二〇一七年七月二十二日。
「やめ!」
顧問の土橋の一言で、演奏がぴたりと止まる。
夏休み一日目。コンクール直前の猛特訓が続いていた。
土橋は腕を組み、静かに私たちを見渡す。その視線が集まると、教室内が一瞬で静まり返り、息をのんだ。背筋が自然にピンと伸びる。
「低音パートは、もっとフォルテのところは、出すように。しかし、音が割れるようにせず、楽器を響かせて、音が遠くにいくように意識すること」
「クラ、フルートは、ここのブレスするところをパートで確認してある? 音が途切れないように、パート練でもう一度確認して」
「そしてトロンボーン。セカンドとサードのピッチが悪い。あとでいいから、チューニング確認してから、練習終わって」
土橋は厳しい指導で知られる。かつては数々の大会で第二高校を勝ち上がらせた名将だ。しかし近年、県内の私立校の台頭に苦しんでいる。だからこそ、彼の目には、上を目指す、強い熱意が宿っている。
「そして最後に、ペット。特に橘。オーディションで言ったところ、まだ改善出来てない。楽譜通りには吹けているが、第四楽章に相応しい音の色とは何か。第三楽章とのメリハリをより意識して。以上」
練習が終わり、時計を見ると、十八時を過ぎていた。
「あー、疲れた」
瑠璃がふうっと息をつきながら、振り返り、私に向かって笑顔を見せてきた。
「今日は瑠璃のホルンパート、何も言われなかったね」
「そうよ。オーディションの後から、死ぬほどパートで、第四楽章の練習したもんね。カッコよくしたかったし」
瑠璃は誇らしげに語っていた。
「まあ、そのおかげで大変でしたが」
「お、我が後輩の熊谷君、生意気言うじゃないか」
ホルンパートの二年生、熊谷君。実力はあるけど、ちょっと不真面目なノッポ君だ。
「だって、先輩はしつこいですよ。何度ここを、練習したと思っているんですか」
「いや、めちゃくちゃやったよね。だから、誰も音を外さなくなった」
「それはそうですが」
「つまり、結果オーライってことよ。分かる?」
「はい……」
二人のやりとりは、いつもこんな感じだ。お互いにぶつかることも多いけれど、それがまた、いいコンビネーションを生み出している気がする。
「話は変わりますが、千沙先輩。第三楽章と第四楽章の切り替え、うまくいってないですよね」
熊谷君は、どこか他人事のように淡々と話す。
「いや、そうなんだよね。意識しているつもりでも、なかなかできてないんだよね」
「なんか、技術以外の問題じゃないですか?」
「え? どういうこと?」
熊谷君は、私の疑問に答えるように、少し考え込みながら話し始めた。
「詳しくは分からないですけど、これが、明るい第四楽章だと思っていても、何かが引っかかっていて、全然明るくなりきれない、というか。なんか、先生に怒られた後で、いきなりカラオケ大会やろうってなっても、どこかで心が引っかかっている、みたいな?」
「あー、なるほどね」
その瞬間、去年の十二月十五日のことが蘇る。
「ねえ……あんた……何言っているの?」
私たちの会話を聞いていた雪ちゃんが、顔を真っ赤にして、熊谷君を睨みつけた。
「いや、アドバイスを言ったつもりだけど」
熊谷君は、まるで何も悪いことをしていないかのようにまた淡々と答える。
「だからって、あんたにはデリカシーないの?」
「え? 俺悪い?」
熊谷君は、わざと驚いた顔で聞き返す。
しかしすぐに、無表情の瑠璃が、じっと黙って見ているのに気づき、慌てて熊谷君は口を閉じた。
「いやいや、いいのよ。雪ちゃん、ありがとう。熊谷君の言う通りだと思うし、もうちょっと考えてみるね!」
私は瑠璃にもアイコンタクトを送り、練習に行ってくるね〜と、夕日の見える外へ逃げるように走っていった。
正直、悔しくて、痛くて、苦しかった。