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二〇一七年一月

 二〇一七年一月。

 気がつけば、休み明けから学校にも行けず、食事も忘れ、部活のことすら頭から抜けていた。

 ただ毎日、責任を感じながら、答えの出ない反省と謝罪を繰り返していた。

 まだ、あの犯人が少しでも責任を感じてくれていたなら、楽だっただろう。けれど、そうではない。

 だからこそ、この大気君の死。誰かが責任を負わなければならない。そうでなければ、大気君が報われない。あまりにもかわいそうだ。 そして、その役目は、私だと感じていた。

 そんな日々が続いたある日、突然、ドアをノックする音と、男の子の声が聞こえた。

「おい、入るぞ」

(……信二?)

 ベッドに横たわっていた私は、反射的に起き上がった。

 驚いた。まさか信二がここまで来るなんて。いや、来るはずがない。もう夜の八時。私の家は信二の家からかなり遠い。電車と自転車で一時間はかかる。だから、これは幻聴だ。

 しかし、ドアは開いてしまった。

 部屋の電気はつけていなかった。真っ暗な部屋の中に、そこに立っていたのは、本当に信二だった。

「……」

 信二はいつも通り、真面目な表情で、そして正しく佇んでいた。

「……なあ千紗、大丈夫かとか、軽い慰めは言うつもりはない……でも、学校、行こう」

 私はただ、何も言い返せず、信二がここに来たことに驚いて呆然としていた。

 その様子を見た信二は、再び淡々と、でも優しく繰り返した。

「学校へ行こう」

 その瞬間、私の中で何かが切れそうになったが、ギリギリのところで理性を働かせて抑えた。

「……心配してくれて、ありがとう……でも帰って」

 今できる、最低限の気遣いをしたつもりだった。けれど、今の信二には、それが通じなかった。

「それはできない。学校へ……」

 信二の一言一言が、私をイラつかせることに気づいた。急に、抑えられないマグマのような感情が、腹の底から溢れ出してきた。

「じゃあ、何なの? 早く帰ってよ!」

「……いや、来いよ。いつまで、こうしているんだ!」

 信二の真っ直ぐな声に、心がほんの少しだけ揺れた。

 でも、それだけだった。結局、私は感情の赴くままに、感情をぶつけてしまった。

「なんなの! 私なんか、学校行ったって意味ないでしょ!」

「そんなの、誰が決めたんだよ!」

「私のせいで、大気君が死んだんだから! 私がカフェに誘った。そもそも告白の返事すら、私のせいで伸ばしてしまっていた……。そうだ、そうだよ。だから私って最低だ。大気君の想いを踏みにじって、その上で殺してしまって……。私なんか、生きている価値なんてないんだよ!」

 信二は表情を変えなかったが、その言葉に一瞬、固まった。

 けれど、すぐに彼は真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。

「だったらよ……、死ねよ」

 その言葉に、冷たいものを感じた。

「え……?」

「だったら死ねよ、死ねよ!」

 信二は次第に声を荒げていった。

「だったら……俺が殺してやるよ!」

 信二はそう言うと、私の腕を強く掴み、無理やり体を引き寄せようとした。まさかの行動に、私は慌てて身構える。

(やばっ!)

 その瞬間、信二は手を放し、私を殴ることはなかった。

「……。怖いと思っただろ」

「……」

「分かっただろ」

「……」

「死んでどうする? それで? そうすることで、大気が喜ぶと思うのか?」

「……」

「千紗は、馬鹿じゃない。分かっているだろ、もう」

 返す言葉がない。

「千紗さ、もう前を向こう。辛いのは分かる。けど、今回の責任はお前じゃない。あの、サイコパス野郎だろ。なのにお前まで、自分を殺してどうするんだよ!」

 私はその言葉に耐えきれなくなった。

「うるさい! もう! もう何も、言わないで!」

 咄嗟に、近くにあったペンギンのぬいぐるみを掴んで、信二に向かって投げつけた。ぬいぐるみは信二の顔に当たって、そのまま床に転がった。しばしの沈黙が訪れた。

 信二が何かを言おうとした気配がしたが、言葉は続かなかった。その静寂が、かえって私を苦しめた。

「ごめん……でも、お願いだから帰ってよ……」

 目を逸らしながら、絞り出すように言った私の声に、信二は小さく息を吐いた。

 そのまま、信二は椅子に腰掛けた。

「俺も、あいつがいなくなったの、辛いよ」

 信二のその一言が、まるで水滴が氷を砕くように心に響いた。振り返ると、信二の目には涙が滲んでいた。

「俺さ、もともとグラウンド整備のことで、大気から相談されてさ。それで、こうしたらいいんじゃないかって、アドバイスしてさ。でも、あれが引き金になって、大気はあの事故に巻き込まれてしまった。グラウンド整備で部活が休みにならなければ、あいつは生きていたはずだ。だからさ……俺だって、大気を殺したのかもしれない。いや、きっとそうだ。でも、それが辛くてさ……」

 信二は俯いたまま、ぽつりぽつりと話す。その姿は、普段の信二とはかけ離れた、弱々しいものだった。

「でも……俺、キャプテンだし。チームをまとめなきゃいけない。だから、無理にでも前を向こうとしてた。野球部の連中もグラウンド整備の件で協力してくれて、罪悪感を感じてる奴もいるし、そいつらを励まさなきゃいけない。でも、本当は全然俺だって、ダメなんだ。もう辛くて……泣きそうでさ……」

 その言葉を聞いて、胸の奥が締め付けられるようだった。彼もまた、自分と同じように苦しんでいた。

「でも、もう時間がないんだ……。俺たち、あと数ヶ月で最後の大会だぞ。だから、生きるしかないんだよ。辛くても、生きていくしかないだろう。大気を理由に前を向かないなんて、一番、大気のことを侮辱している……。口出しができない死者を言い訳にするな!」

 その言葉が、私の中に重くのしかかる。しかし同時に、心の奥で何かが崩れ落ちるような感覚もあった。

 信二は私を見つめ、小さく笑った。

「千沙がいないと困るんだよ。寂しいよ。だから、学校に来い」

 その言葉を聞いて、何かが溢れ出しそうになった。

 信二は「ごめん」と言いながら、必死に涙を拭う。

 私は、泣き続ける信二に近づき、震える手で信二の頭をそっと撫でた。

「……ごめん」

 信二は驚いたように私の顔を見て、少しだけ笑った。

「泣くなよ。山見に俺が怒られる」

 その後、信二や瑠璃のサポート、そして専門家のカウンセリングも受けて、徐々に、ほんの少しずつ回復していった。

 大気君のことも、少しずつ整理できるようになり、部活や勉強にも集中できるようになった。そして、四月の高校最後の定期演奏会は大成功を収めた。

 だが、その日、信二に突然告白された。

 正直、最初は戸惑いと困惑が入り混じっていた。

 信二は本当に良い人で、感謝してもしきれない。友達としては本当に好きだった。でも……。

 しかし信二は、それらを全て踏まえた上で、「千紗の支えになりたい」と告白してきた。

 その想いに心が動き、気が付いたら「お願いいたします」と返事をしていた。


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