帝都フェリクスの統合防衛本部は、オリヴィア宮の行政区画に存在する。

　ベルニク、オソロセア、そして嘗かつてはマクギガンが、互いに協力して帝都防衛にあたる為に設営された司令所であった。

「今暫し、お待ち頂ければと──」

　オソロセア領邦から派遣されているアリスタルフ中将が、申し訳なさそうな表情で再び頭を下げる。

　向かいに座るパトリック・ハイデマン大将は無言で頷いた。

　──先方にも何か含むところがあるのかもしれんな……。

　同盟を締結したとはいえ、軍の現場レベルに浸透するには暫しの月日を必要とする。

「しかし──さすがに遅いですな」

　不機嫌そうな表情で腕を組んでいたギルベルト・ドレッセル中将が、上官であるパトリックの代わりに素直な想いを口にした。

　ギルベルトは平謝りをしているオソロセアのアリスタルフ中将と共に、長らく帝都フェリクス防衛を担ってきた将校である。

　その為、ある程度は忌憚のない意見を交わす関係性が築かれていた。

「では、私が少し外を見て──」

　と、アリスタルフ中将が腰を上げた時の事だ。

「皆様方──」

　統合防衛本部作戦会議室へ、金色の髪を豪奢に結った女が入って来た。

「か、閣下」

　アリスタルフ中将が慌てて立ち上がり敬礼をすると、パトリックの隣に座るギルベルトも席を立って敬礼をした。

「ご機嫌は──フフ、良くなさそうですわね」

　自身の遅参ちさんを悪びれる様子もなく軽口を叩いた後、アリスタルフ中将の隣に腰掛けて足を組んだ。

「エカテリーナ・ロマノフと申します。良しなに、パトリック提督」

　提督という敬称をオビタルはあまり使用しない。陸海空という活動区分を設けていない為である。

　但し、少数派とはいえ、その名に拘る者もいた。主には懐古主義者達なのだが──。

　──その辺りを因として、件の流言があるのかもしれんな……。

　エカテリーナ・ロマノフには不穏な噂がある。

　気取られぬよう注意しつつ、パトリックは相手の様子を観察した。

　オソロセア領邦における軍組織の詳細は割愛するが、彼女は外征軍を統括する司令官である。

　主たる任務は、ポータル防衛ではなく他領邦への積極攻勢にあった。

　なお、帝都防衛に派出されていた艦隊は外征軍に属しており、アリスタルフ中将は直属の部下という事になる。

「火星方面管区司令パトリック・ハイデマンです。此度、帝都防衛連合軍への参画を拝命致しました」

「私わたくしと同じ、新・人・というわけですわね」

　本日未明、外征軍司令エカテリーナ・ロマノフ大将は、増派艦艇一万隻を率いてフェリクスに到着したのだ。

　アリスタルフ中将率いるウルフ艦隊と合わせ、二万隻のオソロセア領邦の艦艇が、ベネディクトゥス星系に集った事になる。

　対するベルニク領邦は、パトリックが率いて来た火星方面管区艦隊を合わせ、ようやく一万隻という状況だった。

「そうですな」

「ええ」

　と、エカテリーナは嫣然と微笑んだ。

「では提督、今次作戦につきましての詳細を──」

　◇

　クラウディオ・アラゴン選帝侯が座するのは旗艦ブリッジではない。

　特別に設しつらえさせた屋敷と同様の快適さを供する豪奢な執務室である。

　下士官達と同じ空間を共有するブリッジを好まなかったのだ。

「あのバカ共は、どこまで逃げるつもりだろうね……」

　照射モニタに写る将校達とて答えを持ち合わせていない。

　ベルニクとアラゴンの追走劇は五日に及んでおり、目的地と思われたヨハンポータルを遥かに通り過ぎて艦隊は星系の外──つまりは星間空間に入っていた。

「このまま太陽系まで逃げるつもりかもしれませんな、ハハハ」

　ポータルを使わねば五百光年以上の距離があるのだが、第三艦隊司令は場を和ますつもりで戯言を述べたのである。

「──補給を考えれば、敵も逃げ続ける事は出来ません」

　補給に限って言えば積載量の大きい戦艦級に分があった。尚且つ、補給艦も十分に引き連れている。

「宜しいですか」

　作戦会議に集う将校の一人、ヴァルキュリア強襲打撃群司令のフランチェスカ准将は、作法に則り右手を上げて発言の許可を求めた。

　彼女の意図を察したクラウディオは不機嫌そうに頷く。

「予かねてより申し上げておりますが、招く寡兵を追うのは愚策と考えます」

「同じ話を聞いた。三度みたびもね」

　何名かの将校が、気まずそうに尻を動かした。

「だが、君の言う罠など無かった」

　クラウディオが言う通り、ベルニク艦隊はひたすらに逃げるのみである。カトンボを使った嫌がらせのような攻撃すらも今は止んでいた。

「確かに罠も伏兵もありませんでした」

　となれば敵の狙いは一つだけなのだ。

「ですが──」

「おわ」「わっ」「な、何事？」

　フランチェスカが何かを言い掛けた時、将校達から驚きの声が上がる。

　各人の眼前に、紫紺のフレームで囲まれた照射モニタが唐突に現れたのだ。

「──へ、陛下！？」

　ピュアオビタルとしての性さがなのかもしれないが、クラウディオ・アラゴン選帝侯とて僅かながらに居住まいを正した。

　女帝ウルドと玉璽による全域ブロードキャスト、つまりは宣下である。

　◇

「おお、始まりましたね」

　ケヴィンと並び、紫紺の照射モニタを眺めるトールは、小さく掌を打って拍手をしていた。

　乗馬服姿で傲然と立つ女帝ウルドの御前には、パトリック・ハイデマンら統合防衛本部の将校達が跪いている。

　その中には元禁衛府長官フィリップ・ノルドマンの姿もあった。

「銀河を統べる正統なる帝国の主あるじ、ウルドである」

　──ん──乗馬服？

　不思議に思ったトールは首を傾げた。

「まずは、ディアミド・マクギガンを偲ぶ。粗野なれど忠義に篤く、何より風雅を愛でる男であった──」

　暫しの間、女帝ウルドは瞳を閉じた。

「惜しむらくは世継ぎを決めずに旅立った事となろう」

　親殺しの叛逆者ジェラルドなど、マクギガンの後継者として認めないと宣したのだ。

　名すら口にせず、存在を否定したに等しい。

「故、ノルドマン伯爵家に領地を下賜する事とした。禁衛府を代々預かって来た家門の功に報いる日が来たとも言える。──受けよ」

「は、はっ」

　フィリップ・ノルドマンは、緊張した面持ちで邦笏を受け取った。

「以後、其方の家名を取り、ノルドマン領邦と改める」

　感涙にむせんでいるのか、厄介な荷物を背負う羽目になったと嘆いているのか──彼の震える背中からは読み取れなかった。

　あるいは、その何いずれでもあったのだろう。

　何より、領地を下賜されたところで、実効支配しているのはジェラルド・マクギガンなのである。

「とはいえ──」

　その点は女帝ウルドも承知している。

「領主を僭称する賊の腐臭は遥かなオリヴィア宮にまで至る。よって──」

　帝都フェリクスに集うベルニク、オソロセアの連合軍は三万隻に及んだ。

　対するマクギガンは、ジェラルド謀反による混乱と政府及び軍高官の離反が相次いだ結果、まともに運用できる艦艇数は半数以下となっている。

　尚且つ、天秤衆の到来、艦隊の大半がクルノフ領邦と面するポータルで演習──と、防衛するには悪条件が重なっていた。

　頼みの綱である宗主アラゴン領邦の艦隊も遥かな星間空間を航行している。

　つまり、ジェラルド・マクギガンを討伐する条件が完全に整ったのだ。

「パトリック大将も滾たぎっておられるでしょうな」

　少しばかり嬉しそうな様子でケヴィンが言った。

「ええ。留守番役をお願いする事が多かったですからね」

　パトリックが不動の火星方面管区司令として構えていたからこそ、トール・ベルニクは神出鬼没に銀河を駆け巡ってこられたのである。

　今回は連合軍を率いる総司令官という難しい立場を彼に委ねた。

「後は、陛下の勅命を──」

　トールは、連合軍総司令官パトリック・ハイデマンに対し、ジェラルド討伐の勅命が女帝より下されるのを待った。

　だが──、

「よって、余自らが立ち、之これなる賊を討つ」

　と、女帝ウルドが高らかに宣すると、跪く軍人達はさらに深く頭こうべを垂れた。

「こ、これは──？」

　狼狽えるケヴィンの隣で、トールは参ったなと小さく呟き、頭を掻いて苦笑いを浮かべた。

　──面白いな、陛下って。

　ともあれ、以下の言葉で宣下は結ばれた。

「親征である」