな。うん、そうだよな」

 信二はうなずきながらも、どこか納得しきれていない表情をしていた。

 そして再び訪れる沈黙。この沈黙が、なぜか妙に重く、長く感じられる。

 耐えきれなくなって、私は口を開いた。

「えっと……何かあったの?」

 信二はしばらく黙ったままだったが、ふっと息をついてから口を開いた。

「いや、ごめん。うまく言えないんだ。でも……」

 信二は意を決したようにリュックから一冊のノートを取り出し、私に手渡してきた。

「これ……」

 私は怪しく思いながらも、ノートを受け取り、静かにページをめくった。

 名前もタイトルもない無造作なノート。中にはびっしりと手書きのメモが、日にちとともに記されていた。

 これは、誰かの日記のようだった。そして見たことある筆跡だ……。あれ?

 ページをめくる手が、信二の一言で止まる。

「それさ……光のノート」

 信二が小さな声で言った。その言葉に、私の心が大きく揺れた。

 光。信二が言う「光」……。それは、工藤君のことだろうか?

 胸の奥にざわめきが広がり、私は言葉を失った。

 そんな私を見て、信二は静かに何があったのか、教えてくれた。



 あの日、甲子園出場が決まった瞬間、歓声と拍手に包まれた中で、私は妙に息苦しさを感じていた

 その始まりは、工藤君に手を振ったときだった。本当に嬉しかった。心から祝福したかった。苦しんでいるように見えたからこそ、それを乗り越えた工藤君が誇らしく感じた。

 でも、たった一瞬で、私の心の中で何かが壊れる音がした。

 いつもなら作り笑いでも返してくれる彼が、そのときは違った。工藤君は明らかに嫌そうな顔をして、視線をそらしたのだ。しかも、皮肉なことに。それが初めて私に見せた、本当の工藤君の本音のように思えた。だからこそ、その冷たい仕草が、まるで刃物のように私を傷つけた。

 後で知った話だが、その場面を見た信二が工藤君に注意しに行ったらしい。だが、そこで予想もしなかった出来事が起きた。信二が話してくれた内容に、私は耳を疑った。

「光がさ……自分は、輿水大気の記憶を持っていると言ったんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、私の頭は真っ白になった。

「最初は嘘だと思った。でも、話を聞いていくうちに全部が繋がったんだ。何せ……、大気の最後の言葉を知っていたから」

 信二の言葉にはどこか震えが混じっていた。彼が感じた驚きや困惑がそのまま伝わってきた。そして、信二は黙って、私の持っているノートを指さした。

「これ、しっかり読んでみて」


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