トール・ベルニクとヴィルヘルム・モルトケによる世紀の一戦は、EPRネットワーク上でライブ映像が広域ブロードキャストされる。

　トールが要請したものだが、宣伝広告に活用できるカジノ側としても喜ばしい要請だったろう。

　今回のゲームは世間の耳目を集めていたのだ。

　英雄あるいは奸雄と称され始めた男と、銀河系随一のリゾート地を支配する男が、歴史上類を見ない高レート勝負に挑むのである。

　おまけに資金不足のトール・ベルニクは己の銀冠を賭すとも噂されていた。

　女神の申し子として豪運を見せつけるのか、それとも堕ちた英雄となり恥辱に塗れるのか──。

　◇

　その頃、オリヴィア宮では──、

「ホールデムポーカー？」

　名誉近習レイラ・オソロセアが映す照射モニタに試合会場となるフロアの様子が中継されている。

　解説者の男がゲームルールを紹介しているが、耳慣れない言葉を聞いたウルドはレイラに尋ねた。

「父の傍で見た程度の知識ですが──」

　ホールデムポーカーとは、ディーラーの前に五枚の共有札、プレイヤーには二枚の札が配られる。

　合計で七枚となり、そのうちの五枚で、各プレイヤーはポーカーの役を作り優劣を競うのだ。

「共有札がありますのでカード運の強さではなく、プレイヤー同士の駆け引きの妙が勝敗を左右するそうです」

「ほう」

　そう聞いてウルドは満足気に頷いた。

「運も駆け引きもアレは兼ね備えておる。問題あるまい」

「え、ええ」

　トールに対する全幅の信頼を表明した女帝に対し、レイラは曖昧な相槌を打つに止とどめた。

　──"どうにも、伯は考えが顔に出る。故に信用できるのだが、腹芸に長けているとは思えぬな。"

　かような、父ロスチスラフの評を伝え聞いていたからである。

「あら、陛下。ようやく、伯がお見えのようですわ」

　カジノフロアにタキシードを纏うトール・ベルニクが現れたのだ。周囲の物見客達から握手を求められ、律儀に応じているところは彼らしいと言えよう。

「落ち着いたご様子で、いつも通りの──」

　と、言い掛けたところで、禍々しい気配を察したレイラは口を閉ざした。

「のう、レイラ」

「──はい」

「余の見間違い、あるいは幻覚であろうか」

　応えるまでもなく、レイラにもはっきりと見えていた。

　白いカクテルドレスを清楚に着こなすグリンニス・カドガンが、輝くような笑みを浮かべてトールの傍らで歩く姿を──。

　◇

「いやはや、閣下の豪運は噂通りですな。今回も私はフォールドさせて頂きますぞ」

　ヴィルヘルムがそう告げた瞬間に、ディーラーが彼の手札を回収した。

　トールはレイズで賭け金を吊り上げていたが、ヴィルヘルムは応じずにゲームを降りたのである。

　ベットしていた賭け金は失うが、気にせずヴィルヘルムは損切りをしたのだ。勝てないゲームの損失は最小限として尚且つ手札も見せずに済む。

「こんなに勝てるなんて、ボクも夢みたいです」

　ディーラーの頭上に映る照射モニタを見ながら嬉しそうに言った。

　照射モニタには二つの当座アカウントの残高が表示されている。

　勝敗に応じて当座アカウントの数値が変動する為、カジノチップでプレイする場合と同じ興奮を見物客達も味わえた。

　なお、トール、ヴィルヘルム各人の当座残高がベット可能な上限となるが、いつでも好きなタイミングで自己資金を送金できる。

「本当に、閣下はお強いですな、ふはは」

　強がりで笑声を上げた訳ではなく、ヴィルヘルムは十分な勝機があると考えていた。

　豪運を持ち合わせていたとしても、イカサマをしない限りポーカーで勝ち続けるなど不可能である。

　カードシューターを用い、ワンゲーム毎に全ての札を廃棄し、ディーラーの動きは第三者審査機関がモニタしていた。

　さらにはライブ中継という衆人監視の元でのプレイングである。

　──フレイディスから聞いた話は本当だったな……。

　──何でも顔に出る御仁だわい。

　フリッツがフレイディスに耳打ちし、それがそのままヴィルヘルムにも伝わっていた。

　トールが浮かべる笑みの度合いで役の強さが読める為、危険を察せば勝負を降りれば良いだけである。

　負けるはずのないゲームなのだ。

「相当に稼がれましたな」

「う～ん、でも、まだもうちょっと──いや、もっともっと欲しいんです！」

　トールの当座アカウントの残高は、一兆に迫る数字を示している。

　──確かに二百兆の借財返済に至るには長い道のりですからなぁ、ククク。

　こうして、途方もない金額が動き続けるなか、ついにヴィルヘルムの求めたタイミングが訪れた──。

　トールの豪運が途絶えたのである。

「コール」「フロップ」「レイズ」「コール」「ターン」「レイズ」「コール」

「リバー」

　ディーラーの一声で共有札が全て公開された。

　レイズを繰り返したヴィルヘルムによりベット額は既に二兆を越えている。トールの当座に残る全額に等しい。

「レイズ」

　間違いなく弱い役しか出来ていない──と、トールの表情からは読み取れた。

「十兆」

　見物客から歓声と悲鳴が上がった。

　このレイズをトールがコールするには、自身の当座に資金を追加する必要がある。

　──筋の悪い例の金融屋は、そこまでの調達が出来ますかな？

「うわ、これは駄目です。フォールドしましょう。──失敗したなぁ」

　悔しそうな表情で頭を掻きつつトールがゲームを降りると同時、彼の当座アカウントから二兆が失われた。

「いえいえ、次ですよ。次」

　ヴィルヘルムとしては、ここでトールに逃げられては困るのだ。

　トールの資金をショートさせて、刻印を賭ける状況に追い込まねばならない。

「そうですね。諦めたら終わりですもんね！」

　トールは、ヴィルヘルムが期待する以上の愚かな応えを返した。

「──その──次のゲームをされるには、少々──」

　意味ありげな視線をヴィルヘルムは当座残高を映す照射モニタへ送った。

「ああっと、お待ち下さい」

　そう言ってトールは項うなじに触れると申し訳なさそうな表情で何事かを頼んでいる。

　ヴィルヘルムの目には、金貸しの要求する法外な金利を飲む貧乏人の姿に重なった。

「ふぅ」

　トールの深い溜息と共に、当座残高に十兆と表示された。

　──ほう？　となると先程は手札が悪くて降りたという事だな……。

　再びゲームが始まり「リバー」に至ったが、今回のトールの表情は幾分か明るい。

　──これまでの実績上、伯がこの表情の時はツーペアだ。

　ヴィルヘルムの役も、ツーペアである。

　──リスクは有るが、そろそろ追い込んでしまいたいところだ。

　──フォールドさせるのが安全策なのだが……。

　コール出来なければ、相手はゲームを降りるほか無い。つまり、絶対にコール不可能なベット額を積めば良いのである。

　既にベット額は十兆となっており、トールの当座には余力が無い。

　──ここが、俺の勝負どころか。

　ヴィルヘルムは傍に控えていた秘書に指示を出した。

　直後、照射モニタへ反映された当座残高を見た観衆は悲鳴を上げる。

「レイズ──に、二百兆」

　ヴィルヘルムにとっても失うには巨額すぎる為、言葉の震えを抑える事が出来なかった。

　だが、資金力の不足するトールは、ベット済の十兆を諦めてゲームを降りるほかなくなるだろう。

　新たな借り入れが不可能となれば資金ショートする。

　狂ったゲームを続行するには、いよいよ刻印を質に入れる必要があるのだ。

　──さあ、銀冠を手放す時が来ましたな。

　◇

「閣下、降りるべきですぞっ！！　い、いや、いいから、降りて──お願いっ、降りろおおおおおおおっ！！！」

「ああ、トール様──どうなって──どうなってしまうの」

　統帥府長官ヨーゼフと、首席補佐官ロベニカの両名は、プールサイドに設営されたパブリックビューイングの前で怒号と悲鳴を上げていた。

　関係者一同が集い、世紀の一戦を応援しようというトジバトルの企画だったのだが──。

「坊ちゃま……」

　家令のセバスは悲壮な表情を浮かべている。

「セバスさんから連絡して止められませんか？」

　幼少期から仕える男の諫言ならば──と、ロベニカは一縷の望みを家令に託そうとした。

「このままだとトール様は本当に刻印を賭けてしまいそうです！　ああ、大変な事になってしまうっ」

「はあ……。あ、いいえ、ロベニカ殿。その心配は──」

　と、何かを言いかけるセバスに、件くだんの男から映像付きのEPR通信が入った。

「トール様っ！」「閣下ッ！」「坊ちゃま──」

　<< あ、皆さんお揃いで >>

　パブリックビューイングと照射モニタの両方に映るトールが、呑気な様子で屋敷の人々に向けて手を振っていた。

　<< ええと、そんな訳で、セバスさん >>

「──はい」

　<< 借金と言いますか、ちょいちょいっと資金の移動をお願いします >>

「で、ですが、坊ちゃま。やはりギャンブルなどというものは──」

　<< 安心して下さい >>

　聞く者を不安にさせる枕詞である。

　<< ギャンブルは、これで最後にしますから。アハ >>

　遠目に様子を眺めていたトジバトルは、思わず飲みかけのテキーラを吹いた。

　◇

　帝国史のみならず人類史においてさえ恐らく史上最高となる賭け額である。

　もはや、賭博という事象で語るべきではないだろう。

　狂乱に近い興奮状態にあるカジノフロアで、トール・ベルニクだけは常と温度が変わらない。

「リレイズします」

　レイズに対して、さらに上乗せする場合に宣する言葉である。

「──え──あの？」

　ディーラーは思わず問い直してしまう。

「ボクはリレイズします」

　観客達は徐々に静まり始めた。

　彼等の理解が及ばぬ展開となりつつある為だ。

「現在のベット額は二百兆なのですが──」

「はい。ですから、三百兆」

　──そういえばヴィルヘルムさんは隠し口座も持ってたよね……。

　テルミナは洗いざらいをロマンから聞き出していた。

「やっぱり、五百兆ぐらいにしましょうか」

　セバスによる送金作業が完了し、トールの当座アカウントが更新されると、カジノフロアには羽音も聞こえそうな沈黙が降りた。

　ノーリミットである。