「おい、光、聞いているか?」
マウンド上に集まった選手たちは、監督からの伝令を聞いていた。
八回の裏、試合はもう終盤に差し掛かっていた。
あの後、光が三遊間を抜ける鋭い打球を放ったが、ショートがファインプレーでキャッチした。しかし、体勢を崩したショートの悪送球で、光はセーフに。その後、後続も続き、逆転に成功した。球場からは歓声と共に期待が膨らんでいく。
「ええ、大丈夫です」
光は相変わらず、素っ気ない返事をした。試合中は、いつもこうだ。
「おっけい。とりあえずみんな、このピンチを抑えて試合を終わらせよう。大気のためにも」
「おう!」
内野の選手たちは素早く守備位置に戻り始め、信二は光にボールを渡す。
残りのイニング、全力で行くしかない。
「残り、全力で行こう。本当に大丈夫か?」
ボールを光のミットに入れると同時に尋ねる。
さすがに気温が上がり、連投もあるし、心配にはなる。
けど光の目は、少し遠くを見つめるような、でもしっかりとした眼差しだ。
「ええ。いけます。何か今、」
「どうした? 不調か?」
信二が心配していると、光が突然吹き出す。
「おい、何で笑う?」
「いや、そういう真面目なところがキャプテンのいいところだと思って(笑)」
「なんだそれ」
「でも、今めちゃくちゃ楽しいっす。このまま死ぬまで投げたいです」
「ああ、そうだな」
光が楽しいと思える余裕があるのなら、とりあえずまだ大丈夫だろう。
安心した信二は、そのままリードの仕方を考えながら、ホームベースの方に戻りかける。
「信二、ありがとう」
その瞬間、驚きと共に身体が反応した。思考が追いつく前に顔を戻すと、光がクスリと笑って、「冗談ですよ(笑)」と軽く言ってきた。
その余裕に、信二は苦笑いを浮かべつつ、少し、いや、かなり、何故だか分からないが、ゾっとした。
審判に一礼すると、プレイはすぐに再開された。
ツーアウトでランナーが二塁に。しかも同点のランナーだ。
バッターは甲斐学院の一年セカンド、樋口。一年生でレギュラーを掴む実力者だが、今日は打撃が冴えていない。そんな状況でも、代打ではなく、こう送り出されたのは、監督やチームからの信頼があるからだろう。中学時代のこいつは、もっと精神的に弱いイメージがあったが、こいつも成長しているのだろう。何故か、少し嬉しくなる。そして、その影響か、光の表情もいつも以上に集中していた。
だが、バッターとの勝負に飲まれることなく、冷静さを失わずに対応している。その冷静さは、経験の差であり、能力だけではない精神力が光っている部分だ。
「ボール!」
初球、ストレートがわずかに外れた。
八回の終わりが近づいているが、光の球にはまだ力が感じられる。いや、今日はこれまでで一番いい球が来ているかもしれない。光は、まるで何かが吹っ切れたような表情を浮かべていた。
「よーし。よーし。いけるぞ!!」
松田君の声は、応援団のどの声よりも大きく響き渡る。
しかし今は、誰もが固唾を呑んで、第二甲府高校のナインを見守っていた。
九回の裏、甲斐学院の攻撃。ツーアウト、ランナーが一塁。打席には、初回にホームランを放った甲斐学院のキャプテンが立っている。
「ストライク!」
審判のコールに、観客席から自然と拍手が起きる。どうやら、第二甲府高校は球場全体を味方につけたようだ。
しかしその中でも、打席に立つバッターは、まったく気を抜かず集中している。いや、それ以上に、今日一番の集中力を発揮している。その姿勢に、素直に尊敬を覚える。
しかし、それ以上に今、マウンドにいる工藤君の姿は、絶対的な存在のようだった。あの一年生の樋口君との打席の中で、何かが吹っ切れたようで、投球に生き生きとした躍動感が現れた。それはまるで、少年が友達と野球をしているかのように、楽しさと力強さが感じられた。
「ファール!」
その投球を見守る信二も嬉しそうだ。二人でどこまで行くのか。一球一球に妥協はなく、確かな緊張感がある。どの球にも、今という全ての思いが込められている。
「ボール!」
相手のバッターも冷静に見極めている。その目の先には、すべてをかける思いが感じられる。彼も必死だ。この瞬間が、今までの努力すべてを意味づける瞬間だと感じているのだろう。
それでも、それ以上に、純粋にこの勝負を楽しんでいるようにも見えた。そのワクワク感が伝わってくる。まるで、このままずっと勝負していたいと思っているかのようだ。
「ファール!」
でも、どんなことにも終わりはある。工藤君が「最後」のモーションに入る。すべてをかけた一球が、今決まる。
そんな気がしたその瞬間、彼の球はいつものように、まっすぐ美しい軌道を描いていく。あの美しい線が、命の輝きのように感じられる。そう、大気君と同じ、あの命の投球。
「ストライクアウト!」
バッターは手が出なかった。内角低めのストレート。
「うぉ!!!!!!」
球場全体が響き渡る。その歓声が、すべてを包み込む。ナインがマウンドに駆け寄り、工藤君と信二が抱き合う。
私も楽器を持ちながら、瑠璃や雪ちゃんと大はしゃぎしていた。歓喜の中で、第二甲府高校は甲子園出場を決めたのだ。