二〇一六年七月二十四日。
「大気……また来年だな」
帰りのバス。試合後特有の疲労感を感じつつも、親友の声には反応できる。一つ上の学年で、中学からバッテリーを組む三浦信二が、ぽつりと呟いた。
「……あぁ」
甲子園予選の決勝。俺たち第二甲府高校は、強豪・甲斐学院に敗れた。
力の差をまざまざと見せつけられ、自分の失投に打ちのめされる。決して気を抜いたわけじゃない。けれど、これまで経験したことのないプレッシャーに飲まれていたのは事実だった。そして、それ以上に胸に突き刺さるのは、バス車内に響く先輩たちのすすり泣く声。自分のせいで、彼らの夏を終わらせてしまった。その責任の重さが、痛いほどのしかかる。
そんな俺の気持ちを察したのか、信二がさりげなく話を続けた。
「思い詰めても仕方ねぇよ。それに試合中、良かったこともある。七回のあの打席。よく打てたな、金丸さんのあのボールを」
〇対三。七回、ツーアウト三塁での俺の打席。
それまで金丸さんの投球に封じ込められ、まともにバットに当てることすらできなかった。気づけば、中学時代に植え付けられた苦手意識がじわじわと蘇り、焦燥感が胸を締めつける。
「あぁ……あれはきつかった。何せ今日の金丸さん、神がかってたし……。けど、応援歌のおかげだな」
「応援歌?」
このままじゃ、やばい 。そう思った瞬間、トランペットの音が響いた。
応援席から吹き抜ける音色は、いつもと少し違っていた。けれど、それが妙に心に馴染んだ。張り詰めていたものが、ふっとほどける。呼吸が深くなり、握るバットが手になじむ。
冷静になった俺は、金丸さんの狙いを読めた。あの人なら、きっと、自分の得意な球で俺を屈服させにくる。誘いを裏切った俺を、力でねじ伏せるつもりだ。そう確信できた。
「あぁ。ランナー三塁の場面。普通ならチャンステーマだろうが、なぜかあの時は俺の応援歌の『必殺仕事人』。それに、あのトランペット。いつもと違う音だったけど、妙にしっくりきた」
「あ……あれね。お前の応援歌のソロ、たぶん俺のクラスの千紗だな」
「誰それ? てか、ソロって普通三年生がやるんじゃないのか? 二年が吹いてたのか」
「知らねえよ。吹部にも色々あるんだろ」
「ふーん……興味ねえな」
「相変わらず、野球以外への関心ゼロだな。でも、ほらこの子だよ」
信二がため息をつきながらスマホを操作し、学園祭の写真を見せてきた。
画面に映っていたのは、吹奏楽部のステージ衣装をまとった少女。輝くような笑顔と、自信に満ちた佇まい。その瞬間、思わず息を飲んだ。
自分でも驚くほどの反応だったのだろう。信二は少し苦笑しながら言う。
「千紗はやめとけ。部活命で、恋愛に興味ないし、これまでも何人もの野郎どもが散っていったぞ」
「……うっせぇ、そうじゃねぇよ。ただ、珍しい衣装だなって思っただけだ」
言い訳がましくそう返しながら、軽く信二の肩を小突く。けど、信二はニヤニヤしながら、「はいはい」と茶化してくる。それにさらにムカついた俺は、そっぽを向いて窓の外を見た。
夕日に染まる甲府の空。
俺たちの夏は、終わった。思ったよりも、あっけなく。
けど、
(橘千紗先輩……)
俺の何かが始まった。
ちょうど、あと五か月だった。タイムリミットまで。